万葉集の成立をいつに捉えるか。
編纂事業があったと見るのが一般である。
その編纂過程で、最初の成立を見ようとする。
現在伝わるものを、現存する伝本として成立を言うことがある。
古典文学作品には多かれ少なかれそのような経緯がある。
それでは、万葉集に原本とする万葉集があるか、ないか、記録するものがある。
20巻本に対して15巻本があったとする、それも目録の記載のみであった。
限られた書写、伝本のいくつかは万葉集の成立から時を経る。
万葉集の巻頭は21代雄略天皇、御製であった。
万葉集1番歌に続くのは、
たけちのおかもとのみやの世に、おきながたらしひひろぬかのすめらみこと、
国見の歌である。
高市の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の代 息長足日広額天皇
天皇、香具山に登りて国をみたまふ時の御製歌
やまとには むらやまあれど とりよろふ 天の香久山
のぼりたち くにみをすれば くにはらは けぶりたちたつ
うなばらは かまめたちたつ うましくにぞ あきづしま
やまとのくには
第34代舒明天皇である。
この第2番、そして次の第3番歌から第6番まで、舒明朝である。
うちののにみかりなさったときに、なかつすめらみことが、はしひとのむらじおゆに言って作らせたという。
天皇、宇智の野に遊猟したまふ時に、中皇命の間人連老をして奉らしめる歌
やすみしし わごおほきみの あしたには とりなでたまひ
ゆふへには いよりたたしし みとらしの あづさのゆみの
なかはずの おとすなり あさがりに いまたたすらし
ゆふがりに いまたたすらし みとらしの あづさのゆみの
なかはずの おとすなり
反歌がある。
たまきはる うちのおおのに うまなめて あさふますらむ
そのくさふかの
歌の引用は国歌大観番号、角川日本古典文庫を用いる。
この書の注釈と解説による。
伊藤博校注 万葉集 上下巻 角川書店
編纂事業があったと見るのが一般である。
その編纂過程で、最初の成立を見ようとする。
現在伝わるものを、現存する伝本として成立を言うことがある。
古典文学作品には多かれ少なかれそのような経緯がある。
それでは、万葉集に原本とする万葉集があるか、ないか、記録するものがある。
20巻本に対して15巻本があったとする、それも目録の記載のみであった。
限られた書写、伝本のいくつかは万葉集の成立から時を経る。
万葉集の巻頭は21代雄略天皇、御製であった。
万葉集1番歌に続くのは、
たけちのおかもとのみやの世に、おきながたらしひひろぬかのすめらみこと、
国見の歌である。
高市の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の代 息長足日広額天皇
天皇、香具山に登りて国をみたまふ時の御製歌
やまとには むらやまあれど とりよろふ 天の香久山
のぼりたち くにみをすれば くにはらは けぶりたちたつ
うなばらは かまめたちたつ うましくにぞ あきづしま
やまとのくには
第34代舒明天皇である。
この第2番、そして次の第3番歌から第6番まで、舒明朝である。
うちののにみかりなさったときに、なかつすめらみことが、はしひとのむらじおゆに言って作らせたという。
天皇、宇智の野に遊猟したまふ時に、中皇命の間人連老をして奉らしめる歌
やすみしし わごおほきみの あしたには とりなでたまひ
ゆふへには いよりたたしし みとらしの あづさのゆみの
なかはずの おとすなり あさがりに いまたたすらし
ゆふがりに いまたたすらし みとらしの あづさのゆみの
なかはずの おとすなり
反歌がある。
たまきはる うちのおおのに うまなめて あさふますらむ
そのくさふかの
歌の引用は国歌大観番号、角川日本古典文庫を用いる。
この書の注釈と解説による。
伊藤博校注 万葉集 上下巻 角川書店