『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

ヒヨドリ達も餌を求めて庭先へ・・・

2019-12-11 09:43:17 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日は庭に鳩が・・・今日は朝早くからヒヨドリが我が家の狭い庭に
来て椿の蜜を吸っている。
我が家の白い椿は花が大きく今を盛りと咲き誇っているので
ヒヨドリたちの目にも触れやすいのだろう。

春から夏にかけては何処にも花が多く咲き、花の芽を食べたり蜜を
吸ったり、虫たちも多く発生することから食べるものはふんだんに
あるのだろう。

かっては渡り鳥(冬鳥)だったらしいが日本の環境に慣れて、いまや
留鳥となっているという。
都市部、市街地でもよく見かけ、一年中我々人間の身近にも現れ、
全身灰色の細長い体で頬に赤茶色の模様があり、少し羽ばたいては
翼を閉じ、上下に波型を描いて飛ぶ姿は多くの人になじみ深い鳥だと
いう印象かもしれない。

雑食性だというがリンゴやミカンなど果物も好物らしい。
ミカンを切ったものを枝に刺しておいたりすると好んで食べるらしいので
いつかやってみようと思いながら我が家ではまだ試したことがない。

以前、妻にヒヨドリとムクドリの外形の違いを教えて以来、妻も関心を
持つようになった。
ただ、妻は春先にこれから綺麗に咲こうとする花や木の芽が食べられる事を
嫌がり、地上に降りるムクドリも木の上で活動するヒヨドリも
見かけるとすぐに追っ払おうとして生態の観察とまではいかないようだ。


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今日も二十四節気・七十二候に触れる

2019-12-10 10:01:16 | 喜怒哀楽をポジティブに
今朝、起きた時にはまだ小雨が降っていたが、7時半ごろには
空も少し明るくなり雨もあがり、天気が好転する予感があったのだが・・・。

今この時間は雨こそ降らないものの再び曇天に・・・
雨が降らないと困る人や職業があることは百も承知しているつもりだが
私の他にもやはり温かく、空に雲がない快晴が望ましいと思う人が
多いのではないだろうか。

テレビを観ながらふと外へ目をやると芝生の上に鳩が2羽、餌となるものが
少ないと思われるこの季節、仲良く何かを啄んでいるように見える姿が
微笑ましい。
窓に近付くと揃って飛び立ちフェンスの向こうの電線上で何かを
話し合うように首を動かしている。

上空が青く、晴れていれば下から見上げる鳩の様子も生き生きとした
姿に見えるかもしれないが厚い雲に覆われた空の下では体や羽の
模様もぼんやりとし、なぜか寒々しく見える。

日々変わる周りの様子に今日も二十四節気・七十二候を確認・・・
今は大雪(たいせつ)の初候『閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)』で
明後日からは次候『熊蟄穴(くまあなにこもる)』であった。

昔の人たちは移り行く季節を情緒的に表したものだとあらためて感心。
古代中国で作られたものを日本の風土に合わせて作られたという
七十二候の意味やその感性は今も私たちの心に響き、その状況を
くっきりと瞼に浮かばせてくれることが日本人としての豊かな感情や
誇りのようにも思えて嬉しく思う。

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寒さの中で輝く鬼ゆず(獅子ゆず)たち

2019-12-08 11:02:21 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日は我が家で『爺さんカルテット』が集まり一日を楽しく過ごした。
3人は車で来たが寒いだろうと思い、エアコンとホットカーペットで歓迎・・・。
ところが暑いから消してくれという・・・いつものことながらマンション内の
温かさに三人は驚いていた。

今朝も起きると室内は18度以上あり陽が上るに従って室内も気温は上昇。
ガラス越しに陽射しが入り始めるころは既に23度となる。
寒さに特別弱いわけではないが、真夏が大好きな私はやはり、冬の寒さは
敬遠したいので温かいのは大歓迎である。

