とりよろふ 蜻蛉島
よろふ 鎧をつける装いか
すると、そう見えるのは、木々の青々とした装飾模様になる
大辞泉には、
>(物を)まわりにめぐらせて身を固めている意か。他に、草木が茂る、近く寄る、など諸説ある。
と見えて、村山の,やまぐににひらけた、大和の地であるか。
山常庭 八間跡能國者
デジタル大辞泉
とり‐よろ・う〔‐よろふ〕 の解説
[動ハ四]語義未詳。とりわけてよ . . . 本文を読む
なのらす 現代語で、名乗る の用法から、
日本語活用形辞書 Weblio辞書 名告らせる、名乗らせる 読み方:なのらせる ラ行五段活用の動詞「名告る」「名乗る」の未然形である「名告ら」「名乗ら」に、使役の助動詞「せる」が付いた形。
という説明に、表記に、名のる を、告げる 表記の違いとして挙げる。
出典:デジタル大辞泉
>な‐の・る【名乗る/名▽告る】 の解説
[動ラ五(四)]
1 . . . 本文を読む
万葉語りは2014年から2019年に間がある。そしてさかのぼれば2013年10月に記事がある。その記事を眺めると、繰り返し2度も3度も、似たことをテーマにしてきた。そこで趣向をとって、万葉集と日本語とを考えてみようと思う。万葉集を訓詁で読む、如何にも、大けなきことである。万葉集大成に訓詁編の上、下冊があって、検索には、その55年後の岩波書店の万葉集訓詁、これは、佐竹昭広集 1 萬葉集訓詁 になる . . . 本文を読む
日本語を書く、文字に漢字を用いて、それは訓読する表記様式に、万葉仮名を用いていた。訓読は漢文にあるから、万葉集には読み下し文となる。同じ現象ではない。漢文訓読と、日本語表記の読みである。歌集にこのような表記で和歌、反歌があり、その倭歌を読み下すには、およそ100年を経ての作業となる。
梨壺の五人
① 大中臣能宣 おおなかとみのよしのぶ
② 清原元輔 きよはらのもとすけ :仙清 . . . 本文を読む
4516番歌で、巻軸歌となっている。その総数は、4530という。そして、4536を数えなおしたのだが、4540首とも伝えかけて、漢詩を数えてしまったらしい。したがって、4500余りの、アバウトな数をもって、説明される。
舒明天皇即位629年、この舒明朝以降,天平宝字3 年、759 年までの歌。
4540首
2019-05-06 | 万葉語り
歌番号といった、国家大観番号である。万葉集 . . . 本文を読む
万葉集に編集がある。万葉集は編纂される。いずれも似たような言い回しに聞こえる。しかし、微妙に違いを認めることもできる。編集には自らの意思で、そこには複数の編者がいても、かき集めることになる。編纂には図書館学用語の説明があって、書物ができ上る過程にその目的、方針が立てられる。
万葉集は編纂されたとする。それは万葉集の成立にかかわることである。
それまでは万葉集の編纂過程には、
複数の人びとが数次 . . . 本文を読む
万葉、万代、万世と、漢字を当てて、ばんだい、まんだい、ばんせい、まんせい、というふうになると、これは、よろづよ、であって、永遠の意味で、よろずよ である。
辞書に引く例では、
万世にかくしもがも千代にもかくしもがも 〈推古紀・歌謡〉
性霊集‐一〇(1079)九想詩・成灰相「山川長万世、人事短百年」 〔史記‐秦始皇本紀〕
萬代、よろずよ に、万葉を表現しての歌集は、詞華集としての体裁、構成を持つ編 . . . 本文を読む
万葉集を講義する、その時代はいつか。
万葉語りを2013年10月に始めて、このブログに、万葉集の学びを記した。
わたしにとっての学びは、恩師 愛知大学名誉教授 津之地直一先生にある。その先生の先生には、大阪市立大学名誉教授 小島憲之先生である。訓詁注釈の正統についた。
ありがたく泰斗の導きで、教員を40年務めた。
歌人については、京都女子大学名誉教授 清水克彦先生に柿本人麻呂を聞いた。
もう、 . . . 本文を読む
万葉集を出典とする新元号を批評して、その作品の背景を解説、次いでいうところの国民的歌集はとらえ方が時代に遅れていると言う言説で、4月20日の時点で、今から2か月前、メディアの引用である。そのさきにも、ブログに、https://ameblo.jp/hioryu88/entry-12452774339.html 出た! 無頼品田教授の「令和」解釈 2019-04-08 08:16:20 と見えて、そこには、朝日新聞の、私の視点欄に投稿したものの紹介もあり、それがセンセーショナルになったようである、もとはといえば、品田悦一 万葉集はこれまでどう読まれてきたか、これからどう読まれていくだろうか。東京大学教養学部編、知のフィールドガイド分断された時代を生きる 2018年8月 にある。高校生でも理解するというのは、この講座に趣旨があり、この出版のシリーズはこれに限らない。 . . . 本文を読む
万葉歌人について、いまの常識は高校生でもわかるというサイトに説明に、おやや、なんだろうこれは、ウイキペディアの注について、>万葉集の詠み人は天皇、貴族から下級官人、防人、大道芸人などさまざまな身分の人々と考えられてきているが、品田悦一(東京大学教授)によれば、今日ではほぼ全ての研究者から否定されているという[6][要検証 – ノート] というところ、それはまた、>品田悦一「万葉集はこれまでどう読まれてきたか、これからどう読まれていくだろうか。」(東京大学教養学部編『知のフィールドガイド分断された時代を生きる』二〇一七年八月、白水社) それを検索すると、>本書は、東京大学教養学部がこの問題意識に向き合うべく、高校生、社会人向けに開講する公開講座「金曜特別講座」を書籍化したもの。人文知や基礎研究に重きを置く教養学部。ときに過去の惨劇から反省し、ときにフィールドワークから他者に学ぶ。 という、宣伝がある。その講義に、ひとつに、さきのものがあって、講師となったのは、>2004東京大学准教授、2011年10月教授。初の単著『万葉集の発明』では、『万葉集』が近代国民国家の文化装置として「国民歌集」の地位を与えられるようになり、「創られた伝統」として成立していくことになった過程を研究。ウイキペディアより という紹介である。 . . . 本文を読む