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へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

10(トー)・5(ゴー)・3(サン)

2007年10月22日 04時11分43秒 | Weblog
若い世代はともかくとして、ある程度の年代の人となら記憶にあると思う。
サラリーマン・商人・農家の、「所得の透明性」を表わしたものである。
別の数字もあるのだが、意味が無いので省略する。
この数字が意味するものは、「サラリーマンは所得のすべてが掌握されているのに、商人や農家は所得を誤魔化していてずるい」と言うような意味である。
時が移った現在では、サラリーマンに羨ましがられていた、商人や農家はどうなったであろう?。
中小の商店は次々と店を閉め、農家は跡継ぎがいなくなり、高齢化してしまった。
サラリーマンの「一人勝ち」と言う構図である。
10・5・3、などと言われていた頃、私は「それは大きな誤り」だと知っていた。
「後になって言うのは簡単だ」と言う人もいるであろうが、私の場合は違います。
何故なら、私は商人の家に生まれながら「サラリーマンの道」を選んだからです。
そして、私の田舎は農家なのです。
農家の実態も、商人の実態も「熟知」しているのです。
熟知した上で、サラリーマンになったのです。
「サラリーマンしか知らない人たちの目」から見れば、「羨ましく見える」かもしれないのだが、現実は正反対。
子供たちが跡を継がないのは、「当然の話」なのです。
すべてを知る私に言わせれば、「サラリーマンは気楽な家業」なのです。
私のかわりに店を継いだ弟(実は、私は長男なのです)は、常に文句を言っています。
「貧乏くじを引かされた」と。
当然の話ではあるが、跡継ぎはおらず、「あと何年出来るか?」と言っています。
体力的には「店を閉めたい」と言うのが本音のようだが、サラリーマンと違って「退職金」などあるはずが無く、国民年金だけでの生活は大変でしょう。
「サラリーマンも大変だ!」と言いたいだろうが、商人や農家はそれ以上に大変なのです。
「隣の芝生は青く見える」のと同じ事です。
「商人や農家は経営努力が足りない」と言う人もいるが、「言うは易く、行うは難し」である。
「経営努力が足りない」と言う方に、是非とも手本を示して欲しいものです。
日本人は、「自己主張する能力」は優れているようだが、「相手の身になる」と言う能力は余り無いように思う。
「サラリーマンの意見」が表面化して、「商人や農家の意見」が目立たないのには、「それなりのわけ」があると思う。
「数」と「メディアに接する機会」に、大きな差が有るのだ。
数が多い上に、「メディアに接する機会が多い」と来れば、「鬼に金棒」である。
「商人や農家の声」が、かき消されてしまうのは当然である。
中小の商人の方たちには申し訳ないのだが、仮の話し、商店が「店仕舞い」をしても、「大型店」が国内に有るので「代行」は可能であるが、農家の場合は「代行出来る大型農家」は、殆ど国内には無い。
日本では、「農業の大規模化」は「不可能」と言っていい。
農業(特に稲作)の衰退は、「自然環境の悪化」と言う問題を抱えている。
「商業理論」など成り立たないのだ。

コメント
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