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One For All~All For One! 倭は 国の まほろば たたなずく 青垣 山隠れる 倭し美し!

錦繍~極楽寺坂越え行けば--露坐の大仏~鎌倉.横浜.東京行

2010年11月18日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
由比の浜辺を右に見て 雪の下村過行けば
八幡宮の御社  上るや石のきざはしの
左に高き大銀杏 問わばや遠き世々の跡
~~

『鎌 倉』 芳賀矢一 作詞
 尋常小学読本唱歌{明治43年}



極楽寺坂越え行けば 長谷観音の堂近く
露坐の大仏おわします~~建長円覚古寺の
山門高き松風に昔の音やこもるらん
~~



懐かしい唱歌~『鎌倉』~芳賀矢一作詞
(尋常小学読本)を口ずさみ乍 先ず散策したのが
錦秋の『鎌倉 五山』でした

《水墨・頂相・禅刹の伽藍》に『禅宗 芸術』
昇華『鎌倉五山』--建長.円覚.寿福.浄智.浄妙寺
禅刹 建長寺の伽藍--円覚寺舎利殿等々を散策

鎌倉時代--{南宗末期--禅宗 保護 統制の為
格式高い寺}~五山制度を導入~ 栄西禅師が
開いた臨済宗の寺~鎌倉の禅刹を五大官寺と
呼ばれ{室町初期}鎌倉.京都各々に五山が
定められ--それに次ぐ十刹と緒山が選ばれたと
伝えられていますね!

足利義満{至徳3(1386)年}~五山の上に
南禅寺がおかれ--京五山として天竜寺.相国寺
建仁寺.東福寺.万寿寺を称されている事は
あまりにも有名ですね!

その後徳川幕府が{元和元年(1615)}
五山十刹に対し法度を出したとされていますね!



かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は
美男におはす 夏木立かな 与謝野晶子


《平城遷都1300年祭》~本年4月から198日間
363萬の人達々の御来訪を得て御満悦な東大寺
盧舎那仏様.せんとくん・さぞかし《長谷観音の
堂近く~露坐の大仏様》にも御対面 致したい
ことでしょうね!



「文学の森へ 神奈川と作家たち」
{港の見える丘公園}~《神奈川近代文学館》


桜葉が色付いた{港の見える丘公園}~晩秋の散策
{横浜 みなとみらい 元町・中華街駅}を下車---

大佛次郎記念館では「茶室の大佛次郎」を
開催されており~朝比奈宗源の書・石黒宗麿の
水指等々愛蔵品が所狭しと並び往時を偲びながら
堪能致しました~有難う!



大佛次郎の{霧笛橋}を渡ると{神奈川近代文学館}の
建物~井上靖・尾崎一雄・小田切進・中村光夫
長洲一二氏~各分野の巨匠が 設立発起人となり
1984 年(昭和59年)10 月に~神奈川県ゆかりの
作家や文学作品に関連する肉筆資料・書籍
雑誌の収集保存.展示を行う博物館として
{港の見える丘公園} 横浜ベイブリッジを
見下にする高台に国内屈指の総合文学館と
して文学館は建てらましたね!

夏目漱石.芥川龍之介.谷崎潤一郎.川端康成等々
神奈川ゆかりの文豪の個人展を始め詩歌・俳句
児童文学・大衆文学等々多彩な総合展や別展を
開催
されています

太宰治や戦後の繁栄と平和のなか自らの虚無に
殉じた三島由紀夫・戦後という時代を
エネルギッシュに駆けぬけた
開高健--「現代を表現する-湘南.ヨコハマ
そして郊外」では石原慎太郎、村上龍等6人の
現代作家・同時代の神奈川を描いた作品にも
スポットを当てて展示されています

豊富に所蔵されている《近代文学の資料館》
所蔵資料~井上靖文庫.大岡昇平文庫
尾崎一雄文庫.中島敦文庫.中村光夫文庫
埴谷雄高文庫.武者小路実篤文庫等々
夏目漱石・村井弦斎資料等貴重な作品~


眼前に近代文学の数々の稀少な資料を拝見!
晩秋の至福の時を過ごすことが出来 有難う!



淀橋浄水場跡-変貌~超高層ホテルが1週間の宿泊地  

今は昔~小生の学生時代(昭和30年代)には
確か 生命保険会社のビルが一棟 ポツリと
建っており 新宿駅西口一帯は淀橋浄水場~
そんな淀橋浄水場も新宿駅西口の再開発
新宿副都心計画により~昭和40年3月末
東村山浄水場に移され跡地は新宿中央公園
東京都庁を初め近代的街区が誕生!
超高層ビル群に変貌を遂げていますね!



元来 玉川上水は(徳川幕府が管理)
明治維新後は東京府に移管-明治23年浄水工場を
千駄ヶ谷村に作ることで設計-その後淀橋町に
変更 明治26年淀橋浄水場で改良水道起工!
 (総面積 約34万500平方㍍)

大東京の心臓として関東大震災.第2次世界大戦の
災禍も潜り抜け超近代的超高層ビル群に変貌した
事になりますね!

小生の一週間の宿泊地となったのがこんな超高層
ビル群に変貌した新宿駅西口 淀橋浄水場跡
超高層ホテルだったのです



夕刻ともなれば江戸情緒たっぷりな《新宿 末廣亭》

青春.ロマンを歌う{歌声喫茶ともしび}へ
 

超高層ビル化する東京~江戸以来の寄席の
伝統を根強く伝えているのが 落語色物定席
寄席《新宿 末廣亭》
1897年 末広亭清風に
より創業(現在は3代目北村幾夫氏)
唯一木造の建物-寄席の伝統を残し
1階中央に椅子席

我々関西人にとっては まず{漫才}と言われて
いますが{新宿 末廣亭}は上手下手の両方に
桟敷席が設けられており雰囲気を残す この
桟敷席にて江戸情緒を楽しんだものです



山小屋のともしび.黒い瞳.ロシア民謡 平和とロマンを歌う
《新宿.歌声喫茶 ともしび》


NHKラジオ深夜便で静かなブームを起こした--
{夜明けのメロディ-}ペギー葉山さんもこの
《ともしび》にキャンペーンで来店---
学生時代・ドレミの歌 等を皆さんと一緒に
謳われたそうです

小生の学生時代には新宿コマ劇場裏の「灯」を
始め 東京でも20件ほどの{うたごえ喫茶}が
ありましたね!
国民的ブームとも言われ学生時代は詩歌の
仲間達とも新宿・渋谷の歌声喫茶に良く
通ったものです
戦後復興の息吹~歌声喫茶は若者達の希望と
夢を求め皆で談笑~歌い交わしたものです

盛況な夕刻の新宿.歌声喫茶{ともしび}にも~
{当時の若者達}お父さん.お母さん方に誘われ
(マイク無しで--)一緒に 大きな声を出し乍
ロシア民謡を謳っておられる 明るく愉快な
娘さん達も おられましたね!



《萬國春風百花》Lucky PAL と伴に
{生涯青春街道}を闊歩せんとする
小生にとって《新宿.歌声喫茶 ともしび》

東京での至福の ひと時だったかも知れませんね!