幼いころから一つの解決しない夢があった。夢は楽しいものであれば思い出すことができない。苦しいものであればいつまでも覚えている。解決しない夢は楽しくも苦しくもないが、これは忘れない。もちろん現になればそれは夢ではないので思い出しも忘れもしない、覚えることはむずかしい。夢想と現実、そこに想像力はどうしているのかといえば、はたらいている。
解決しない夢の話は面白くないだろう。解決しないのだから話しても始まらない。なにも始まらないのだけれど解決しなかったことだけを言うと、戦争はどうして始まるかということだ。いまから始めるぞと言って始まるのか、その始まり方は向かい合った者同士が、何かの合図で戦いを始めるのだろうかと、不思議に思い続ける夢である。
その現場にいつもいた。始まろうとする戦争の緊張の前に、ときにはフェンス越しにながめていて、フェンスの内側にいるのは、自分は観客なのか、なんであったのか、あるいは高みの見物よろしく、始まらなければいいと願いながら、どうして戦争を始めるのだと、思い続けて、じっと見ているのである、夢を。
そして戦争がどうして始まるのかと、気が付いたら、始まらない方法というか、はじめなければならない訳を知りたくて、本を読んでいたことがある。それを思い出すと、イマジネーションのなかで戦うのではなくて、想像力で戦わないですむ方法を読書体験としてはじめていたことになる。それはいつのことであったろうか、10代の始まりで、戦争はどうして始まるのかと、夢を見ていたころを思い出しもしなければ忘れもせず、いまだに解決していない。
解決しない夢の話は面白くないだろう。解決しないのだから話しても始まらない。なにも始まらないのだけれど解決しなかったことだけを言うと、戦争はどうして始まるかということだ。いまから始めるぞと言って始まるのか、その始まり方は向かい合った者同士が、何かの合図で戦いを始めるのだろうかと、不思議に思い続ける夢である。
その現場にいつもいた。始まろうとする戦争の緊張の前に、ときにはフェンス越しにながめていて、フェンスの内側にいるのは、自分は観客なのか、なんであったのか、あるいは高みの見物よろしく、始まらなければいいと願いながら、どうして戦争を始めるのだと、思い続けて、じっと見ているのである、夢を。
そして戦争がどうして始まるのかと、気が付いたら、始まらない方法というか、はじめなければならない訳を知りたくて、本を読んでいたことがある。それを思い出すと、イマジネーションのなかで戦うのではなくて、想像力で戦わないですむ方法を読書体験としてはじめていたことになる。それはいつのことであったろうか、10代の始まりで、戦争はどうして始まるのかと、夢を見ていたころを思い出しもしなければ忘れもせず、いまだに解決していない。