政府内の方針の食い違いやはっきりとしない対策によって社会は
ますます混迷していくようだ。
人心の不安や怒りのようなものがつのり、不本意にも新型コロナウィルスに
感染した人たちが激しいバッシングを受けているいくつかの例が今朝も
報道されていた。
自分ではきちんと感染防止のための対策とそのための生活を
していたにも拘わらず不幸にも感染した人たちに対する過激すぎる
誹謗中傷の数々・・・
その対象とされた人たちは自分の辛く大変な体験を活かすべく
立場を明らかにして感染予防を訴えているが体験者の切実な叫びを
聞こうともしないばかりか激しい罵詈雑言で罵る投稿者たちが
なんと多いことか・・・・。
感染した人たちの中には当然避けることができたはずなのに
『自分は罹らない自信がある・・・』とか『罹ったら罹った時だ・・・』などと
言って危険が伝えられている夜の街へ繰り出すような人は別として、
最大限に注意をして生活をしていたのに不幸にも感染してしまった
人たちにも『すべて自己責任・・・』などと決めつけるのはいかがなものか・・・
と思う。
多くの人たちは感染予防対策をしっかりとしているので、感染してしまった
人に対し「なぜ?・・」というような疑問や不信感を持つこともあながち
無いとは言えないだろう。
しかし、自分は正しいのだから・・・と言い張る前に我が身に置き換えて
みることや感染した彼ら、彼女らが自分と同じ思いをする人を一人でも
少なくしよう・・・という気持ちで訴えているその言葉や現状を理解することが
必要なのではないだろうか。
感染してしまった人たちにも問題があるならばそのことを指摘し、堂々と
自らの氏名も公表し『批判』するのはいいと思う。
一方的に『非難』するだけでは多くの人の心に響かないと思うのだ。
批判にはある種の思いやりも感じられるが、同じような意味を持つ
非難には強く責めるという印象が大きいと私は感じるし、批判には
改善の余地も含まれるが非難にはそれがなく、攻撃一方のような・・・・
ましてや誹謗中傷となると相手を尊重する気持ちが感じられないもの
になり、見知らぬ相手とは言え決して賛同できる話ではないと思う。
私も過去に安倍政権や安倍晋三個人をかなり激しく批判してきた。
時には明らかな非難に当たるものも数多く、罵り、蔑むような
言葉を使ったことも少なくない。
ただ私はあくまでも国民としての言論の自由の範囲内であると考え、
根拠のない「誹謗中傷」はしていないつもりだ。
図らずも感染し、苦しみ悲しんでいる人たちへの応援のつもりで
これ以上誹謗中傷が拡がらないように願うばかりである。