先週我が家自慢(?)の鬼ゆず(獅子ゆず)たちが連日ボトリ、ボトリと5日間
立て続けに落ちた。
その原因が完熟かと思っていたが、どれもへたの部分が乾いていることや
皮の部分が少し柔らかくなっていることに気づき、乾燥による水分不足で
落ちたのかもしれないと思い、木の根本や周りにたっぷりと水を遣ったところ
それ以後は全く落ちなくなった。
気のせいか、大きな実も更にイキイキしているように見える。

マンションの隣の方は獅子ゆずには興味がないとおっしゃるので
関心を持っているという3階の方に最後に落ちたきれいな実をあげて、
残りは柚子ジャムに・・・。
香りも少なく、決して美味しくはないが、今は我が家の朝食(パン)で活躍中。

残る9個はいずれ『爺さんカルテット』のそれぞれの家で自分たちがジャムに
なったり、玄関に飾られる事を願い、大きさと綺麗な色とみずみずしさを
競うように収穫(?)の日を待っている。

妻が友人から教えられた獅子ゆずに興味を持ち、ネットで購入した苗木が
60cmほどの細い箱に入ってはるばる(?)九州から届いたのは5年前。
幹の太さも小指ほどでか細く順調に育つかどうかも心配だったが思いのほか
ぐんぐん育ち、実をつけ始めて今年で3年目昨年の10個を更新する14個で
今は私たち二人の自慢の家族のような気持ちなのである。

正しい育て方や剪定の仕方などは全くわからないが来年も大きな生
き生きとした大きな実がつくよう勉強してみたい。















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『そうだ京都、行こう』を来年は実践したい。

2019-12-06 12:03:13 | 喜怒哀楽をポジティブに
最近、私たちの周囲の様子の変化と共にマスメディアからも各地の
紅葉情報が伝えられているが、現地へ行かなくてもテレビの画面を
通してその美しさを堪能し、厳かさのようなものを深く感じ取れるのは
この時代だからこそ・・・。

先日も京都内に数多くある神社、寺院の紅葉が紹介されていたが、
やはり直接見てみたいと思った。
今年はもう駄目だが来年、再来年でもその一つ一つを泊りがけで
観に行けるよう妻の健康面も含めて計画準備したいと思う。

私は運送の仕事をしていた頃、何度も京都を通過したが、観光目的で
行ったことはない。
私が最後(?)に京都を訪れたのは8年位前の冬だった
早朝に大阪で荷物を降ろし、その帰りに少ない時間ながらも初めて
京都市内を見物したのだが・・・。
埼玉へ戻るとまたすぐ夜中に荷物を積んで出発・・・という予定だったので
「清水寺」「三十三間堂」「東本願寺」の三か所だけ。
観たいと思うところはたくさんあったのだがこの三か所は距離も近く、
殊に「三十三間堂」は宮本武蔵の𠮷岡一門(伝七郎)との決闘の
エピソードでも語られている場所であるということと、信仰心には無縁の私だが、
仏像などには関心もあり、「千手観音」をぜひ見たいと思ったからなのだ。

そんな思い出を懐かしみながら、紅葉の綺麗な秋に訪れてみたい。
京都という文字と共に「洛陽」という響きも心に染みるようだ。
中国王朝の古都に因んで洛陽と名付けられたと聞くが、中心部から
「洛」の後に東、西、南、北、中、外、という文字をつけた地名があることも
伝統が守られている様な気がするのでそれらのことも知ってみたい。


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ながら運転にも厳罰を・・・

2019-12-05 08:11:46 | 喜怒哀楽をポジティブに
運転中に携帯電話を操作する「ながら運転」を厳罰化する
改正道路交通法が12月1日に施行された。

もう少し早く実施すべきだったと思うが、スマートフォンの画面を
注視したり、手に持って通話したりしながらの運転に対する罰則が
少し強化されたのはいいこと、歓迎すべきことだとだと思う。
しかし、私はまだ生ぬるいと思っている。

全国の交通事故の件数は減っているにも拘らず、携帯電話や
スマホが原因で発生している事故は増えているということを
考えると普通車では反則金がこれまでの6000円から1万8000円と
なり、「ながら運転」で事故を起こした場合には即時に免許停止となる
という程度の罰則でいいのだろうか。

