いささか旧聞になってしまった令和年号の話に、著作を購入してみたら書店から入荷の知らせがあった。検索で在庫ありというところで電話をしたら、店頭に並べての1冊きりらしく少し色あせているというからどうしようかと、すぐにも取り寄せできると言う応答で注文をしてしまった次第、何をか、万葉ポピュリズムを斬る 品田悦一氏の講演録になる。読みましたという時点で感想文などを書こうかと思う。かなり知的探求などの大学ア . . . 本文を読む
仮説になる本というなら、それを証明しなければならない。
日本語の起源についての学説と副題にある語源学とそれなりの研究書物として扱う議論がいる。
その研究歴を眺めて。
ちくま新書シリーズに、ワープロ時代の原稿を横組みにする好例と見えたので、買ってしまって、どうなんだろう・・・
日本語の起源 ――ヤマトコトバをめぐる語源学 (ちくま新書)
近藤 健二
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なぜか、本を買ってしまった。買ってみて、買わないと、この1年を過ごしてきて、これはどうしたことか。その本がまた、日中韓の歴史証拠と謳うような、教科書からは見ることのない、過去の写真である。Kindleストアで、ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神、Kindle電子書籍リーダーを使うとどうか。 . . . 本文を読む
本を買ってしまった、しまったというのは、もう買うことがないだろうと、買わない、買うのをやめると言ったような思いが、この3か月であるが、買わないわけではなくて、買ってしまって、しまったというわけである。しかしそうまでして何を買ったのか。駅前のゲートタワ-8fに上がったのが、どうにもならない、御託があるわけでない、ごたごたいうのはさておき、石川九楊全集の1冊を見つけてしまった。手にしたのは、3巻:日本語とはどういう言語か 言語論 である。もう一冊、5巻:漢字がつくった東アジア 東アジア論 が書棚にあった。言語編を購入した。これはいままで、この著作、著者のものに多く親しんだ内容のものであろう。標題の、日本語はどういう言語か、という問いに対して。石川九楊氏のいうところは、それは、日本語とは漢字と平仮名と片仮名という三つの文字を使う、世界に特異な言語である、という一言に始まり、またその一言に終わる。 . . . 本文を読む
ネットサイトで注文をすれば翌日にでも届くと思って、日曜日の、そこまで行って委員会NPを見てから注文をしていたが、それがやっと届いた。それでも3日たっただけであるが、そのあいだに駅前の書店で買った方がよかったかと言うような思いを持ったのは、久しぶりのことだった。遺書、東京5輪への覚悟、森喜朗著、ネットで知らせてきた、もし手配が二度目でできなければ、キャンセル扱いを願うというようないわくがついた、その配達があったわけである。番組で、これは面白いと言った長谷川氏の笑顔を思い合わせるような、書きっぷりである。まったくもって、森喜朗節はとどまるところを知らない。それだけ政治に生きた人の手腕が集大成として向かう一大イベント、オリンピックが迫っているからだろう。知事が石原さんのときから、猪瀬さん、舛添さんとなっても、実務と政治のバランスが取れているように見えず、すべてがパーフォーマンス的であった。にもかかわらず、都民は東京オリンピックを受け入れたのである。森喜朗さんのがんとの戦いを含め、壮絶の極みにある文章である。 . . . 本文を読む
やしきたかじんの闘病記である。ひゃくだなおきが書いた。幻冬舎刊、2014年11月5日。家鋪隆仁の妻、さくらの看病記録でもある。第1部まで読んで、もうこれ以上は読まないほうがいいかな・・・殉愛とは、百田尚樹がやしきたかじんの3人目の妻を取材し執筆したノンフィクション、という、あいまいさ回避の説明である。そも、愛に殉じる、とは、言うほどたやすく、できることではない。純愛でもむずかしい。さてさて、かたや、遺産10億と言われるようだから、3度目の妻だと言うし、作家がノンフィクションで書いたとしても、そこには想像を意味する創作があるだろうから、作家の筆致は見事だし。興味を持ったのは、まずらしくシンボーさんが口ごもってしまったからだけれど、どれほど、たかじんの実像だったのか。タイトル通りならこの本に出てくる人は、みな、くちをとざすといいだろう。それにしても、ネット時代の衝撃でもある。 . . . 本文を読む
