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蒸し暑い夜だった。2003年夏。人事のスペシャリストとして企業を渡り歩いてきた東京都内の男性会社員Iさん(57歳)は、通信系企業でリストラ計画の責任者を務めていた。515人を300人に減らすという猛烈なリストラの真っ最中だった。
午後10時すぎ、新宿御苑近くの社を出て、JR新宿駅まで歩いた。埼京線のホームに立ったとき、いきなり背中を突き飛ばされ、よろめいた。線路に落ちる手前で何とか踏ん張った。後ろを振り返った。ホームを見回したが、知った顔はなかった。
あの日のことは、今も忘れられない。しかし、運命とは皮肉なものだと思う。いま、我が身に、リストラの波が押し寄せているからだ。
(中略)
前述のIさんは1990年代、日本企業としてはいち早く早期希望退職募集に踏み切った日本IBMで、リストラ計画を練るプロジェクトの担当になった。
リストラにかかわるチームの最初の打ち合わせで、上司が冒頭に立ち上がって、背広を脱いでみせた。防弾チョッキを着ていた。静まりかえる会議室の中で、上司は言った。「米国では、俺たちみたいな仕事をしていて撃たれるやつがいる。」。だから、そんな目に遭わないよう、丁寧なやり方で人員削減に取り組め、というメッセージだった。それを忠実に守ってきたはずだった。しかし―。
2003年の夏、埼京線のホームで突き飛ばされる3ヶ月前、突然入ってきた3人の従業員に、「この野郎!お前のせいだ。」と、殴りかかられた。Iさんは言う。「私は間違ったことをしているとは思っていなかった。この会社に居場所がない以上、別の会社に行ってもらうのが彼らのためになると信じていた。それが理解されていないのが、ショックだった。」。
「突き飛ばし事件」から1ヶ月して、会社を辞めた。しばらくは人に会う気が起きなかった。子どもが小さく、家でぶらぶらしていると、近所の人が奇異の目で見つめる。飼い猫に話しかけているとき、一番心が安らいだ。
それから5年。働いてみたい企業に出会った。話はとんとん拍子に進んだ。待遇面は満足できたが、入社早々、大規模リストラに着手するのが採用の条件だった。
埼京線のホームの記憶がよみがえり、断った。そして、今の会社に入った。そこで、リストラの対象になった。
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冒頭に記したのは、AERA(1月25日号)に載っていた「クビ切りサバイバル」という記事からの抜粋で在る。リストラを担当する側だったI氏が経験した恐怖の出来事、そして今はそのI氏がリストラされる側に在る状況が記されている。
この記事を読んで思い出すのは、今からウン十年前の出来事。自分は小学校の低学年で、父は某メーカーの工場長を務めていた。当時も不景気風が吹き荒れていた様だが、幼かった自分はそんな事が判り様も無かった。でも或る時期、帰宅した父が深刻な顔をずっとしていたのは覚えている。そして或る日、母からこんな事を言われた。
「御父さんは今、会社からの命令で工場の人を首にしなければいけないの。それで御父さんが『辞めさせられた人の恨みを買わないとは言えないし、誘拐等には気を付ける様に。』って言ってたから、注意してね。」
幸いにして家族に危害が及ぶ事は無かったけれど、両親は真剣にその事を心配していた様だ。それから何年か経った頃、当時の話を母から聞いた。自分が感じていた以上に、父はリストラに悩んでいたと言う。「本当は誰も辞めさせたくない。でも、誰かを辞めさせなければならない。『能力的に言えばあいつを辞めさせるべきなのかもしれないけれど、彼は障害を持った子供を抱えているのでそれは出来ない。じゃあ誰を辞めさせれば良いのか?』等と悩みは尽きなかった。『辞めて欲しい。』と宣告する以上は、次の働き場所も見付けてやるのが自分の責務と考えていたし。」とも話していたとか。
NHKでは「君たちに明日はない」というドラマが放送中。リストラを専門に請け負う会社に勤務する青年の姿を描いた作品だが、リストラを宣告した相手に泣かれたり殴られたり、そして自分自身の仕事に懊悩したりしているのが印象的だ。
企業のトップは別にしても、「『切る方』にも『切られる方』にも地獄は存在する。」と言えるのかもしれない。
蒸し暑い夜だった。2003年夏。人事のスペシャリストとして企業を渡り歩いてきた東京都内の男性会社員Iさん(57歳)は、通信系企業でリストラ計画の責任者を務めていた。515人を300人に減らすという猛烈なリストラの真っ最中だった。
午後10時すぎ、新宿御苑近くの社を出て、JR新宿駅まで歩いた。埼京線のホームに立ったとき、いきなり背中を突き飛ばされ、よろめいた。線路に落ちる手前で何とか踏ん張った。後ろを振り返った。ホームを見回したが、知った顔はなかった。
あの日のことは、今も忘れられない。しかし、運命とは皮肉なものだと思う。いま、我が身に、リストラの波が押し寄せているからだ。
(中略)