きちんと法を守り、違反のない運転が当たり前、・・事故のほとんどが
軽微なものを含み何らかの違反が原因となっていることは誰もが
理解できることである。
本当に事故をゼロに近づけるためには運転中の携帯電話やスマホの操作も、
速度違反や信号無視も反則金や違反点数で罰せられるのではなく、
免許停止や一発取り消しであってもよいと思う。

本来信号を無視したり、スピード違反をしなければ成り立たないような
仕事はないのが当たり前で、そうしなければならない状況を依頼側、
受託側双方で改善すべきではないのか。

今こそ『せまい日本、そんなに急いでどこへ行く』の標語を再認識し、
頭も体もすべてにゆったりとした状態で余裕をもった仕事や
運転をすべきだと考える。

私の前述の『免許停止や一発取り消し・・・』は極端で思慮のない
『十把一絡げ・・・』だという批判は当然あると思うが、死や大怪我に
直結する交通違反や事故には『信賞必罰』が必要なのではないだろうか。

また、安易に免許を与えないよう、心と技術を幾重にも見極めて
発行すべきだと思う。
特に高齢者の免許更新時にはその判断力や技能を厳重にチェックし、
現在行われているような簡単すぎる認知力テストや「まあまあいい
だろう」というような判断をせず、厳しいテストが行われるように
していただきたい。
高齢者である私も更新の度に高齢者の運転を見て『危なすぎる』
『何故このような人に免許を与えるのか?』と思うことがたくさんあり、
温情的な判断は絶対にしてはならないと強く思っている。

こうして自信満々に言う私だが、自分で少しでも判断力や技能、
運動力に疑問が生じたら即刻免許返納する・・という強い意志を
持っているからこそ強く言えるのである。

厳しいテストにより残念ながら免許を更新できなかった高齢者の
生活のための交通手段のためにこそ多額の税金を使うべきであろう。
為政者は今こそ私利私欲、保身をすてて弱き国民のために
勇気をもって立ち上がれ…と言いたい。

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埼玉版に目がとまり心動く。

2019-12-04 10:59:23 | 喜怒哀楽をポジティブに
朝刊を開き、いつもはさ~っと目を通す埼玉版だが今朝は何ヵ所にも目がとまり、
じっくりと見た。
スポーツでは「埼玉西武ライオンズ」の今井達也投手の今年の反省と来年に
けての強い意志を持った目標への取り組みの様子。
今井投手と言えば高校野球、プロ野球ファンには幾つもの衝撃的な情景が
浮かんでくるだろう。

高校三年時(作新学院)の甲子園大会の優勝に至るまでの経緯、そして
その後のU18アジア野球選手権大会では台湾との決勝戦で優勝に貢献する
見事なピッチング。
そしてその後、西武ライオンから1位指名でプロとしてスタート。
調子に乗ったわけではないと思うが、未成年での喫煙が発覚し、
対外試合出場停止処分を受けたり・・処分解除後に見事なピッチングで
松坂以来の初先発、初勝利・・・
そして今年は令和初の完封勝利など・・・
まだ21歳の若者・・彼の素質を充分発揮できるようこのまま順調に
謙虚に努力し、実績を作ってほしいと思う。

「私のものがたり」の紙面は同じ埼玉(浦和)出身の芸能リポーター
梨本勝さんと東海林のり子さんの現場についてのエピソード。
人知れず苦労と努力をされた二人の様子が目に浮かぶようだ。
梨本さんが亡くなられてから9年(?)、85歳の東海林さんは今も
お元気なのだろうか。

それから『秩父夜祭大祭』の記事・・・。
秩父の夜祭というと私にも小さな思い出がある。
それはもう何十年も前、弟と共同で小さな工事関係の会社を
やっていた頃の12月3日のこと・・・