たいそうな厚さで2冊組が届いた。高い値段の本である。直ぐにも開くが、あ、そうか、とわかった。つまり、国語学大辞典と、国語学研究事典の合体で日本語学とはせずに日本語としたのである。国語学研究事典は日本語学研究事典として名称を改めていた。さて、出版社の広告では日本語学の辞典と謳っているのだから日本語大事典で書名がなったのは何か訳ありだろう。これにはすでに日本語大辞典というのがあるし、Super日本語大辞典があったりする。国語、を使わないで、日本語、を使う辞典はそれなりに、工夫のあるところ、日本語大事典は日本語学大事典であり国語学大事典であるという、その編集や如何に・・・国語学会が日本語学会となり、その日本語学会が編集した大事典が望まれるところだろうから、その書名を先取として遺さなかったのだろう。日本語学という雑誌名があって、日本語研究とせざるを得なかったような事情を考えて、その轍を踏ませない、つまりは、避けたか。 . . . 本文を読む
注文をして次の日に届く。ネット販売の即売感とでもいうか、入手する速さにあらためてびっくり。日本古典対照分類語彙表、宮島達夫・鈴木泰・石井久雄・安部清哉編、笠間書院刊、2014年6月。その内容については、全作品は次のとおりである。
徒然草・平家物語・宇治拾遺物語・方丈記・新古今和歌集・大鏡・更級日記・紫式部日記・源氏物語・枕草子・蜻蛉日記・後撰和歌集・土左日記・古今和歌集・伊勢物語・竹取物語・万葉集である。出版社の宣伝には、主だった古典作品の中でどの単語が何回ずつ使われているか、意味とともに一覧できる、至便の書であると、これを見て、意味が分かるとはどういうことかと。それは、意味分類番号がついているということらしい。単語に国立国語研究所編、分類語彙表、増補改訂版,2004 年の分類番号を記した、と見える。インターネット公開の別冊から次を引用する。作品ごと語種別統計 平均使用度数 意味ごとの比較
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そうだったんだ!日本語 正書法のない日本語 今野真二著 岩波書店 2013年4月24日 シリーズで全10冊あるそうだ。この著者には、消された漱石 明治の日本語の探し方 という大部な書目がある。ほかに岩波新書に、百年前の日本語 というのがあって、いろいろだ。正書法について、序章によれば、orthography を説明して、正しく書く方式=正しい書き方 としている。語を単位とした正しい書き方であること、上手な書き方を意味していないこと、言語を特定していること、誤りの書き方を見て一つしかない正しい書き方であること標準的表記が確立している日本語、などなどと、いろいろと、説明が続くのであるけれど、正書法とは何かを書きだしていながら、書き方に選択肢がある、とかなんとか、わからなくなってしまって、表記論でさらにわからなくしてしまっている。 . . . 本文を読む
ドナルド・キーン著作集 第七巻 足利義政と銀閣寺 全集読みをしている。シリーズである。原著が英文であるのを、こなれた日本語訳で読むことになる。タイトルは、中央公論に連載された。200104-11、200201‐03、全11回。解題によると、初刊は中央公論新社から2003年、中公文庫本に2008年、収められている。た英文は2003年刊である。日本人の美意識を収める。初出の英文は1971年、その後、邦訳は1990年3月、文庫版は1999年刊。抄であるが、私の日本文学の逍遥を収める。
次は、新潮社のページより。
http://www.shinchosha.co.jp/zenshu/donald_keene/
なぜ、派手なものより渋いものを好むのか。なぜ、均整のとれすぎたものより少しくらいゆがんだもののほうがいいのか。日本人の文化に対する嗜好や美意識の源流を室町時代に探す『足利義政と銀閣寺』。そして、範囲を平安時代から明治時代までに拡げて、世界に類のない日本文化の特質に迫る『日本人の美意識』などを収録。
ISBN:978-4-10-647107-0 C-CODE:0395 発売日:2013/05/31
3,150円(定価) . . . 本文を読む