前述のIさんは1990年代、日本企業としてはいち早く早期希望退職募集に踏み切った日本IBMで、リストラ計画を練るプロジェクトの担当になった。
リストラにかかわるチームの最初の打ち合わせで、上司が冒頭に立ち上がって、背広を脱いでみせた。防弾チョッキを着ていた。静まりかえる会議室の中で、上司は言った。「米国では、俺たちみたいな仕事をしていて撃たれるやつがいる。」。だから、そんな目に遭わないよう、丁寧なやり方で人員削減に取り組め、というメッセージだった。それを忠実に守ってきたはずだった。しかし―。
2003年の夏、埼京線のホームで突き飛ばされる3ヶ月前、突然入ってきた3人の従業員に、「この野郎!お前のせいだ。」と、殴りかかられた。Iさんは言う。「私は間違ったことをしているとは思っていなかった。この会社に居場所がない以上、別の会社に行ってもらうのが彼らのためになると信じていた。それが理解されていないのが、ショックだった。」。
「突き飛ばし事件」から1ヶ月して、会社を辞めた。しばらくは人に会う気が起きなかった。子どもが小さく、家でぶらぶらしていると、近所の人が奇異の目で見つめる。飼い猫に話しかけているとき、一番心が安らいだ。
それから5年。働いてみたい企業に出会った。話はとんとん拍子に進んだ。待遇面は満足できたが、入社早々、大規模リストラに着手するのが採用の条件だった。
埼京線のホームの記憶がよみがえり、断った。そして、今の会社に入った。そこで、リストラの対象になった。
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冒頭に記したのは、AERA(1月25日号)に載っていた「クビ切りサバイバル」という記事からの抜粋で在る。リストラを担当する側だったI氏が経験した恐怖の出来事、そして今はそのI氏がリストラされる側に在る状況が記されている。
この記事を読んで思い出すのは、今からウン十年前の出来事。自分は小学校の低学年で、父は某メーカーの工場長を務めていた。当時も不景気風が吹き荒れていた様だが、幼かった自分はそんな事が判り様も無かった。でも或る時期、帰宅した父が深刻な顔をずっとしていたのは覚えている。そして或る日、母からこんな事を言われた。
「御父さんは今、会社からの命令で工場の人を首にしなければいけないの。それで御父さんが『辞めさせられた人の恨みを買わないとは言えないし、誘拐等には気を付ける様に。』って言ってたから、注意してね。」
幸いにして家族に危害が及ぶ事は無かったけれど、両親は真剣にその事を心配していた様だ。それから何年か経った頃、当時の話を母から聞いた。自分が感じていた以上に、父はリストラに悩んでいたと言う。「本当は誰も辞めさせたくない。でも、誰かを辞めさせなければならない。『能力的に言えばあいつを辞めさせるべきなのかもしれないけれど、彼は障害を持った子供を抱えているのでそれは出来ない。じゃあ誰を辞めさせれば良いのか?』等と悩みは尽きなかった。『辞めて欲しい。』と宣告する以上は、次の働き場所も見付けてやるのが自分の責務と考えていたし。」とも話していたとか。
NHKでは「君たちに明日はない」というドラマが放送中。リストラを専門に請け負う会社に勤務する青年の姿を描いた作品だが、リストラを宣告した相手に泣かれたり殴られたり、そして自分自身の仕事に懊悩したりしているのが印象的だ。
企業のトップは別にしても、「『切る方』にも『切られる方』にも地獄は存在する。」と言えるのかもしれない。

その私をリストラした会社は今もあります。一度倒産して、他の経営者に買い取られて、新会社として存続しています。
この会社での、退職者ばかりの最後の説明会で、私は「私たち従業員はこうして会社を去ります。あなたたちはだれが去りますか」と、前に居並ぶ経営陣に(ここの社長はいませんでした)聞きました。
だれ一人辞めません。従業員を切って自分たちは会社に居残るのです。結果として、その会社はつぶれ人手に渡りました。
社長は会社譲渡で少なからぬお金を得て、どっかへ行ったそうです。
こんなヤツもおるのです。
「現金取引でないと商品を搬入しない。」
と宣告され、そのあげくに「廃業」してしまいました。
親会社より「転籍」していた僕に、親会社に再就職のチャンスは与えられませんでした。仮にあったとしても断っていたと思います。
今、思えば、潰れるべくして潰れた会社だったと思います。社員のあまりの意識の低さにあきれかえっていましたので、早く辞めたいと思ってましたが、なかなか決心がつかず、会社の方から倒れてくれたので退職金が満額もらえて良かったと思っています。
今は非正規雇用社員の身分ですが、給与以外の面では概ね満足です。さすがに今の会社には勤務時間中にラジコンカーで遊ぶ奴もいないし、会社の車に勝手にカーステレオを取り付けて、仕事中にヒップホップをがんがんかけて、タイヤを鳴らして走り回る奴もいないし、そんな事をする奴を見て見ぬふりをする管理者もいません。
かつて、社員の前で
「賞与の支給は経営者の義務ではない。」
とのたまった事もある親会社の社長、先日久しぶりに見たときはやつれていました。