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国体護持という考え方について

2023-08-14 02:30:30 | 政治
保守系の人が良く口にする言葉に「国体」とか「国体護持」とか、「万世一系」というものがあります
「万世一系」という言葉は、高天原にまします日本神道の主宰神を先祖として、「カムヤマトイワレヒコ」つまり神武天皇を初代として
男系男子を中心とする相伝によって260数代続いてきた天皇家により、国としての形を維持してきたことを指します
この天皇を中心として、一つの国としてまとまってきたことによって、国としての形が決まってきた。。。これは紛れもない事実です

神武天皇の御代には有力豪族がひしめき合っており、後の時代のような「万世一系」ではなく、有力豪族の合議制による治世であったと思われますが
やがて天皇家の力が固まってきて、古事記、日本書紀などの日本正史が作られ、国として固まってきたものと思われます
こうした歴史を尊び、日本の国を歴史と誇りある国として末代まで残していきたい、という気持ちは至極もっともなことであり
私もまた、まさにそうあればいいなと思うものであります。。。その気持ちに嘘偽りはありません

ただ。。私は、保守系の方々が言っていること以外にも、「本当に大切なこと」があるような気がするのですよ
それはね、日本の国体を護持できていた背景にある、「信仰」というものだと思うのです
保守系の人たちの話を聞いていると「日本は歴史ある国だから守らなければならない」と言っているように私には聞こえます
「他所の国にこんな国はない、だから歴史的にも価値があるので、日本は凄い国なんだ」ということでしょう
ですが、私には、歴史よりも重要なこととして、宗教精神の大切さ、重要性を指摘しておきたいのです
私は、いかなる長い歴史よりももっと価値があるのは、本当は、国の中で培われてきた宗教的精神だと思っています
保守の方々が、この日本の国体を維持したいと願う、強い気持ちは分かるのですけれども
形だけの伝統を重んじ、宗教的精神を失った場合、長期的に見て、その国の国体を護持することはおそらく無理であろうと思います
大変残念なことですが、そもそも今、日本の信仰の中心である皇室からして、宗教的精神を失いつつあるように、私には見えるのです
日本の保守系の人が、まだ考えが多少甘いと感じることは
とにかく形だけ伝統を重んじ、国体護持を唱えても、それだけでは本当の意味で国体を護持することはできないであろうという事です

そもそも日本の保守の方々は、日本の主宰神と呼ばれている存在が、霊的な存在として本当に存在していることなど、信じちゃいないでしょう
要は、根本では唯物論を信じていて、高天原の神々など、神話の作り話だと思っているのではないでしょうか?
そういう、信仰心を失った国体護持など、魂の抜けた泥人形のようなものだと思うのです
私は、高天原の神々と呼ばれる存在も、本当に存在していると思っています
そして、その「神々と呼ばれた存在たち」は、今もインスピレーションなどを降ろしつつ、日本の政治家や思想家たちを指導していると思います
いや、それだけではなくて
彼らは人間としても生まれてくることがあって、ときどきこの地上に生まれ変わってきているはずです
そうしたこともまた、霊的な真実としてあるのだということ、これを信じている方々はどれほどいらっしゃるでしょうか?

残念なことなのですが、日本神道には霊的な実相を教える教義。。。つまり、教えの中身がありません
これを補ってきたのが、日本では仏教なのですが、今の日本では仏教は唯物論の親戚になっていて、単なる唯物論哲学になってしまっています
仏教には生まれ変わりという思想があり、天国・地獄という世界観があります
しかし、神道にはそうした中身のある教えがなかったことも事実です
この、「教え」「教義」の欠落こそが、日本神道が世界宗教にならなかった一番の要因だと、私は考えています
要は、教えの中身がなく、宗教としての「普遍性」が欠けていた、ということです

ここからは私の想像の産物でしかないのですが
おそらく、日本神道には歴史上、こうした霊的な実相世界の教えも含め、教義を編める人物がいなかったのではないでしょうか?
例えば、日本における仏教の要であり中興の祖である行基や空海のような人物がいなかった、ということでしょう
だからこそ、民を教え、国を治める学問として、仏教を用いることにした。。。
私は、神主が唱える祝詞や、古事記、日本書紀などをどれほど教えようとも
神道の教えでもって、日本の民に善悪を教え、自らの身を修めるための修身思想を教えることはできなかったであろうと思います
ですから、日本の国民に本当の意味での善悪の違いを教え、民度の高い民衆を育てたのは、やはり仏教だったことは間違いありません
奈良時代に布施の精神を教えたのだって、奈良の大仏を建立させた行基でしたし
仏道修行をする修行者に布施することの功徳を教えたのは、ほかならぬ空海でした
仏教は他にも高徳と言われる仏教僧をたくさん輩出しています
そして、歴史上、日本の文化や国力が興隆した背景には、やはり仏教の隆盛があったことは事実です
仏教こそが、質の高い民を育てた背景にあった。。。仏教は人間教育機関そのものであったのです

最近わかってきたこととして、日本神道の神々は、すべてとは言いませんが、どちらかと言えば主流は妖怪・天狗だと言われてますし
日本神道の主宰神と言われるかたでさえ、実は神の仮面(お面)をかぶった、いわゆる「裏側」と呼ばれる霊存在でした
だからこそ、人を導く教えを説かなかったことも頷ける、というものです
いや、説かなかったんじゃなくて、「説けなかった」のでしょう
だから、「礼節を重んじる」ことを中心とし、自らを主宰神として、「教えを説かずとも我は尊い」という立場に立ってきたのだと思います

何度も言いますが、神道の「形と礼節を重んじる信仰形態」を守ったとしても、肝心な教えの中身がなければ、国が栄える事はないと私は思います
国体護持には、本当は宗教精神という魂を吹き込む必要があります
天皇制の男系を守ることだけが、「国体護持」ではないのですよ、その中身が大事なんです
神道には「教えの中身がない」ということを、そろそろ気がつかないといけません
中身(教義)がないのに、神社で祀られている神を信仰しなさいと言われても、これは土台無理な話です
それは形だけの「信仰」なのですよね

もっともっと言いたいことはあるのですが、今日はこの辺で終わりにします
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