ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

タイムトラベル

2024-02-05 18:01:57 | 
最近は大学での仕事で手一杯になってしまい
担当の学生さんのことばかり考えていて
肝心の家族のケアが後回しになっていました。

年末にその年に撮った写真を整理していて
夫が思いのほか老け込んでしまったことに気付きました。

普段、若い学生さんばかり見ているせいかもしれませんが
私が夫を放ったらかしにしている間に
夫が老けてしまったようにも思えました。
夫に対する関心が薄れていたことも否定できない…

私は、いつも自分が使っているカウンセリング室のソファーに、夫が腰掛けている姿を想像してみました。
今の夫ではなく、普段私が相手にしている学生さんのような、20代頃の若い夫の姿を。

精悍な顔付きながら、まだ幼さも残る、初々しい夫の姿を。
そして、その若い夫が、優しい眼差しで、じっと私を見ている姿を想像してみました。

私の心の中に、夫に対する愛情が蘇ってきたように感じました。
若い学生さんはとても魅力的。
でも私の愛するあなたも、負けないくらい魅力的だったね。
思い出したよ。

今の若い学生さんだって、30年後にはこうなる。
若い頃の姿、今の姿、将来の姿を、
もっと想像して、
時間を自由に行き来してみようと思いました。

これからも一緒にいよう。
久し振りにそう思えました。
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下り坂でいいや

2024-01-24 07:23:06 | 仕事
ここ最近、ずっと疲れがとれなくて
自分の生活を見直してみたところ
休むべき時間にきちんと休んでいなかったことに気付いた。

例えば仕事のない土日はぼんやり寝ていたらいいのに
研修を受けたり、英語の勉強をしたり
自分を高める作業をしていた。

向上心が高く勉強好きな人に囲まれてきたから
休みの日は仕込みの時間のように捉えて
努力していた…つもりだった。

で、どこまで自分が高みに登ってきたかというと、
ちっとも高くない。
なんの肩書もないし、地位もない。
吹けば飛ぶようなしがない非常勤でしかない。
 
そしてこれからの人生、
自分がこれ以上、高みに登れる可能性は多分ない。

なら、もう、努力するのをやめようかな。

上り坂ばかり選んで歩くのに疲れた。
休みたい。

土日は何もしない。
通勤時間はボーッと過ごす。
スキマ時間の活用はしない。ボーッとする。

もっと休もう。
疲れを取りたい。

若い頃とは違うんだから。
若い頃に十分頑張ったし。
もういいや。平地を歩こう。下り坂だっていいや。

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愛読書

2023-11-13 08:19:27 | 仕事
私は学生さんが愛読している本があると聞けばなるべくその本を読むようにしているし
好きなアーティストがいると知ればその人の曲を探して聴く。

その人を理解しようと思うからだが、
何人も同時並行で見ていることもあり、
なかなか時間が足りない。

先日も休みの日にある学生さんの好きな作家の本を読んでいたら
「ミジンコのやり方はウェット過ぎる。
好きな本や曲があるなら、そのどこが好きなのかを教えてもらえばいい。
今の人はもっと淡々とした関係性を好むのでは?
金八先生じゃあるまいし」
と夫に言われた。

確かにそうかもしれない。
それに私自身、一人一人の世界に深く入っていくのもいいけど、
もっと普遍的な勉強、例えば有名な心理学の先生の本を読んで勉強して、
より広く多くの人に応用できる理論や技術を身に付けることを優先した方がいいのかもしれないとも思う。

時間も体力も有限だから、その使い方を考えないといけない。

おばさんカウンセラーが、
「あなたが好きだと言ってた本、私も読んだよ♥」
と言ったら気持ち悪いかもしれないし…

…でも、苦しかったときに、何度も何度もその本を読んで励まされた、と聞いたら、
やはり読んでおかなければという気になる。

それに、これは私の古い感覚かもしれないが、
自分を理解しようとする人がいることは、
少しだけでもその人の孤独を軽くするのではないかな…

一人一人に向き合うこと、
広く理論や技術を学ぶこと、
きっとどちらも大切なことなのだろうと思う。

私はどちらもやりたい。
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フリーレン

2023-11-07 08:30:57 | 仕事
「葬送のフリーレン」を毎回、泣きながら見ている。

私が特に泣けるのは、
フリーレンを愛していたヒンメルについて
「興味を持たず、知ろうともしなかった」ことを
彼の死後にようやく後悔したところだ。

どうしてもカウンセリングをしている自分に重ねて見てしまう。

私は一生懸命に学生さんの話を聞く。
でも学生さんのほとんどは自分の話にしか興味がなく
自分の話を聞いている相手に興味がない。
知ろうともしない。
私の名前を知らないまま、
知ろうともしないまま、
自分の話だけを延々と続けていく。

そしてある日、気まぐれに来なくなる。

仕事とはいえ、私は自分の時間を、
自分が生きる時間を、
もっといえば、自分の生きるエネルギーを、
彼ら、彼女たちに与えている。

愛は見返りを求めないなんて嘘だ。
私は自分を削った分の見返りが欲しい。

関心をもって欲しい。
あなたの話を聞いている人もまた
あなたと同じ血が通っていて
傷付ければ血を流す人間だということに
もう少し気付いてくれたら。

…という思いを封印して
もしかしたらフリーレンがヒンメルを思い出したような日が来るかもしれない、
来ないかもしれないけど、
私はあなたのことを思って話を聞く。

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無駄な時間

2023-10-23 20:58:21 | 片思い
つらつらと考えるに
私の人生、片思いの時間が非常に長い。

私がもっと美人に生まれていたら
頭の中であれこれ考えるだけではなく
色々なことが現実になって
実際にたくさんの人と繋がれて
実態のある経験や思い出で人生が彩られていったんだろう。

私はそうではないから、
私だけが人知れず思いを膨らませて苦しんで
実りのない時間を長く長く過ごしている。

この時間は、無駄な時間なんだろうか。
現実に人とつながれた時間だけが有意義な時間なんだろうか。
結果に結びつかなければ、中身を伴わなければ、
全て無駄な時間になるのだろうか。

他にも例えば、
人を待っている時間。
期待で胸を膨らませている時間。
目標に向かって努力をしている時間。
パンが焼き上がるのを待っている時間。
ちいかわ6巻が発売されるのを心待ちにしている時間。
虹の橋のふもとにいる愛犬を偲んでいる時間。

これらの時間は、みんな無駄?
どこからが有意義で、どこからが無駄なんだろう?

生きる時間に限りがあるとしたら、
私は残りの時間をどのように使えば満足できるんだろう。
何を思って生きていけばいいんだろう。

考えさせられた。
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