今更ながらにあらためて、深々と思う。
スポーツ活動を始めて良かった。
卓球を始めて良かった。
身体を動かすだけではない。
一競技者としてどう成長していくべきなのか?
それを考えながら活動することが全てにおいて良い方向へ働く。
必要なこと、避けてはならない道、積み重ねていくべき努力、そうしたものを常に模索しながらの活動が、競技だけでなく日常生活全般にもの凄くプラスになっているとあらためて思う。気づかされる。
僕は30代までは健常者だった。
30代前半で車椅子になる。
それからある意味「激動」の自分史となった(笑)
もし卓球を始めていなかったら?スポーツ活動を行っていなかったら?
間違いなく今の自分は無い。
もしかしたら、腐っていたかもしれない。
まず、身体が腐っていたと思う。
いや、事実腐っていた。
それにより心にも影が差していった。
その方向へ進み続けていたことを考えると、それは恐ろしい。
じゃぁ健常者のままだったら?
全てにおいて今とはまた全然違った人生だろうけど、きっと今の方が心身ともに健康、心も今の方がずっと晴れやかだと思う。
卓球というスポーツ活動を行うにあたって、ただ卓球だけをやる、卓球のことだけを勉強するのではなく、スポーツ活動に必要な様々なことも同時に学んでいくわけで、また広く言えばスポーツという切り口から一社会人としてのあるべき姿も学ばせていただき、そうしたことが自分にとってどれだけプラスになっているか、得るものの大きさは計り知れない。
障害を負って、税金を免除されたり何かしら優遇してもらったりと恩恵を受ける場面も多々ある。
あえて言うが、それを気休めとして日々を惰性的に生きていたのでは今の自分は無い。
前を向いて、上を向いて何かしらの活動を行うからこそ得られる喜びや幸せが存在すると考える。
僕はそこに「生きがい」を感じる。
障害を負うことで、社会での活動範囲は嫌がおうなしに狭められてしまうのが現実ではあるけれど、それでも前を向く、上を向くチャンスはいくらでもある。
そのひとつがスポーツだと思う。
すそ野は広く、常に門戸は開かれているのだから。
ちょっと大げさな表現だけど、「生きがい」「生きる喜び」に出会えて、またそれに取り組むことが出来て、僕は本当に幸せだと思う。
卓球を始めて良かった。
障害者スポーツを始めて良かった。
今更ながらにつくづく思う。
そう思えることは、卓球の腕が上がるとか、試合で勝つとか、そういうこととはまた別の次元で僕のモチベーションとなっている。
さぁ、大切な試合が近づいている。
心を引き締めて、怠けることなく、自分に厳しく取り組んでいこう。
僕を応援してくれる方々もいるのだから。
その方々の支えから得た恩恵を無駄にしない為にも、僕はしっかり頑張らなきゃいけない。
そういう意味での、緊張感を伴った良い意味での義務、責務、そうしたプレッシャーに打ち勝って得る結果が「やりがい」となり、それが「生きがい」になるのだと思うから。
そう思える今の自分をすごく幸せに思う。
繰り返すが、卓球を始めて良かった。
スポーツ活動を始めて良かった。
多分、僕の歩いた道には花が咲くと思う。
自分で言っちゃった(笑)
それくらい幸せを感じる。充実している。
努力は必ず報われるものではないし、頑張ったからといって必ずしも結果に結び付くものでもない。
その前に悔しい思いをすることが多いことも重々承知している。
それでも挑み続けなければ結果は得られない。
どこにも保障の無い現実。それがスポーツという勝負の世界。
その厳しさを目の当たりにし、でもそれを楽しもうとしている自分を自分自身意外に思う。
目の前に伸びる道は長く険しい道。
突き進んでやる!
さぁ、頑張るぞ!
スポーツ活動を始めて良かった。
卓球を始めて良かった。
身体を動かすだけではない。
一競技者としてどう成長していくべきなのか?
それを考えながら活動することが全てにおいて良い方向へ働く。
必要なこと、避けてはならない道、積み重ねていくべき努力、そうしたものを常に模索しながらの活動が、競技だけでなく日常生活全般にもの凄くプラスになっているとあらためて思う。気づかされる。
僕は30代までは健常者だった。
30代前半で車椅子になる。
それからある意味「激動」の自分史となった(笑)
もし卓球を始めていなかったら?スポーツ活動を行っていなかったら?
間違いなく今の自分は無い。
もしかしたら、腐っていたかもしれない。
まず、身体が腐っていたと思う。
いや、事実腐っていた。
それにより心にも影が差していった。
その方向へ進み続けていたことを考えると、それは恐ろしい。
じゃぁ健常者のままだったら?
全てにおいて今とはまた全然違った人生だろうけど、きっと今の方が心身ともに健康、心も今の方がずっと晴れやかだと思う。
卓球というスポーツ活動を行うにあたって、ただ卓球だけをやる、卓球のことだけを勉強するのではなく、スポーツ活動に必要な様々なことも同時に学んでいくわけで、また広く言えばスポーツという切り口から一社会人としてのあるべき姿も学ばせていただき、そうしたことが自分にとってどれだけプラスになっているか、得るものの大きさは計り知れない。
障害を負って、税金を免除されたり何かしら優遇してもらったりと恩恵を受ける場面も多々ある。
あえて言うが、それを気休めとして日々を惰性的に生きていたのでは今の自分は無い。
前を向いて、上を向いて何かしらの活動を行うからこそ得られる喜びや幸せが存在すると考える。
僕はそこに「生きがい」を感じる。
障害を負うことで、社会での活動範囲は嫌がおうなしに狭められてしまうのが現実ではあるけれど、それでも前を向く、上を向くチャンスはいくらでもある。
そのひとつがスポーツだと思う。
すそ野は広く、常に門戸は開かれているのだから。
ちょっと大げさな表現だけど、「生きがい」「生きる喜び」に出会えて、またそれに取り組むことが出来て、僕は本当に幸せだと思う。
卓球を始めて良かった。
障害者スポーツを始めて良かった。
今更ながらにつくづく思う。
そう思えることは、卓球の腕が上がるとか、試合で勝つとか、そういうこととはまた別の次元で僕のモチベーションとなっている。
さぁ、大切な試合が近づいている。
心を引き締めて、怠けることなく、自分に厳しく取り組んでいこう。
僕を応援してくれる方々もいるのだから。
その方々の支えから得た恩恵を無駄にしない為にも、僕はしっかり頑張らなきゃいけない。
そういう意味での、緊張感を伴った良い意味での義務、責務、そうしたプレッシャーに打ち勝って得る結果が「やりがい」となり、それが「生きがい」になるのだと思うから。
そう思える今の自分をすごく幸せに思う。
繰り返すが、卓球を始めて良かった。
スポーツ活動を始めて良かった。
多分、僕の歩いた道には花が咲くと思う。
自分で言っちゃった(笑)
それくらい幸せを感じる。充実している。
努力は必ず報われるものではないし、頑張ったからといって必ずしも結果に結び付くものでもない。
その前に悔しい思いをすることが多いことも重々承知している。
それでも挑み続けなければ結果は得られない。
どこにも保障の無い現実。それがスポーツという勝負の世界。
その厳しさを目の当たりにし、でもそれを楽しもうとしている自分を自分自身意外に思う。
目の前に伸びる道は長く険しい道。
突き進んでやる!
さぁ、頑張るぞ!
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