1115 時代は画期的により世の変化がわかる、代としたものであるが、時期には加えて伝統の継承を見る変遷がある。世につれ人につれ、代を意識する時代が変化によれば時期はまた、明治、大正、昭和と変遷もする。現代日本語は平成の変化によるとなれば、日本語はいつからか。国語は近代以降に国語学の分野で古代から平安、鎌倉期、そして新たな安土桃山と大坂江戸期の国語を継承してきた。その国語意識を近代から現代に迎えて日本語、現代日本語へと変遷しつつある。日本語の意識が問われるようになったのはいつか、どうしてか。
現代日本語の論
現代はまさに今のこと、現代の とすれば、近代的、今日的、モダンな、というふうに形容する用法がある。
すでに時代区分に歴史の解釈がある。
辞書の解説に見れば、第二次世界大戦による1945年以降、明治維新をとらえて1868年以後、また漢字語には辛亥革命1911年の画期を指す。
そして、1914年に第一次世界大戦が起こり1919年に条約が結ばれた出来事が西欧の世界を大きく変えたことをもって見る、それ以後の時代がある。
それぞれ日本におけるこの1945-2024か、あるいは1868-2024、中国における1911-2024、西欧における1919-2024、そこには79年、156年、113年、105年という時間、地域の視点となる。
ここに見る時代は社会の変化を戦争あるいは革命によって分けている。
歴史での時代変化を表すものであるが、日本においての159年は近世から現代との変遷を見るよりは近代を呼称して近世、近代、現代とする。
時代区分は歴史の画期に何を見るか、それぞれの立場がある。
現代国語とするにはこの時期を歴史解釈の用語でなぞらえれば近世語、近代語、現代語の名辞によって分けてみることが行われる。
そこで近世国語、近代国語に現代国語となる。
現代の国語を分けてみると現代国語の時代があらたに日本語の時代としても区分されて見える。
国語の呼称に日本語のとらえ方が現れた時代である。
現代日本語とはどうとらえられるか。
ここに国語と日本語を連続に見る考え方ができるので、日本言語に古代国語、近代国語という国語の時代に続く現代日本語の時代を議論する。
が、しかしそこに現代国語がおかれて、これもまた教科目として現代の国語という名称に歴史となる。
ちなみに、現は、うつつ、うつしあらわれることである。代は、よ、ひとの生活を営む時間である。
10年ひと昔、100年ふた昔、1000年をそれ以上の昔と、昔あるところに、むかしむかしのこと、そしてまた昔と、記憶することがあるのは記憶によることである。ひと昔、ふた昔、み昔ともなれば、見聞、記憶、物語による伝承となろうか。
なぜに10年か。
世代は、世代交代をもってするなら30年が目安となるか。
30代、60代、90代の繰り返しに、言語継承は3世代まで現実になるが、時代は現代、その30年である。
generation; 定義 グーグル翻訳による。
>all of the people born and living at about the same time, regarded collectively.
one of his generation's finest songwriters
現代を10年の感覚の区切りで見る、あるいは30年の世代交代を区切りと見る、そのいずれであってもいまの現し世に2024年と置けばそこからか、1994年あたりを見ることになり、それは常に現時点からさかのぼる。かつて国語辞書の改訂とする編集作業を30年またそれ以上に見たことがあるようであるが、いまは10年を流行語、新語の採取に当てるようでもある。
現代日本語をこの30年というのは自分の生きた世代を経てのことである。昭和後半世代、平成世代のうちに、それを令和の入り口からながめて、現代は30年前を見る。国語の時代から日本語への画期にはいくつかの画期的出来事を議論することができるので、日本語がその延長上にあることを思うと、現代の国語が日本語とよばれるようになる契機を確かにしておきたい。