かくして
2022-12-10 | 日記
かくして7日が経ち変化なし。ブログの記事にするテーマを考え続けていて脳の命令がない。
かくありしときすぎて 懐かしい語法の問題で、この冒頭に見える かく が、示す内容がない。つまり書き出しであるから、本文に求めることができない。かくして7日となると、さきの文であるが、ここにはあれこれしている間にというニュアンスがある。トップバッターの役割をはたすべく学生時代の演習にこの文の解釈を求められて作品の梗概やらなにやら、成立とかで作者が記した天暦8年、954年から 天延2年、974年前のあるかなきかの心ちを探すことになる。諸本の乱れ、底本のむつかしいことなど、記事内容と執筆時期に合わせてあとから冒頭文を加えたような書き方であるから、下巻971年に起筆したころの思いと推測できると、後の学習でわかってくるが、発表に準備するにはすべて不足して、恩師から語法を問われたという次第であった。はい、もう1回、と、こともなげにやり直しであった。そして一言あったのは2回目のときに、ありしときかくすぎて、というのでよろしいやろ、となって放免された。
かくして である。
かくありしときすぎて
蜻蛉日記 (國文大觀)
國文大觀 日記草子部
作者:藤原道綱母
天延三年 975年
https://ja.wikisource.org/wiki/蜻蛉日記 (國文大觀)
蜻蛉日記
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かくありし時すぎて、世中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで世にふる人ありけり。
かたちとても人にもにず、心だましひもあるにもあらで、かうもののえうにもあらであるもことわりとおもひつつ、ただふしをきあかしくらすままに世中におほかる古る物語のはしなどをみれば、世におほかるそらごとだにあり、人にもあらぬ身のうへまでかき日記してめづらしきさまにもありなん、天下の人の品たかきやと問はんためしにもせよかし、とおぼゆるも、すぎにしと年月ごろのこともおぼつかなかりければ、さてもありぬべきことなんおほかりける。
https://manapedia.jp/text/3031
蜻蛉日記原文全集「かくありし時すぎて」 / 古文 by 古典愛好家