以前にも書いた事だけれど、自分は相撲に然して関心が無い。「今は何という力士が強い。」程度の知識は在るけれど、あの異常な迄の若貴フィーヴァーの時ですら関心を惹かれる事は無かったし。そんな自分だから今年に入ってからの相撲界のゴタゴタには敢えて触れて来なかったのだが、騒動が一段落した今、「相撲に然して関心の無い人間の視点」から雑感を記してみたい。
先ずは「朝青龍関問題」に付いて。上記の理由から相撲に関する記事は殆ど書いて来なかったけれど、“攘夷論”を振り翳している様な一部の相撲ファンへの違和感は、過去にチラッと触れて来た。内館牧子さん(普段は傾聴に値する主張が多いのだけれど。)に代表される様な「日本人力士が同じ事をしても一切触れないのに、外国人力士の場合は狂った様にバッシングする。」というスタンスには、“捻じれた愛国心”の様な物が垣間見えて共感を覚えなかったし。
これ迄の朝青龍関の素行には眉を顰めたくなる物も確かに在ったけれど、それでも「其処迄バッシングされる事でも無いだろうに。」と冷めた見方をしていた自分。しかし今回の暴行騒動に関して言えば、報道されている事柄が事実ならば朝青龍関がバッシングされるのは当然だと思う。横綱だから何だからという以前の問題で、引退に追い込まれたのも致し方無いと考える。
この件に関して野村沙知代さんが「(朝青龍関と被害者とは)喧嘩両成敗。」と新聞紙上で発言していたけれど、これは全くおかしな話。「朝青龍関及びその関係者2人の乗った車に引っ張り込まれ、その中でボコボコに殴られた被害者にも罪が在る。」というのが通るならば、「通り魔事件に遭った被害者も悪い。」という無茶苦茶な論理が正しいという事になってしまうだろう。世の中には「自分の愛する存在や、自身の所属する組織に関して不都合な事柄」には全て無視を決め込む人が居るけれど、そういった盲愛はどうかと思う。
そして「貴乃花親方の(日本相撲協会の)理事就任」に関してだが、これは良かったと思う。理事選一つ取っても余りに閉鎖的&排他的な面を感じさせる日本相撲協会だけに、貴乃花親方が風穴を開けた事は評価したい。
唯、「貴乃花親方が主張する改革」を盲目的に支持している様な風潮には疑問を感じている。嘗て小泉純一郎首相の「改革宣言」に対し、その中身が明確で無い状態で支持してしまった反省からだ。貴乃花親方が以前主張した「改革案」の中には理解出来る物も在るのだけれど、「サポーター制度」等、「それが本当に相撲界の為になるの?」と首を捻ってしまう物も幾つか在る。
貴乃花部屋では、弟子と親方夫婦が同居していないという話を以前目にした。「弟子の独立心を育てる為。」といった言い分が在るのかもしれないけれど、弟子の中には中学を卒業したばかりの子だって居るだろうし、“通い”でそんな彼等に充分な生活指導が出来るのか不安を覚える。他人様の子供を預かるというのはそんなに生易しい事では無いし、何となく「親方夫婦のプライベートな時間を最優先させた。」という感じがしてしまう。
そんな訳で「貴乃花親方=英雄」といった感じの安直な捉え方から、自分は距離を置きたいと思っている。
先ずは「朝青龍関問題」に付いて。上記の理由から相撲に関する記事は殆ど書いて来なかったけれど、“攘夷論”を振り翳している様な一部の相撲ファンへの違和感は、過去にチラッと触れて来た。内館牧子さん(普段は傾聴に値する主張が多いのだけれど。)に代表される様な「日本人力士が同じ事をしても一切触れないのに、外国人力士の場合は狂った様にバッシングする。」というスタンスには、“捻じれた愛国心”の様な物が垣間見えて共感を覚えなかったし。
これ迄の朝青龍関の素行には眉を顰めたくなる物も確かに在ったけれど、それでも「其処迄バッシングされる事でも無いだろうに。」と冷めた見方をしていた自分。しかし今回の暴行騒動に関して言えば、報道されている事柄が事実ならば朝青龍関がバッシングされるのは当然だと思う。横綱だから何だからという以前の問題で、引退に追い込まれたのも致し方無いと考える。
この件に関して野村沙知代さんが「(朝青龍関と被害者とは)喧嘩両成敗。」と新聞紙上で発言していたけれど、これは全くおかしな話。「朝青龍関及びその関係者2人の乗った車に引っ張り込まれ、その中でボコボコに殴られた被害者にも罪が在る。」というのが通るならば、「通り魔事件に遭った被害者も悪い。」という無茶苦茶な論理が正しいという事になってしまうだろう。世の中には「自分の愛する存在や、自身の所属する組織に関して不都合な事柄」には全て無視を決め込む人が居るけれど、そういった盲愛はどうかと思う。
そして「貴乃花親方の(日本相撲協会の)理事就任」に関してだが、これは良かったと思う。理事選一つ取っても余りに閉鎖的&排他的な面を感じさせる日本相撲協会だけに、貴乃花親方が風穴を開けた事は評価したい。
唯、「貴乃花親方が主張する改革」を盲目的に支持している様な風潮には疑問を感じている。嘗て小泉純一郎首相の「改革宣言」に対し、その中身が明確で無い状態で支持してしまった反省からだ。貴乃花親方が以前主張した「改革案」の中には理解出来る物も在るのだけれど、「サポーター制度」等、「それが本当に相撲界の為になるの?」と首を捻ってしまう物も幾つか在る。
