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へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

競争の無い社会

2007年10月28日 04時14分36秒 | Weblog
最近、幼稚園や小学校の運動会では、順位を付ける事をしないところが増えているようである。
順位を付けた場合、一番になった子はよいが、ビリになった子にとっては辛い事は確かである。
しかし、それで良いのだろうか?。
「小さな子供に悔しい思いをさせたくない」と言う気持ちはよくわかるのだが・・・・・。
しかし、現実の社会は「厳しい競争社会」である。
競争の無い世界から、競争社会へ、どの様に順応させるのであろうか?。
若い世代に、引きこもりやニートが増えているのは、そのせいではないだろうか?。
「負けた悔しさをばねに頑張る」と言う気持ちが必要だと思う。
「順位を付けない」と言う事は、「護送船団方式」と同じ事で、国際社会の厳しい競争を勝ち抜く事など出来るはずが無い。
別な考え方をすれば、「伸びるはずの芽を摘む」と言う事にもなるであろう。
目先の欲得の為に、「子供の将来」が犠牲になっているのではないだろうか?。
温室育ちの花は、外の風ですぐに萎れてしまう。
道端の雑草は、少々踏まれても枯れる事は無い。
古来、「可愛い子には旅をさせろ」と言う言葉もある。
一生苦労を知らずに過ごせればよいのだが、「夢物語」ではないだろうか?。
「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言うではないか。
子供の時も含め、「若い時の苦労」は、年を経れば「思い出」になってしまう。
過保護は、人間をダメにし、最終的には、「国家をもダメにする」。

ここで少し話を変えてみたい。

私のブログは、辛辣で、皮肉と嫌味をタップリと効かせてある。
読む人にとっては、少しも面白くないはずである。
にも拘らず、このようなブログを「書く意味」を考えて欲しい。
「警鐘を鳴らす」と言う考え方もある。
しかし、本意は少し違う。
「悲観的な内容」が多い事に気が付いて欲しい。
「警鐘を鳴らす」と言うことではなく、「発想の転換」と言う意味がある。
発想を転換する事により、「心の持ち様」が違ってくるのである。
心の持ち様を変える事で、「不幸が幸せになる」事もあるのだ。
仮の話し、50%の結果が出たとして、「30%の予想に対して50%」と、「100%の予想に対して50%」とでは、受け取り方が全く違ってしまう。
私が傍の人から「余裕がありますねー」と言われる所以である。
「最悪を想定」して、「心の準備」をしておけば、慌てふためく事も無くなる。
「ダメモト」の考え方である。
期待して「期待はずれ」になれば、ガッカリするだけ。
最早、景気回復は「望み薄」な現在、景気回復を期待すれば「ストレス」が溜まり、「精神衛生」に良くない。
どんなに期待しても、「ダメなものはダメ」なのです。
宇宙船地球号は、完全に「定員オーバー」なのです。
「無理が通れば道理引っ込む」と言うように、「定員オーバー」と言う無理な状態では、道理など通用しません。
期待して「ガッカリ」するか、期待せず「心穏やかに過ごす」か。
どちらを選ぶかは、「自己責任」です。
コメント (1)
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