車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

練習していないことは自慢なのか?

2017年11月06日 23時05分15秒 | 日記
大切な試合が近づいてきた。

悔いの無いように頑張りたいし、挑みたい。



そんな試合会場でも時折耳にするのが「全然練習出来ていない」「ほとんど出来ていない」という「練習出来ていない自慢」。

また、「どれくらい練習しているの?」と聞かれることもあるけど、大切なのは「どれくらい」という時間ではなくその内容の濃さだと僕は常々思う。



試合というのは「日ごろの練習の成果を発揮する機会」であり、「自分が取り組んできたことを試す場、お互いに試し合う場」だと考える。

そういう神聖な場において「練習出来ていない自慢」をするのは、相手や周囲に対してものすごく「失礼」に当たるといつも思う。

文字通り「礼を失する」行為だと思うのだ。

それは日本的な「道」の精神に反する。

相撲でいえば神聖な土俵を汚すような、それこそ武士道精神に反すると僕は考える。

卓球というのは尚の事、イギリス発祥の「ジェントル」な競技なのに、そんなことをするのはジェントルマンじゃない。

「練習出来ていない自慢」を事前にしておくことで、負けた時も言い訳が出来るとか、勝った場合は練習していないのに勝った俺はすごいでしょ!とより自慢できるとか、そういう「しょうもないこと」の為に言っているのかなと僕は勝手に考える。

もしそうでなければ違う理由を教えてほしい。

僕にはそれくらいしか思いつかないから。



例え練習が全くできていないとしても、思うように出来ていないとしても、試合に挑む以上は胸を張って、威風堂々とありたいものだ。

それが対戦相手への敬意でもあり、それこそがスポーツマンシップだと考える。

特に競技として取り組む以上は、対戦相手、あるいは観戦している人たちから「さすがだな」と思われるだけの心技体を身につけているべきだろうし、尊敬されるような人物でなければならないと思う。

試合に勝つとか結果を出すっていうだけでなく、そうしたプレーヤーになるというのは一朝一夕で出来るものではないから、それこそ努力を積み重ねていって、自分自身を「成長」させ続けていかなければならない。求めるものはその先にしかないのだから。



時間は与えられるものではなく、自分で作るもの。

テレビを見る時間や遊ぶ時間を削って人知れず努力を重ねていく。

より効率よく成長するために、多方面にアンテナを張り、常に試行錯誤・創意工夫を怠らない。

一流と呼ばれる選手やアスリートというのはそういう人たちだと思う。



また、自身がより充実した活動をしていくために、環境面を自分の思い描く方向へと軌道修正させていく努力も必要なのだと思う。

今はそういう体制がここ数年で飛躍的に伸びているし、そのチャンスは誰にでも掴めるものだと思うから。



全ては本人の努力次第。



そうやって積み重ねていった様々な努力が結果を生み、また人を作り育てていくのだと考える。

そうした時間を人生の先でふと振り返った時、例え求めるものを掴めなかったとしても、それに挑み続けた自分を誇らしく思えるはず。

逆に時間が無いとか、自分に対しても言い訳をして嘘をついてきた人は、振り返った時に「あの時ああしておけば良かったな」と、きっと後悔をすると思う。

そんなのは嫌だ。

将来の自分を後悔させないためにも、一生懸命に取り組み続けたい。

胸を張って、威風堂々と立ち居振る舞い、でも驕ることなく、謙虚に、紳士的に、そんなプレーヤーに私はなりたい。

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