リアル・タイムで見聞して来ただけでも、世間を震撼させた殺人事件は枚挙に遑が無いけれど、「若し被害者が自分の身内だったら、加害者を自ら八つ裂きにして遣りたい。」と思ってしまう程、残忍で悍ましい物と成ると「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」、「神戸連続児童殺傷事件」、そして「女子高生コンクリート詰め殺人事件」が在る。
1989年に発覚した「女子高生コンクリート詰め殺人事件」に付いて、自分と同様にリアル・タイムで見聞した人は、今でも忘れられない事だろう。御存知無い方も居られ様が、加害者の犯行は"鬼畜の所業"としか思えない物で在り、此処に詳細を記すのは控えるが、どうしても知りたい方は、充分な心構えをした上で、リンク先を読んで貰いたい。
加害者はA(当時18歳)、B(当時17歳)、C(当時16歳)、そしてD(当時17歳)の4人。何れも当時は未成年扱いだが、犯行内容は「死刑にすべきだ!」と自分を含め多くの人達が思ったで在ろうレヴェル。結局、主犯格のAには「懲役20年」、Bには「懲役5年以上10年以下の不定期刑」、Cには「懲役5年以上9年以下の不定期刑」、そしてDには「懲役5年以上7年以下の不定期刑」が其れ其れ確定し、少年刑務所に収容される事に。
4人全員、2009年迄には出所した様だが、此方に記されている通り、少なくともD以外の3人は再び犯罪に手を染める等、全く反省が見られない状況。そして、Dは「2021年5月、自宅で呼吸困難に陥り、病院へ搬送されるも、49歳で亡くなった。」と言う。
残った3人の内、Bが「2022年7月16日、51歳にて自宅で事故死していた。」事が、先日明らかと成った【動画】。
Bの義兄が亡くなった事実を明らかにしたそうだが、「仕事もせずに生活保護を受給していたBは、1人部屋に引き籠る生活を送っていたが、Bの母親が何時もの様に弁当を持って行くと、トイレの中で倒れた状態でBは発見され、病院へ搬送されるも死亡が確認された。」と言う。「Bは感情を抑える薬を服用していたが、ふらついてトイレの中で倒れ、便器とタンクの間に頭が挟まって外れなく成り、嘔吐して亡くなった。」と見られ、事故死と判断された。
Bの義兄はBに初めて会った時の印象を「こんな言い方したら変ですけど、薄気味悪い。嫌な印象しか無かったですね。」、「俺様という感じで、『自分が一番だぞ!』という態度でしたね。」と語っている。又、出所後に一旦は仕事に就くも、長くは続かずに退社。以降、義兄によると「会社を辞めてからはフラフラする様に成って、仕事はしませんでした。母親に、金を無心する様に成りました。」、「出所した後は、人生一からだからローンも沢山組めるし、自分の遣りたい事は全て出来た様です。高級車をローンで買う等、『遣り過ぎじゃないかな。』っていう生活を始めました。『自分が一番だぞ!』という態度でした。」と言う。
義兄はBに対して哀れみや同情の言葉を一切発する事無く、「Bが犯した罪は許される物では無い。」とした上で、「人には其れ其れ生き様が在りますが、彼だけの事をした訳ですから、Bを許せる人は居ないと思うんです。51年間生きていたという事自体、私には許せない。」と話している。
自分は綺麗事を言うのが大嫌いなので、ハッキリ書く。人によっては「死者に鞭打つ様な事はすべきじゃ無い。」と言うだろうが、では「"惨殺"された被害者の立場はどうなのか?」と言いたい。
「余りにも惨めな亡くなり方をBはした訳だが、加害行為、そして出所後の生き方を考え合わせると『自業自得』、『因果応報』としか自分は思えない。」と、自分は考えている。