志摩の果 安乗の小村 早手風岩をとよもし
柳道木々を根こじて 虚空飛ぶ断れの 細葉
《安乗の稚児》 漂泊の詩人
伊良子 精白 詩集「孔雀船」(明治38)所収
美し国~伊勢.志摩~(椰子の実) 流れ来る---伊良湖 行
五十鈴川 上流に御鎮座の 皇大神宮(内宮)
伊勢の山田の原に御鎮座の 豊受大神宮(外宮)
伊勢太神宮にて--『二拝 二拍手 一拝』
『お伊勢さん』」の{おかげ横丁}を通り~~
鳥羽着~先ずは 熊野水軍総督 九鬼嘉隆の
《鳥羽の浮き城》及び 22年間 鳥羽の小浜で
町医者として過ごしたと言われる 漂泊の詩人
伊良子精白の旧家が鳥羽マリンパークに
移築されたと聞き炎天下の鳥羽駅を徒歩で出発!
明治10年10月4日島根に生まれた 伊良子精白
(輝造)は 明治32年6月に京都府立医学校を卒業~
鳥羽小浜で 漁村の治療に専念した医師でもあり---
ロマンチックな空想を基調--豊富な抒情性.物語性を
伴った--18の詩篇だけを積んだ『孔雀船』を残して
明治の詩壇から 消え去った(漂泊の詩人)と---
言われていますね!
『孔雀船』巻頭の 《漂泊》
蓆戸に 秋風吹いて 川添の旅籠屋さびし
哀れなる旅の男は 夕暮れの空を眺めて
いと低く 歌いはじめぬ ~~~
《安乗の稚児》
志摩の果 安乗の小村 早手風岩をとよもし
柳道木々を根こじて 虚空飛ぶ断れの 細葉 ~
石垣だけが残る 熊野水軍総督・九鬼嘉隆
《鳥羽の浮き城》《錦(二色)城》
大手門を{海}に向け---{海側が黒色} {山側が白色}で
あり《信長に頼られ家康に恐れられた》と
言われている--熊野水軍-九鬼嘉隆の居城~
その後は内藤 土居 松平 坂倉~稲垣が最後の藩主と
なったが 明治4年度会県に編入~~
《鳥羽の浮き城》は夏休み中の現在--親子ずれで
賑わう鳥羽水族館を眺めるように戦国 熊野水軍総督
九鬼 嘉隆の 栄華を偲ぶかの如く 蝉時雨---石垣
(城跡)だけが ひっそりと残っていました
実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂~伊良湖岬
高速道路・ETC割引などの影響等々で『伊勢湾フェリー』は
今年 (2010)9月末で航路を廃止予定と言う報道を
宿泊でお世話になった (鳥羽ビューホテル)《花真珠》の
ロビーで初めて知り~急遽 朝一番の『伊勢湾フェリー』で
島崎藤村の『椰子の実』でも有名な 渥美半島の
伊良湖「椰子の実」記念碑へと~《潮騒》の島《神島》や
《管島》《答志島》巡り~~炎天下の伊勢湾 (鳥羽市―
愛知県田原市) へと 横断 致しました
レンタ.サイクルで 伊良湖岬灯台 藤村の『椰子の実』渥美半島
思いやる八重の汐々 いずれの日にか故国に帰らん
「椰子の実」記念碑
名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
故郷の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月
旧の木は生いや茂れる 枝はなお影をやなせる
われもまた渚を枕 孤身の 浮寝の旅ぞ
実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂
海の日の沈むを見れば 激(たぎ)り落つ異郷の涙
思いやる八重の汐々 いずれの日にか故国に帰らん
(椰子の實)の本文--岩波文庫『藤村詩抄』(昭和2年7月)
離郷遠寓椰樹国 独有潮声似窮北
思郷念或熾即走海之浜
聴此熟耳響欝懐得少伸
森鷗外の訳詩集『於母影・思郷』~この詩も独逸の詩人
カール・ボエルマン作を「思郷」と題して意訳した---
漢詩から主題 詩想を借りてきているとされていますね!
《名も知らぬ 遠き島より 流れよる 椰子の実ひとつ・・》
我が家の 夏の味覚 トマトも 灼熱の太陽の
恵みを受け 今年も豊作!
燦燦と注ぐ 太陽の恵みを受けている~~
我が家の 太陽光発電システム《太陽光 発電所) 》
炎天を 槍のごとくに 涼気すぐ 飯田 蛇笏
炎天(まるで燃えるような天空)下を一本の槍の様に
涼気が過ぎていく---蛇笏師の眼には~
灼熱の太陽 炎天下乍ら「槍のごとき」---
爽快感で満ち溢れて 鮮やかな表現ですね!