山梨での仕事を終え、甲府方面から帰る途中でのこと。
その日は秩父の夜祭の情報など頭になかったので秩父周辺での大渋滞と
車両通行止めに遇い、「あ、そうだった・・・」とようやく気付く始末。
広範囲の規制のため迂回し続けたが、トラッククレーンでは狭い道路も
通れず抜け出すのにかなりの時間がかかったという間抜けな話。

同乗していた都内在住の職人さんにも申し訳なく思い、抜け道探しに
四苦八苦したような思い出の12月3日である。

毎年この時季、山車の写真や夜祭のニュースや動画を見るたびに
今となっては懐かしいあの珍騒動を思い出す。

更に埼玉版の紙面には県内の土地の評価は会議で決まるという記事。
固定資産税を算出する根拠となる評価が会議で決まるとは?・・・
その不思議とも思える実態は今後も連載で報告されるようだ。

シンガーソングライターの吉澤嘉代子さんの読書の日々「大切な時間」
という読書を薦める特設コーナーが川口中央図書館に登場したという記事。

少女時代から図書館に親しんできたことが現在の吉澤さんの支えに
なっているという言葉や『皆が何か熱中している心地よい静けさの中で、
本を読む時間は自分と対峙する大切な時間』という言葉が私の心に
『ぐわ~~ん』と梵鐘のように響いた。

これらの記事に私自身もっともっと郷土愛を持たなければ・・・と、
思ったのである。













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『裕福じゃなくても心豊かに・・・』の仲間たちに感謝とエールを!

2019-12-03 09:09:50 | 喜怒哀楽をポジティブに
先月24日投稿記事の昔の仲間7人が集まった食事会は
本当に楽しく一人一人が発する思い出の言葉に瞬時に呼応する
仲間たちの口元や笑顔が私にとっては宝物のように見えた。

仲間たちはそれぞれお互いの顔を見たとたん、あの頃の記憶が
すぐによみがえり、次々と思い出話を・・・
そして参加できなかった仲間たちの話題も・・・『あいつ今何してる?・・』のように
次々と・・・

そしてラインやアドレスの交換・・・
私は勿論、あの頃に若かった仲間たちもこんな便利な時代が
来るとは思っていなかっただろう。

私の職場で活躍し輝いていた20人の仲間たち・・・
60代、70代になった今も気持ちは萎えていなかった・・・
気持ちは前向きで年齢相応に今も輝いている。
上層部の圧力に屈せず、一人一人の良いところを伸ばし、正しく
褒めながら育てるという私の方針は間違っていなかったようだ。

彼ら彼女らもその後私の意思(?)を次いでくれている様な気がして、
少しじ~んときた。

『桜を見る会』の名簿とは違い、40年以上前のことを鮮やかに
復元できる仲間たちと一緒に仕事ができて、今もこうして思い出を
面白おかしく語り合い、そして宝物のように思える自分が本当に
あの頃から今日まで幸せな時間をそのまま保存出来ていたことを
何よりもうれしく思う。

この仲間たちの信頼関係や想い出を記憶を保存するハードディスクは
ダイヤモンドを砕くような強固なドリルでも壊すことができないものだと思った。

誰言うともなく、『また何度も会いましょう』の言葉とともに次回は
なるべくみんなが集まれるように・・・との工夫の話も・・・。

今回集まった仲間の中には私もそうだが、多少の紆余曲折や
小さな(?)波乱万丈(?)の人生を経た女性もいたが彼女らは
やはり優しさと芯の強さで克服しているようだった。
また今回の7人はみんな『裕福じゃなくても心豊かに・・・』という同じ
気持ちで人生を満喫しているようだった。
お互いにエールを送り続ける今後でありたい。


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大嘘つきで卑怯なコウモリはまたもや洞窟の暗闇へ逃げ込むのか・・・。

2019-12-02 06:45:02 | 喜怒哀楽をポジティブに
私はいつも安倍首相のことを『大嘘つきで小心者の卑怯なコウモリ』と
表現し、その度重なる悪事(強引な悪法)について怒りの発言(投稿)を
してきたが、彼が今回の『桜を見る会』やその前夜祭の疑惑についても
終始卑怯な態度で言い逃れや常套手段の責任回避で逃げ回っている
事に激しい怒りを覚える。

