細田守さんの映画にはいろいろありますが、
この竜とそばかすの姫は、とても考えさせられる要素がありました。
(少しネタバレを含みますのでご注意ください。)
一番は、主人公すずの母親が亡くなった原因です。
私にはそれが全てといってもいいくらいのメッセージに感じましたが、
自分の子ではない子どもを助けたために、
命を落としてしまいます。
それを主人公のすずはずっと引きずっているように見えます。
なぜ?!の嵐笑
母親は利他的に生きる!!という姿を見せ、
亡くなります。
具体的には伝えた訳じゃなく、
命をとして姿として見せてこの世から居なくなります。
人は他人の自分だけのために生きる姿を見ても、あまり感動したり気持ちを揺さぶられたりはしません。
本当に心に刺さるのは、
人が他人のために動いたとわかった時、自分の人として生まれてきた本来の意味を感じて、感動するのではないでしょうか。
それが人としての本能なのかもしれません。
2番目には、現実世界でさえない生活をしている人が抱えている問題や課題を反動のエネルギーにして、仮想空間でのキャラクターが形作られるという設定が絶妙だなって笑
現実世界でさえない生活をしている人は、仮想空間でもそうなんじゃないかという疑問があります💦
将来的にもし生活空間の一部にまで仮想空間が溶け込んだ時、仮想空間での自分が全く違う人生を歩むということは可能なのでしょうか?
生産性もお金を稼ぐ力も、社会性もコミュ力も現実世界での自分を反映したものになるのではないかという疑い。。
そう考えると仮想空間は全くバラ色とは思えません。
さらなる自己知覚によって、より鮮明に自分という存在を自覚する可能性もあります。
3番目には、虐待をされている子どもが出てきますが、
父親にされていますね。
ここはあえて母親じゃなく、父親なのでしょう。
ありがちな母親の日常の様々なストレスによる精神的な不安定さよりも、父親の仕事含めた、鬱屈した現代の生活を暗に伝えたかったのかもしれません。
私は児童虐待は父親が悪いとか母親が悪いとかいうよりも、
子育てに必要なサポートがない、もしくは足りないことが問題の本質だと思っています。
孤立無援であることが問題の本質だと思っています。
子育ての能力が低いあるいは向いていないご家族は実際に存在しますし、それが悪いということではなく、そのご家族に合った支援があるということが重要です。
それを子どもを産んだのだから直ちにすべては両親の自己責任!であると考えるようでは、児童虐待はなくなりません。
子どもが居る!ということは、即他人事ではないのです。
誰もに関係があります。
直接かかわりがあるかないかは関係がありません。
歳をとって、自分が人間としても社会人としても終盤になっていき、衰え始めた時、
その時の社会を作り、動かしていくのは今の子ども達なのですから。
そして、子どもが虐待をされている場合、
実際は仮想空間があっても見つけられにくいにかもしれません。
今のままでは仮想空間があることで、虐待を受けていることを子ども自ら発信して、助けを求めることが出来る!とは思えません。
映画でもたまたま見つけられた感じですよね。
子どもが幼いと、虐待を受けていると子ども自身が自覚することも難しいですし。
なので、現実世界でもよく思う事なのですが、私は幼い頃から子ども自身に虐待とは何かを大人が説明をしておいた方がいいと思っています。
一部の保護者などが反発をするでしょうけど、
正当な反発する理由はないのではないでしょうか。
自分は虐待を受けていたんだ!と自覚をし、ショックを受ける子どものケアは大切かもしれません。
それよりも、子どもの命や人権を出来るだけ早く守ることが、子どもに関わる大人の役割だと思います。
それ以外に早期発見の解決方法はないかなと。。
最後に全体を通して、歌がとても印象的ですね♪
ベルが歌う歌は、メロディがわからなくても、一緒に口ずさみたくなります笑
人と人とを繋ぐツールとしては、歌はわかりやすいし、国や信条を越えて誰もに伝わりますし、何かを伝える時のハードルが低くなります。
その歌の効果を十分に感じるために、音響効果を最大限にするため、映画館で見る方がいい作品だと思います。
※この作品を私の癖である笑、子ども目線で考えますと、
小学校に入った辺りから見てもらえたら、内容を深く考えることはまだ難しいかもしれませんが、感じるものはあるのではないかと思います。また、大人と一緒に見ることで、キャラクターの心情や考えを解説しながら、意味づけをしていくことも可能だと思います。
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