ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

人見知り

2024-09-02 08:23:18 | 雑感
私が孤独なのは、私に魅力がないからだと思っていたけれど、
もちろんそれもあるけど、それ以前に、
私が人を受け入れられないからだということに
ようやく気付いた。

できれば多くの人と仲良くしたい。
でも私の器が小さいから、一度に多くの人と仲良くすることができない。

仲良くすることができるのは、一度に少しずつだけ。
その少しですら、しんどくなってしまうことがある。

孤独は嫌い。
でも、人と付き合うのも疲れる。
そのせめぎ合いだった。

一度に多くの人を受け入れて、楽しく賑やかに過ごせる人はいいな。
そうなりたいけど、そうなるには色々なものが足りない。
私が、そういう風にはできていない。

自分のことを人見知りだと思いたくなかった。
でも、きっと、それに近かったのだと思う。

人のことは好き。
仲良くなりたい。
その気持ちがあるだけいいかな。


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自分を変えよう

2024-08-20 08:37:57 | 仕事
今の職場がしんどくて、できるだけ早く辞めようと思っている。

ただ、一方で気付いたこともある。
私はもうかれこれ10近くの職場で働いているが(数えていないが多分それくらいはあるだろう)
どこの職場も不満でいっぱいになり、辞めているということだ。

これはもう間違いなく、自分に問題があるということだろう。
さすがに認めざるを得ない。

自分は相当に歳をとってしまっているので、
心が硬くなって老害化することはあっても
自分を高めることはもうできないだろうと諦めていた。

でも、諦めてしまったらそれで終わりだ。
少しでも良い方向に変われるよう、努力してみよう。

心の中が不平不満で一杯になるのをまずは何とかしたい。
無理に不満をねじ伏せて作り笑顔でいる必要はないと思うけれど、
機嫌が悪くなったときは、自分で自分の機嫌を直せるような工夫をしてみよう。

そこで今は、自分が喜ぶことは何か、探しているところ。

お気に入りの喫茶店でのんびりコーヒーを飲むこと、
フカフカの布団で寝ること、
美味しいハンバーグ(デミグラスソースがけ)を食べること…

気の合う人とおしゃべりをすること。
動物をかわいがること…
遠くを見ながらボーっとすること…

穏やかで優しい気持ちで過ごせる時間を
多く取れるとよさそう…


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かわいい来客

2024-07-30 12:23:30 | 仕事
昨日、仕事をしていたら、職場の窓から雀が入ってきた。
事務員さんは鳥が苦手らしく、雀が混乱して部屋の壁やら窓やらに飛んでぶつかっているのを見て、パニックになっていた。

そこで元飼育委員で動物の扱いに慣れたミジンコが大活躍(!)。
落ち着いて部屋の扉を閉め、電気を消して部屋を暗くし、明るい窓の方に雀を誘導した。
雀に優しく声がけをして安心させ、無事に入ってきた窓から出ていってもらった。

雀は小雀のようで、小さくてかわいかった。野生の雀にしては人慣れしていて、至近距離まで近付くことがてきた。暑さと緊張のせいか、くちばしを開いてぜいぜい息をしていた。

私は雀を優しい目で見つめ、雀もまた小さな黒い瞳で私をじっと見つめていた。(雀は警戒していたのかもしれないけど)目が合っている間は、心が通じているようで嬉しかった。

私は、相手が人でも動物でも、心を通わせることに喜びを感じるんだなと改めて思った。カウンセラーという仕事を選んだのも、間違いではなさそうだ。

かわいい来客のおかげで、明るい気持ちになれた。


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職場の嫌な人 2

2024-06-29 12:34:23 | 仕事
(前の記事はこちら → 職場の嫌な人

今の職場に嫌な人がいて、かなりのストレスになっている。

ただ、こういうことはどこの職場でもあった。
そして、そういう人は、大抵、他の人にも嫌われている。

人と話をすると、よくこういう困った人の話が出てくるから、
どうやら社会には、かなりの高確率で、厄介者が散らばっているようである。

組織や集団には、たいてい、困った人がいるけれど、
その人を排斥することは色々な理由でできないので、
皆、我慢をして、うまくやり過ごしながら、
自分の持ち場を守っているのではないかと思う。

