塾講師をしていたころの話だから、今から2年ほど前になるが、
私は、『西の魔女が死んだ』という文庫本を買ってきた。
この作品は、中学入試の題材に取り上げられることが多いので
一度、通読しておこうと思ったのだ。
期待して読み始めたのだが、あまりに退屈で、途中で読むのをやめてしまった。
何がいいのか、さっぱり分からなかった。
でも、この本の評判がよいことは知っていたので、
そのよさが分からなかった自分に、少しがっかりしてもいた。
皆がいいといっているもののよさが自分に分からないと、
たとえそれが相性によるものだとしても(つまり、自分に非はないとしても)
少し悔しい気持ちになる。
自分には、そのよさをキャッチするアンテナが欠けているように思うからだ。
それからずっと、『西の魔女が死んだ』という作品は、
つまらなかったにもかかわらず、気になる存在として、
私の心の中に、ずっと残っていた。
今回、アマゾンでその作品を検索して、
やはり、評判がとても高いことが分かり、
もう一度、読んでみることにした。
とても不思議だったのは、今回は、とても面白いと感じたことだった。
途中で栞を挟みながら、何回かに分けて読んだが、
本を開くときはいつもワクワクしていたし、
「早く続きが読みたい」と思う自分に、少し驚いてもいた。
そして、ラストでは、しっかり泣いた。
本が変わったのではなく、私が変わったのだろう。
こういう経験は、今までにも何度かある。
私にとっては、『ライ麦畑でつかまえて』が最たるものだし、
村上春樹の作品群も、たいてい、そうだ。
学生のころは、そのよさが分からなかったが、
ある程度、社会経験を積んでから読むと、とても面白いと感じられた。
ただ、今回は、そのスパンがとても短かった。
たった2年前の自分には分からなかった良さが、
今の私はしっかりと感じ取ることができた。
何が私を変えたのかというと、
やっぱり、学校に勤めた、この1年だと思う。
自分でも知らないうちに、心の有り様が変わっていた。
中年と呼ばれる年齢に差し掛かっても、
心は変わることができるんだなあと思った。
心は意外と、しなやかなのだ。
そう思うと、未来に、少し、希望が持てた。
私は、『西の魔女が死んだ』という文庫本を買ってきた。
この作品は、中学入試の題材に取り上げられることが多いので
一度、通読しておこうと思ったのだ。
期待して読み始めたのだが、あまりに退屈で、途中で読むのをやめてしまった。
何がいいのか、さっぱり分からなかった。
でも、この本の評判がよいことは知っていたので、
そのよさが分からなかった自分に、少しがっかりしてもいた。
皆がいいといっているもののよさが自分に分からないと、
たとえそれが相性によるものだとしても(つまり、自分に非はないとしても)
少し悔しい気持ちになる。
自分には、そのよさをキャッチするアンテナが欠けているように思うからだ。
それからずっと、『西の魔女が死んだ』という作品は、
つまらなかったにもかかわらず、気になる存在として、
私の心の中に、ずっと残っていた。
今回、アマゾンでその作品を検索して、
やはり、評判がとても高いことが分かり、
もう一度、読んでみることにした。
とても不思議だったのは、今回は、とても面白いと感じたことだった。
途中で栞を挟みながら、何回かに分けて読んだが、
本を開くときはいつもワクワクしていたし、
「早く続きが読みたい」と思う自分に、少し驚いてもいた。
そして、ラストでは、しっかり泣いた。
本が変わったのではなく、私が変わったのだろう。
こういう経験は、今までにも何度かある。
私にとっては、『ライ麦畑でつかまえて』が最たるものだし、
村上春樹の作品群も、たいてい、そうだ。
学生のころは、そのよさが分からなかったが、
ある程度、社会経験を積んでから読むと、とても面白いと感じられた。
ただ、今回は、そのスパンがとても短かった。
たった2年前の自分には分からなかった良さが、
今の私はしっかりと感じ取ることができた。
何が私を変えたのかというと、
やっぱり、学校に勤めた、この1年だと思う。
自分でも知らないうちに、心の有り様が変わっていた。
中年と呼ばれる年齢に差し掛かっても、
心は変わることができるんだなあと思った。
心は意外と、しなやかなのだ。
そう思うと、未来に、少し、希望が持てた。
