日本語哲学10
日本に哲学はない、日本に哲学者はいない、というのがヒットして、検索キーワードは、日本人 哲学者。すると、哲学用語辞典のコピーが出てきた。さらに哲学塾がメッセージを出しているオンラインにいきあたった。中島 義道 、東洋経済連載である。
>日本に「哲学」という概念はなかった
「哲学」という言葉は、philosophyに対する日本語がなかったので、明治期に西周が作った訳語です。それまで日本人は、西洋人のように、哲学(論理)と宗教をはっきりと分けて考えてはいませんでした。日本の思想は、習慣、修行、儒学、仏道などの融合体だったからです。https://president.jp/articles/-/22460
『続・哲学用語図鑑』(プレジデント社刊、田中正人著、斎藤哲也編集・監修)
「哲学」という言葉がなかった以上、「哲学」という概念は日本には存在しませんでした。同じく「宗教」という言葉も概念も明治以前にはありませんでした。たとえば、親鸞や道元などの思想は、「哲学」や「宗教」といった概念で成り立ってはいないので、彼らを哲学者とはあまりいいません。もともと西洋の概念であった「哲学」という言語を日本の思想にあえてあてはめる必要はないわけです。
中島 義道
>私は25年前に『哲学の教科書』(講談社学術文庫)という著書の中で「哲学とは何でないか?」と問い、哲学とは「思想ではない、文学ではない、芸術ではない、人生論ではない、宗教ではない、科学ではない」と書き、その理由を論じました。
>
科学はとにかく「科学的方法」というものが確立している。しかし、哲学の場合、確立された(お墨付きのある)方法は、まずないと言っていいでしょう。科学が期待する意味で、学べば万人に同じように「理解できる」哲学などないのです。
どうしてかというと、哲学の道具は「言葉」だけであり、その言葉の意味を万人が同じように学びえないから、と言えましょう。哲学の専売特許である「存在」とか「無」とか「善悪」という言葉は、無限に開かれていて、こうした言葉を使用する文章もまた無限に開かれていて、それを学ぶ方法が確立されていないのですから、その唯一の意味を決定することは、原理的にできません。
私の立場 哲学(哲学の事柄) 「日本に哲学なし」
https://www.rs.tus.ac.jp/makita/stellung/stell_phi_japan_j.html
> 日本と哲学
「日本に哲学なし」と言われる。哲学研究者は無数にいるが、哲学者はいない、有名な哲学者についての研究は行なわれているが、自ら思索することが行なわれない、というのである。これは残念なことに(例外はあろうが)真実である。哲学者たちは世界というテクストを解釈してきたが、ほとんどの日本人はその哲学者たちのテクストを解釈しているだけである。
アマゾンより
哲学者のいない国 (日本語) 単行本 – 1997/8
中島 義道 (著)
単行本: 243ページ
出版社: 洋泉社 (1997/08)
内容(「BOOK」データベースより)
日本には「哲学研究者」はわんさといるが、「哲学者」は皆無である。純粋に「哲学する」とはどういうことなのか?
内容(「MARC」データベースより)
拝啓、哲学さま。この頃、この国でもあなたのお名前をよく耳にしますが、お姿が見えません。「哲学研究者」はわんさといるが、「哲学者」が皆無なのはなぜか? 哲学ブームをふり返り、真の思考に想いをはせるエッセイ集。
目次
1 「哲学ブーム」とは何だったのか(哲学者のいない哲学ブーム 大震災とオウムと哲学ブーム 拝啓哲学さま ほか)
2 常識からの解放(自分自身になること 哲学に「志」はいらない 差別感情と「好き・嫌い」 ほか)
3 イマヌエル・カントという名の男(カントの女性観 孤独な哲学者・カント モラリストの笑い)
4 本物の哲学者の死(哲学者の死 軽蔑し、軽蔑される 大森哲学の遺産 ほか)
ウイキペディアより
中島義道
なかじま よしみち
哲学者
説明中島 義道は、日本の哲学者、作家。元電気通信大学教授。マスコミ曰く「闘う哲学者」。専攻はドイツ哲学、時間論、自我論。イマヌエル・カントが専門。 ウィキペディア
生年月日: 1946年7月9日 (年齢 73歳)
『哲学の教科書』『時間と自由』(講談社学術文庫)『哲学実技のすすめ』(角川ワンテーマ)『哲学の道場』(ちくま新書)『カントの時間論』『カントの自我論』(岩波現代文庫)『「死」を哲学する』(岩波双書哲学塾)『観念的生活』(文藝春秋)、その他多数。