貴乃花部屋では、弟子と親方夫婦が同居していないという話を以前目にした。「弟子の独立心を育てる為。」といった言い分が在るのかもしれないけれど、弟子の中には中学を卒業したばかりの子だって居るだろうし、“通い”でそんな彼等に充分な生活指導が出来るのか不安を覚える。他人様の子供を預かるというのはそんなに生易しい事では無いし、何となく「親方夫婦のプライベートな時間を最優先させた。」という感じがしてしまう。
そんな訳で「貴乃花親方=英雄」といった感じの安直な捉え方から、自分は距離を置きたいと思っている。
なんで不祥事でやめたのに功労金を出したのでしょう。
う~ん。信じられませんなあ。^±^;
相撲、大昔は好きでした。^±^
武蔵丸さんたちがいた頃まで好きでしたね。
武蔵丸さんたち、うちのカメさんと遊んでくれたんですよ。^±^
うちのクサガメ、てくの自慢の一つに、「武蔵丸さんにさわってもらった」というのがあります。
武蔵丸さん、最初は、
「コレ、カミツカナイ?」
とこわごわ触ったんですが、触っておとなしかったのを知ったとたん、
「オーイ、サワッテミロヨ」
と大はしゃぎでした。垣添さんは怖い~と逃げ回ってました。
朝青龍関への功労金に関しては、賛否両論在るでしょうね。私見で言えば「功労金=純粋に相撲での結果で判断される物」という思いが在りますので、彼への功労金は在って良かったと思っているんです。
以前「落合博満氏の落選に思う」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/05005daf75bcd8946651367e65541991)という記事で書いたのですが、「現役選手としての実績はピカ一の落合博満氏が、一発で入れない野球殿堂ってどうなの?」という思いが自分には在ります。マスメディアへの受けが悪いというのが大きな要因と思われますが、「マスメディアへの受けが悪い野球人は対象から外す。」という規定が在るのならばいざ知らず、感情面で「こいつ落としてやれ!」みたいなのは何か違う気がして。
自堕落な生活を送る事に全く抵抗を覚えず、生活保護等を不正に得ている輩には憤りを覚えるけれど、その一方で真にそういった“救い”を得なければならない真っ当な者が、得ないままに死を迎える現実も在る。単に自身の憂さ晴らしの為に他者をバッシングする人が、良く口にする言葉の一つが「自己責任」。その言葉で、真っ当な者迄もが得られるべき物を得られなかったとしたら。「品格」という言葉も、そういったバッシングの為に用いられている様な面は感じますね。
仕分け会議で特定のスポーツへの助成金が打ち切られる決定が為された際、「競技者が可哀想だ。何で打ち切ったのだ?」と批判していたコメンテーターが、バンクーバー・オリンピックに於ける日本人選手のメダル獲得数の予想を求められた際、“同じ口”で「沢山取って貰わないと困ります。血税を注ぎ込んでいるんだから。」と平然と言い放っていました。人によってその受け取り方は色々でしょうが、個人的には「『沢山取って貰わないと困ります。』って何だかなあ・・・。」と感じました。
と思えるくらい私的な席の発言からは
魅力を感じますが・・・
相撲の横綱としては
「やはり伝統を尊重して欲しい」と思います。
野球の清原がデッドボールに弱いことについて
西武のコーチ(土井さんだったか)が
「死球のよけ方を教える間もなく、成長してしまった」と言ったとか。
同様に朝青龍の場合も
とんとん拍子に出世して、
その間に相撲への認識が育つ間もなく
「勝負に勝つ」ことだけが大事、と
思うようになってしまったのかもしれません。
そこは残念なところです・・・
性格が陽性というのも在るのでしょうが、“悪さ”をしても心底憎めない所は朝青龍関には在りましたね。「横綱なのに何を遣ってんだ。」と眉を顰めるも、「ああいう性格だから、まあ仕方無いなあ。」と腹の中では苦笑いしてしまう様な所が。
「日本で力士として生きるならば、最低限必要な要素。」というのを本来は師匠を始めとした相撲関係者が教えて行かなければならなかったのでしょうが、それが充分に出来なかったという面は在るでしょうね。師匠が師匠ですから。でも放任主義過ぎる親方の下だったからこそ、あそこ迄飛び抜けた横綱になれたとも言え、その辺をどう考えるか難しい所では在ります。
今朝のスポーツ報知に、興味深い記事が載っていました。初代・朝青龍関番の記者が記していたのですが、彼は朝青龍関が純朴な学生時代から知っており、当時は11歳年上だった自分の事を「アニキ」と朝青龍関は呼んでいたと。それが入幕して以降は「○○ちゃん」と呼ぶ様になり、番記者を辞めて以降は後輩記者に対して「あのサルはどうしてる?」と「サル呼ばわり」だったとか。(同じ横綱だった曙関は昔から今に到る迄、「○○さん」という呼び方を変えていないのに。)「どう呼ばれても構わないけれど。」という但し書き付きでその記者が書いていたのは、入幕以降の朝青龍関は自身の若かりし頃を知っている古株記者をどんどん遠ざけ、自分に対して厳しい事を“言えない”若手記者を寄せる様になったと。つまり“裸の王様”状態だったとも言えますね。