ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

御正月彼此

2025年01月08日 | 其の他

好きで良く聞いているラジオ番組の1つに、伊集院光氏がニッポン放送パーソナリティー務めている「伊集院光のタネ」が在る。1月3日は、「御正月彼此」というテーマだった。

地域独特スタイルだったり、其の家庭ならではのスタイルだったりという物が、結構在る。正月に関して言えば、良く取り上げられるのは「雑煮」だろう。入っている形状や「焼く?or焼かない?」といった違い、そして雑煮の出汁の違いなんぞは、有名な所だろう。

リスナーからの投稿で印象に残った物を、今日は取り上げてみる。

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・Aさん(40歳・女性)
私が小学校低学年の頃、年末に成ると、母と御正月の買い出しに行くのが恒例でした。其処で母が「御正月はスーパーや色んな御店が御休みに成って買い物に来られないから、今の内に御菓子を好きなだけ買って良いよ。」と言い、何時もの買い物では1つしか買ってくれない御菓子を、好きなだけ買ってくれたんです。買い物籠に御菓子を沢山入れて「此れで良い。」と言うと、母は「もう良いの?もっと買って良いのよ。」と言います。余り裕福な家庭では無かったので、(普段は)「好きなだけ買って良いよ。」なんて言われた事も無かったし、物を強請る事にも慣れていなかった私は「本当に・・・本当に・・・もっと良いの?」と言い乍ら、御菓子を買って貰ったのを良く覚えています。そして、御正月を迎えると、私は買って貰った沢山の御菓子を、少しずつ少しずつ2週間以上掛けて食べました。今もそうなのですが、我乍ら「貧乏性な子供だったなあ。」と思います。
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16年前の記事「何時もと違う世界
」でも書いた様に、自分の幼少期、もう半世紀近く前に成るけれど、正月に開いている店なんか無かった。コンヴィニなんか普及していなかった時代で、元日どころか三箇日はそんな感じで、街は静寂さに包まれていたっけ。

現在40歳のAさんが小学校低学年の頃は、其れよりも店は開いていたかも知れないが、少なくとも今の様に「コンヴィニを含めて、少なからずの店が元日から開いている。」という状況では無かった「正月、着物を着た人が歩いている姿を、街中で結構見掛けた。」という、"晴れと褻"の晴れ明瞭に存在している時代だったと思う。

番組内で伊集院氏達が話していた様に、「家の経済状況を考えて御菓子の買い置きを遠慮する娘と、そんな娘の気持ちを不憫に思い、『もう良いの?もっと買って良いのよ。』と言う母親。」の事を思うと、切ない気持ちに成る。

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・Bさん(55歳・恐らく女性)
私の生まれ育った高知県には、"門松"という物が在りました。縦長の紙に門松の絵が2つ印刷されていて、切り離して玄関の左右に貼るという物です。立派な門松を置けない様な小さな家やアパート等でも使える便利な物で、私は「此れは、全に在る物。」だと思っていました。東京に出て来て、紙門松が無いのに驚いた物です。(高知県では)必ず年末の新聞に、折り込み(広告)と一緒に(紙門松が)入っていたと記憶しています。
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"紙門松"という物、今回初めて知った。調べてみると、"門松用紙"という名称で利用されている所も在る様だ。

そして、伊集院氏が最近、門松自体が減った。又、"ベンツのマークの所に付ける蜜柑の飾り物"も見なくなった。と言っていた。御正月で見掛けなくなった光景は幾つも在るが、確かに車に付ける蜜柑の飾り物は見掛けなく成ったし、門松どころか松飾りを付けている所が非常に減った気がする。松飾りを見掛けると「嗚呼、御正月なんだなあ。」と改めて感じていただけに、何か寂しい気が。

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・Cさん(54歳・恐らく女性)
我が家では母が大晦日に、家族皆の枕元に蜜柑を1つづつ置きます。「日付けが変わり、新年最初の目覚め直後に、其の蜜柑を食べ切ると、其の年を元気に過ごせる。」という習わしが在るんです。此れは「母が幼い頃から、母の曾祖母遣っていたという習慣。」を、母が引き継ぎ守っているんです。2024年の御正月も、母が置いてくれた蜜柑を、目覚め直後に黙々と食べました。母は此の1年で認知症が進んでしまい、今年(2024年)の大晦日に蜜柑の事を思い出してくれるかどうか、見守ろうと思います。若し蜜柑が無くても、私が母の枕元に蜜柑を置きましょう。
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1年の最初に、家族にビタミンC摂取させ、1年の健康を祈念する。という、其の家庭ならではのスタイルなのだろう。母親の優しい思い、そして、認知症を罹患した母に対する娘の優しい思いが伝わって来る投稿だ。

其の家庭ならではのスタイルといえば、17年前の記事「節分の思い出」の中で記した「節分の日、親がチョコレートや等の御菓子を幾つかに小分けし、其れ等をティッシュ・ペーパー包んだ物を、真っ暗にした部屋に子供達を集めた上で放り、子供達が競って取るというイヴェント。」が、我が家には在った。元々、母方祖父母が行っていたイヴェントとの事で、子供だった頃の母が「非常に楽しかったから。」という事で、我が家でも自分が小学生の時行っていた。

凄く楽しいイヴェントで、或る節分の日に学校の同級生を数人呼んで、我が家の和室を真っ暗にして行った事が1度在る。皆、「わあわあ。」騒ぎ乍ら、大喜びしていたが、終わって電気を点けると、室内の障子彼方此方が破れ、丸で"台風一過の様な惨状"だったのを覚えている。


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