菅官房長官も説明にならぬ説明で問題をはぐらかし、側近や官僚達も
得意の忖度や詭弁で幕引きのための担い手となっているようだ。
国民のために尽くすべき人間たちが揃いもそろって国民に不利益な
ことをしていることを罪とも恥ずかしいとも思わないのか。

検察が動かないことにも大きな疑問を感じる。
今回の疑惑(というより悪事)は「公職選挙法違反」「贈収賄」「便宜供与」などの罪に問われる可能性が大であるにも拘わらず、本来正義に
資することならば積極的に取り組まなければならない立場の検察にも
悪事を突き止めようとする動きがないようだ。
おとなしく『安倍政権に飼いならされた犬』のようにご主人の顔色や
様子を伺っていると言われても反論できないだろう。

過日、フランシスコ教皇が帰国の際、広島、長崎訪問の経験からも
核廃絶に繋げる行動を・・・という話をされたそうだが、卑怯なコウモリ
安倍晋三は核兵器禁止条約については参加もしない日本を恥ずかしいとも思わず、あろうことか『唯一の被爆国として核兵器のない世界の実現を主導していく使命を持つ国、これは私のゆるぎない信念、日本政府の
確固たる方針です』などと臆面もなく大嘘をついているのだ。

彼は子供の頃から大嘘つきだったそうだが素晴らしい国だと思われている日本の首相が大嘘つきで卑怯なコウモリとは嘆かわしい。
若者たちも彼の発言やあの卑怯者そのものを表わす濁った目と目つきを
しっかりとみつめ惑わされないように・・・と願いたい。

この記事を読んでくださってる皆さんも見たくはなくても一度安倍晋三の
卑怯な心で濁った眼を見ていただきたい。

コウモリは人や動物に感染症をもたらすということからも嫌われて
いるということもあり、私はすっかりコウモリを「悪」に結び付けているが
葡萄などに群がる害虫を食べるような種類もいるという。
害虫駆除どころか周りを害虫だらけにしようとしている大コウモリを
何としても倒さなければならないのだが・・・。

コウモリたちにとっても安倍晋三と一緒にされるのは不愉快(?)
だろうが今、彼を正確に表現する言葉としてはまあまあ的確なのでは
ないかと思うのである。


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残り一枚のカレンダーに向かって・・・

2019-12-01 09:30:11 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日は12月1日・・・今日からまた新しい月が始まるが何故かいつもの
月の初めとは違うような何かを感じる。

それは師走(しわす・しはす)という言葉が閃くからだろうか。
壁に掛けてある残り一枚となったカレンダーに予定やメモを書き込もうと
すると、軽く、ふわふわとした感じでペンも動いてしまう。

年初に今年は何かを・・こんなことを・・などと思っていた頃は大きく、
ずっしりと重いカレンダーに向かうと何事にもそれなりに予定やささやかな
目標もあり、意識意欲もあったと思うのだが、月日の経過と共に
それが薄れてきたのは何時頃からだっただろう?・・・。

何をして何を得て、何が残ったのだろうとふり返ってみても残念ながら
これと言って思い当たるものはない。
でも自分を否定したくない私は決して無駄な時間だけを過ごしてきた
訳ではないと思っている。

生きているのだからいろんなことがあって当然・・・形として残るもの、
目に見えて効果が表れ、ひとの役に立ったものなどはなくても、過ぎ去った
時間の中には家族、友人、知人、近隣、地域社会の人たちと共に
小さな喜びや感動を共にできたことを実感できるだけでも良しとしよう。

今、こうして少しの風にでも揺れ動くように軽くなったカレンダーに
向かい、曲がりなりにも無事に過ごしてこれたことや他人にとっては
意味のないような小さな感動や幸せを味わえたこと、更に来年は一段と
元気に意欲的に前向きに・・・と思う気持ちも持続できることや生きている
喜びを感じていることに感謝しながら自分には「老い」はまだまだ遥か
先のことだと空欄に太文字で大きく書き込みたい。




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