組織や集団は、そういう困った人を内包しながら、
きしみつつも何とか機能していく。
社会とはそういうものだと、諦めるしかなさそうだ。

嫌な人とはなるべく接触を少なくして、
あからさまな衝突を避け、
表向きは穏やかに、やり過ごすしかない。
多くの人は皆、そうしているのだから。

その分、プライベートを充実させて楽しもうと思う。


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視野が狭い?

2024-05-27 08:00:13 | 仕事
私は昨年からカウンセリングの個別指導を受けているのだが
先日、その先生からやんわりと「視野が狭い」とご指摘を受けた。

自分ではあまりその自覚がなかったので
(割と色々なこと考えている方だと思うし…)
どういうことなのか考えてみた。
最近、老眼で近くのものが見えにくくなっているというのはあるが、
そういうことではないのだろう。

夫に「視野が狭いと言われた」と打ち明けたら
「俺も常々そう思ってた!!」と鬼の首を取ったように言われ、極めて不快であった。

結論は出た。私の視野は断じて狭くない!!!

ではなぜそう思われてしまうのか。
(←気にしている)

夫との会話を思い浮かべると、
私は自分の気持ちをどのように言葉に表現できるかに意を砕く。
その時々に生まれた感情を、できるだけ適切な言葉を選んで的確に伝えようとする。

それに対し、夫は、知識で答えようとしてくる。
社会的な動きとか、偉い人がどのように言っていたとか。
私は、(そういうことじゃないんだよ…)と思う。
そんなことこっちだって知っとるわ。
私が伝えたいのは、私の個別的な経験で、私がどう感じたかということ。
私だけの、唯一無二の貴重な体験を伝えたいだけで、
普遍的な理論や知識は(とりあえずは)どうでもいいのだ。

先日、NHKの「100分de名著」のフロイトの回を見ていた際、
患者が夢の途中で目が覚めた理由について、
フロイトとラカンが抽象的な理論を延々と続けている場面があった。
私は、頭の良い二人が議論に熱中すればするほど、
患者が置いてきぼりになっているように感じ、興味が削がれた。

このときの感覚に似ている。

私としては、私の個別的な経験について、
夫自身がどう感じたかの感想を聞きたいのだ。
夫が私の話をどのように受け止め、夫の心にどのようなさざなみを立てたのか、
夫の個別的な体験を返して欲しいのである。

夫や先生にしてみれば、私の個別的な経験には興味がなく、
一般的に通用する知識や理論の方を扱いたいのだろう。

そうだとしたら、今後、私が夫や先生と話をするときは、
私の個別的な思いや考えだけを話すのではなく、
一般的な知識や理論に昇華させて話をすればよいのであろう。
そうすれば、「視野が狭い」という評価を受けることはなくなるのであろう。

私は、人の生きた個別的な経験の中にこそ、
普遍的な真実が潜んでいると考えているので、
(文学が廃れないのはそのせいだ)
自分の気持ちや感情も、できるだけ正直に言葉に乗せて伝えようとしてきたけど、
それがそんなに低い評価を受けてしまうなら、
振る舞い方は再考しないといけないね。

私は、目の前で起きている生きたドラマに興味を持たず、
人工的で乾いた議論を賢しげにしている人達の方が
頓珍漢だと思うけどなあ…

喋る文法や言語の違いみたいなものかな。

私の「視野が狭い」なら、私に言わせれば、
夫や先生のような人達は、
遠くばかりで近くが見えない「老眼」だね。

フッフッフ…
言ってやったぜ!!!
(このくらいにしておこう…)

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