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One For All~All For One! 倭は 国の まほろば たたなずく 青垣 山隠れる 倭し美し!

{現世利益} 聖天さんの 厄除 大根炊き

2008年12月01日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
釈尊が 菩提樹のもとで 瞑想され--悟りを開かれた日に
営まれているとも言われる--京都.上京区 千本釈迦堂の
≪諸病除け≫の大根炊きは 7日~8日が予定されており--
大鍋で炊かれた大根を食べると諸病除けになる--とも
言われておりますね!

棒鱈の ねぢれ師走の 錦市     森ひろ (馬醉木)
燃ゆる胸秘めて師走の岳目指す   徳田正樹 (河鹿 )
ヘリオスの子の弾け飛ぶ師走かな  山田富朗 (遠嶺 )


冬銀河到来~生駒聖天 厄除 大根焚き(師走 一日)

生駒聖天の好物である 大根が 炊かれ
厄除けも兼ねて 参拝者に振る舞われる 師走一日  
「現世利益」の宝山寺は商売繁盛等にも御利益が有ると言われ
全国各地から 今年も信仰心の厚い 多数の参詣者が集い---
談笑を交えながら湯気溢れる大根炊きを楽しんで居られました


「大空の中に龍に乗れる者あり かたち唐人に似たり
青き油笠を着て葛城の嶺より馳せて胆駒山(いこまやま)に隠る
午の時にいたりて住吉の松のいただきの上より西に向い馳せ去りぬ」
~(日本書記) 中大兄皇子の母皇極天皇が 斉明天皇として再び
即位された年(六五五)の記録にもあり~~
悠久の時代から 生駒山は 神霊の宿る山-----

また 生駒山は 今も山中にお瀧場として 霊場が点在しています
弘法大師以後 般若窟は生駒山中の霊場の中心なり 寛平年間に
生駒仙という者がいて 菩提を求めて行をしたとされています

延宝六年(一六七八)十月十日に 中興開山 
湛海律師が入山された当時 --その頃の山は 鬼や化け物などの
妖怪が住み着いて 人々を脅すので 村人も 午後四時を過ぎると
山には入りませんでしたが~~庄屋さんは これは般若の岩屋の罰を
受けているからであろうと 山を治めてくれる行者を探し求め
不動尊の行者として名が知れ渡っていた 湛海に白羽の矢をたて--
庄屋の話を伝え聞くや 湛海は二つ返事で生駒へ移ることを決心
庄屋を道案内として山に入られました

入山第一日目、散らばった石を取り片付け 座禅が出来るほどの
土地を整理して 夜露が掛からない様に菰を張りって瞑想していると
夢のなかに 財天女がお出ましになり 天女は手桶を持って
水をお汲みになり 湛海を接待なさろうとされるご様子で
何なりとも仰せの様に致しましょうと申されました

それから三四日経った夜のこと、髪の毛が針のように尖り 
肌はごつごつとした岩のような大きな夜叉が組付いてきて
「ここは俺が住んでいる所だ、早く立ち去れ」と湛海を
圧し潰そうとしましたが 和尚は少しも慌てず ---- 
一心に不動明王のご真言を唱えると 夜叉も後をも振り向かずに
北の方へ逃げて行ったと伝えられています


本尊不動明王坐像

八万枚の護摩供を終えられた 湛海はその年の 秋 八月に
本尊不動明王坐像を刻まれました
和尚は僧侶としての修練を積まれながら 多くの仏像を刻まれ
仏画を描かれています 中でも不動明王を始めとする忿怒像に関しては
江戸時代随一の技術だとも評価されています
長い間の修行の上での仏像・仏画は、単なる仏師にはない鋭さを持ち 
拝する者に畏敬の念を起こさせます
特に元禄十四年(一七〇一)に彫刻された厨子入り五大明王像は
国の重要文化財にも指定されています


小諸日記



酒旨し 師走に友と 歌ふ時    大三


己丑の年頭に 一の鳥居を飾る 注連縄

冬銀河到来~「現世利益」を願い 多くの参拝者を迎える
大鳥居の注連縄は~ 師走十六日の奉納される日まで 
宝山寺の境内に置かれています
                多謝!   多謝!