ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

そうか、もう〇〇は居ないのか・・・

2024年08月16日 | 其の他

ブログを立ち上げて以降、「以前とは変わったなあ。」と自分に付いて感じる事が幾つか在る。外出中、其れも“周り”に意識を払ってはいたが、「より意識を払う様になった。」というのも、変化の1つだろう。「今日はブログで、どんな記事を書こうかなあ。」と思う様になると、「街中には結構、興味深い言動溢れている。」事に気付き、より意識を払う様になったというのが在る。先月書いた記事「肩を落とした御父さん」で紹介した会話なんかも、そんな意識が在ったからこそ、耳に飛び込んで来たと言っても良い。

で、今週、ショッピング・センターに行った時の話。エスカレーターに乗ったら、目の前に子供2人を連れた御父さんが居た。子供は2人共男の子で、長男は多分小学校2年生位。御父さんの“見た目”は、30代後半といった感じ(後述する理由から、実際にはもう少し上かも知れないが。)。御父さんは長男に対し、次の様に話したのだった。

父親:御父さんが高校生の時にね、携帯(電話)が出て来た。其の前には、“電話っていう物”が在ってね・・・。。(「高校生の時に、携帯が出て来た。」というのをどう解釈するかによって、御父さんの年齢は違って来るだろう。「出て来る=普及」という事だと、40代前半位か?)

驚きが強過ぎて、続きの会話が耳に入らなかった。何が驚いたって、「其の前には、電話が在ってね・・・。」では無く、「其の前には、”電話って物”が在ってね・・・。」と父親が言ったからだ。詰まり、父親は長男が「電話の存在どころか、電話という言葉自体も知らないで在ろう。」という大前提で話していたと思われる。落ち着いて考えたら、長男位の年齢だったら、生まれた時から“スマホ”が当たり前の世界で在り、「自宅には固定電話が無く、又、街中で公衆電話目にした事も無い。」“ならば”、電話という存在を全く知らない可能性は充分考えられる。そして、スマホは飽く迄もスマホで在り、“スマート電話”とは呼ばないので、電話という言葉自体知らなくても、全くおかしくは無いのだ。

16年前、「そうか、もう君はいないのか」というエッセー集がベスト・セラーとなったが、此のタイトルを借りると、「そうか、もう“電話”は居ないのか」という思いになった。

自分の祖父母が若かりし頃、洗濯は洗濯板で行うのが当たり前だったと言う。「高度経済成長期を経て、洗濯は洗濯機で行うのが当たり前になって久しくなった頃に、若し祖父母が『昔、“盥や洗濯板っていう物”が在ってね・・・。』と子供に話す父親を見掛けたら、今回の自分の様に絶句してしまったかもなあ・・・。」と思いつつ、其の日は帰路就いた。


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