遊asobu☆による保育士向上委員会

子育て中の方や、これからの保育士の方々のためになる、発達や保育ブログ、他バドミントン練習日記など。

障害のある子どもの人権と某24時間テレビの違和感

2016年09月04日 | 障害児支援
障害のある子どもを支援するスタッフの中に当たり前のように呼び捨てで子どもを呼んだり、変なあだ名で呼んだりする人がいる




今、教育の現場や保育現場で子どもを呼び捨てにはしないような流れになりつつある



それは子どものことを一人の人間として接するためであり、子どもは大人の小型ではなく、子どもとして子ども時代を生きている一人の人間としての人格を認めるためであって、、



要は子どもの人権を認めようって流れですね




教育や保育を専門とするスタッフの常識になりつつあるのですが、それがなかなか理解できないらしいです




たとえば、特に定型発達の子どもに呼び捨てや変なあだ名で呼ぶと、やめてほしい!と怒ったり悲しんだりというリアクションが返ってくることがある 




それは子どもは常に上から目線で押さえつけて指導する存在ではなく、子ども目線で関わり、対等の立場で子どもが意見を話せるようにすることも必要な支援であり、、



でないと周囲の大人が感じるべき子どものSOSのサインを見逃すことになるんですね




そして障害のある子どもの場合 自らの嫌だという訴えがないからといって周囲の人間が呼び捨てや変なあだ名で呼ぶことは、特別な扱いをしていることになる



それが差別につながるってことなんですね 




それは障害があるって理由で、上から目線で人格を無視していることであり、障害のある子どもにも当然人権があると考えると、もし自らの訴えができたら怒るかも知れない、悲しむかもしれないと定型発達ならどう感じるかを想像しつつ支援するのがいいだろうって、、



変なあだ名ってどういうのかというと、何かに似ているからといってそのもののなまえで呼んだり、名前をもじって有名人と同じ呼び方をしたりということで、その呼び方自体で笑おうという意図がある呼び方で、自ら訴えられない相手に対してだとそれ自体かなり悪意があると言える




なかなかそこまで考えがいかないんだろうけどね 



そんなに深く考えてないよ、とか、、、




でもやっぱりそこは自分だったらどう思うか、定型発達だったらどうかって立場を代えて考えて見る必要がありそうなんですよね





昔はとか呼び捨ての方が近い関係に思えるとかって理由にしても、、、




昔は人権意識が薄かったってことで、ようやく子どもや障害のある人の人権が意識されるようになったと考えなくっちゃ元に戻っちゃう






障害のある人もない人も全ての人が等しく自然に自分らしく生きていける権利がある!という社会全体の共通理解が大切なんだってね







そう考えると、





また違った点でいうと、、、





某24時間テレビの障害者が頑張るだけで感動できる!って番組作りがどこか変って思いますよね






まだまだ障害のある人を特別視している人がどれだけ多いのかって、、、





それは自分の優越感であったり、障害のある人がかわいそうって感覚であったりね、、





そういうところからくる、感動なんだろうなって思ったり、、











すべての人が自然に当たり前に自分らしく生きていけるってことが共通理解なんだったら、誰もが自分のレベルで頑張ることは自然なことで当然なんだって感覚が普通だと思うんですが、、、