柳道木々を根こじて 虚空飛ぶ断れの 細葉
《安乗の稚児》 漂泊の詩人
伊良子 精白 詩集「孔雀船」(明治38)所収
美し国~伊勢.志摩~(椰子の実) 流れ来る---伊良湖 行
五十鈴川 上流に御鎮座の 皇大神宮(内宮)
伊勢の山田の原に御鎮座の 豊受大神宮(外宮)
伊勢太神宮にて--『二拝 二拍手 一拝』
『お伊勢さん』」の{おかげ横丁}を通り~~
鳥羽着~先ずは 熊野水軍総督 九鬼嘉隆の
《鳥羽の浮き城》及び 22年間 鳥羽の小浜で
町医者として過ごしたと言われる 漂泊の詩人
伊良子精白の旧家が鳥羽マリンパークに
移築されたと聞き炎天下の鳥羽駅を徒歩で出発!
明治10年10月4日島根に生まれた 伊良子精白
(輝造)は 明治32年6月に京都府立医学校を卒業~
鳥羽小浜で 漁村の治療に専念した医師でもあり---
ロマンチックな空想を基調--豊富な抒情性.物語性を
伴った--18の詩篇だけを積んだ『孔雀船』を残して
明治の詩壇から 消え去った(漂泊の詩人)と---
言われていますね!
『孔雀船』巻頭の 《漂泊》
蓆戸に 秋風吹いて 川添の旅籠屋さびし
哀れなる旅の男は 夕暮れの空を眺めて
いと低く 歌いはじめぬ ~~~
《安乗の稚児》
志摩の果 安乗の小村 早手風岩をとよもし
柳道木々を根こじて 虚空飛ぶ断れの 細葉 ~
石垣だけが残る 熊野水軍総督・九鬼嘉隆
《鳥羽の浮き城》《錦(二色)城》
大手門を{海}に向け---{海側が黒色} {山側が白色}で
あり《信長に頼られ家康に恐れられた》と
言われている--熊野水軍-九鬼嘉隆の居城~
その後は内藤 土居 松平 坂倉~稲垣が最後の藩主と
なったが 明治4年度会県に編入~~
《鳥羽の浮き城》は夏休み中の現在--親子ずれで
賑わう鳥羽水族館を眺めるように戦国 熊野水軍総督
九鬼 嘉隆の 栄華を偲ぶかの如く 蝉時雨---石垣
(城跡)だけが ひっそりと残っていました
実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂~伊良湖岬
高速道路・ETC割引などの影響等々で『伊勢湾フェリー』は
今年 (2010)9月末で航路を廃止予定と言う報道を
宿泊でお世話になった (鳥羽ビューホテル)《花真珠》の
ロビーで初めて知り~急遽 朝一番の『伊勢湾フェリー』で
島崎藤村の『椰子の実』でも有名な 渥美半島の
伊良湖「椰子の実」記念碑へと~《潮騒》の島《神島》や
《管島》《答志島》巡り~~炎天下の伊勢湾 (鳥羽市―
愛知県田原市) へと 横断 致しました
レンタ.サイクルで 伊良湖岬灯台 藤村の『椰子の実』渥美半島
思いやる八重の汐々 いずれの日にか故国に帰らん
「椰子の実」記念碑
名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
故郷の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月
旧の木は生いや茂れる 枝はなお影をやなせる
われもまた渚を枕 孤身の 浮寝の旅ぞ
実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂
海の日の沈むを見れば 激(たぎ)り落つ異郷の涙
思いやる八重の汐々 いずれの日にか故国に帰らん
(椰子の實)の本文--岩波文庫『藤村詩抄』(昭和2年7月)
離郷遠寓椰樹国 独有潮声似窮北
思郷念或熾即走海之浜
聴此熟耳響欝懐得少伸
森鷗外の訳詩集『於母影・思郷』~この詩も独逸の詩人
カール・ボエルマン作を「思郷」と題して意訳した---
漢詩から主題 詩想を借りてきているとされていますね!
《名も知らぬ 遠き島より 流れよる 椰子の実ひとつ・・》
我が家の 夏の味覚 トマトも 灼熱の太陽の
恵みを受け 今年も豊作!
燦燦と注ぐ 太陽の恵みを受けている~~
我が家の 太陽光発電システム《太陽光 発電所) 》
炎天を 槍のごとくに 涼気すぐ 飯田 蛇笏
炎天(まるで燃えるような天空)下を一本の槍の様に
涼気が過ぎていく---蛇笏師の眼には~
灼熱の太陽 炎天下乍ら「槍のごとき」---
爽快感で満ち溢れて 鮮やかな表現ですね!