へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

情報禍社会

2007年10月29日 03時37分08秒 | Weblog
変換ミスではありません。
情報過時代でも有ります。
少し前まで、或る事をネットで調べようとしていたのですが、断念しました。
「どうでもよい情報ばかり」で、「私が必要とする情報」が見つからないのです。
過去にも同じ様な事がよく有りました。
個人が自由に情報を発信できる事が、裏目に出ているのです。
まさに、情報禍(過)時代と言ってよいでしょう。
気を付けなくてはいけないのは、「有り余る情報」に振り回されない事です。
携帯電話でも同じことが言えます。
所かまわずかかってくる電話やメール。
私は或る事をきっかけに、必要な時以外は電源を切る事にしました。
或る事とは、車を運転中、「マナーモード」にしておいたにも拘らず、執拗にかけてくる人がいました。
「緊急事態?」と思い、車を止めて電話に出たところ、いきなり「何で電話に出ないのだ!!」と怒鳴られたのですが、特別急ぐ用事では無かったのです。
日頃から、「携帯に振り回される生活はしたくない」とおもっていたので、それ以来、私の携帯は「不携帯」になったのです。
「緊急用」「公衆電話の代わり」と言う意味で使っています。
気を付けなくてはいけないのは、携帯もパソコンも、便利だからと「安易」に使っていると、「依存症(中毒)」になってしまいます。
「依存症(中毒)」になってしまうと、「様々な弊害」が出てきます。
便利さだけが強調されて、幣害については殆ど「問題視」されていません。
便利だからと言って「安易な使い方」をせず、「賢い使い方」をするのが「賢い人」ではないだろうか?。
携帯やパソコンで、遠く離れた人と簡単に繋がりを持てる様になったのだが、反対に、身近な人との関係が「希薄」になってしまったように感じる。
「携帯では話せるが、面と向かうと話せない。」「メールではやり取りできるが、話すのは苦手。」などと言う人が増えている。
困った世の中になってしまったものである。
何のために「文明の利器」が作られたのかわからない。
上手に使いこなしてこそ「文明の利器」ではないだろうか?。
「有効活用」を、するもしないも「自己責任」と言う事になる。
「有り余る情報」の中から、「有用な情報」を探し出すのは容易な事ではない。
「脳力」の低下した人には、難しい事かもしれない。
昔は少なかった「認知症」が増えているのも、「脳力の低下」が原因ではないだろうか?。
「脳細胞」は、使わないと退化するが、幾つになっても「使う努力」をすれば回復すると言う。
私も、64になって始めたブログのおかげで、苦手だった作文が、それ程苦手ではなくなった。
少し衰えてきていた「頭の回転」もよくなって来ている。
「ボケ防止」「老化防止」にも役立っているようである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする