鏡餅を割ることを、割ると言わずに開くと言う。鏡割りという語もある。酒樽の蓋を木槌で割って開けること。鏡割り。この割るを忌ことばとして鏡開きとなり、同じ語であるように見える。鏡餅は仕事始めを前にして正月祝いのおわりに食べることになったようだが、早い場合には4日とか5日となる。11日はもと20日であったのを変えたとある。サイトに日本鏡餅協会があった。それにいろいろと詳しい。丸餅を鏡にみたてた。そこで神にささげるのに、どうして鏡なのか。字通によると、鏡字は、古くは鑑といい、金文には監というとみえる。監は皿(盤)に臨んで見る形、古い鏡銘には略体として竟の字を用いるとある。
かがみ。
かんがみる、てらす、みる。
あきらか。
馬のひたいの旋毛。
日本大百科全書(ニッポニカ)
鏡餅
かがみもち
正月用のお供え餅。昔の金属鏡から連想した、丸く平たい形の餅で、祭礼などの供物にも用いられるが、正月に歳神(年神)(としがみ)に供えるものをいうのが一般的である。年の境にあたり、家族各人の霊魂をかたどった餅を捧(ささ)げ、霊の更新を図るのが古意で、身祝いの餅はその伝統をとどめている。三方(さんぼう)にのせ、重ね餅にして飾りたてるのは、蓬莱(ほうらい)(お手掛け、食積(くいつみ)ともいう)の形と合体したためである。普通2個を重ねるが、3個の所もあり、それにダイダイ、イセエビ、干し柿(がき)、昆布、ウラジロなどを添える。1月11日の鏡開きに家人が食べ、あるいは6月1日まで残しておいて歯固めにする例も多い。
http://www.kagamimochi.jp/saguru/page3.html
>1月11日は鏡開きの日
供えた鏡餅を下げる日は各地方によって違いがあります。
年神様がいらっしゃる1月7日までを松の内といいます。鏡開きは、松の内が明けた1月11日に行うのが一般的です。
松の内を15日とする地方では、鏡開きを15日または20日に行う場合があります。
また、京都では1月4日に行われます。
鏡餅から新しい生命を受ける
お正月、神様からは全ての人や物に新しい生命を与えるために現れると伝えられています。つまり一年に一度新たに生まれ変わるということです。その年神様の霊力はお供えした鏡餅に宿っていますので、鏡餅を食べることで新しい生命をいただくことができるというわけです。
食べてこそ「鏡開き」
お供えした餅には神様の霊が宿っているので、刃物を使わず木づちなどで叩いて割って(鏡を開く)、雑煮や汁粉などで食べましょう。
>お正月にお供えする理由
鏡餅の丸い形は人の魂(心臓)を模したものといわれ、また昔の鏡が円形だったことから「鏡餅」と呼ばれるようになりました。
元禄8(1695)年に出版された「本朝食鑑」に「大円塊に作って鏡の形に擬(なぞら)える」との記載があることから、鏡餅は拝み見るべきものだったのかもしれません。大小2つ重ね合わせるのは、月(陰)と日(陽)を表しており、福徳が重なって縁起がいいと考えられたからとも伝えられています。
デジタル大辞泉の解説
かがみ‐びらき 【鏡開き】
1 《「開き」は「割り」の忌み詞》正月11日(もと20日)に鏡餅(かがみもち)を下ろし、雑煮や汁粉にして食べること。武家では、男子は具足に、女子は鏡台に供えた鏡餅を手や槌(つち)で割り砕いた。町家でもこの風習をまねて行うようになった。鏡割り。《季 新年》「伊勢海老の―や具足櫃(ぐそくびつ)/許六」
2 「鏡抜き」に同じ。鏡割り。
大辞林 第三版の解説
かがみびらき【鏡開き】
〔「開き」は「割る」の忌み詞〕
①正月に神や仏に供えた鏡餅をおろし,雑煮や汁粉に入れて食べること。正月11日に行うところが多い。近世に始まり,当時は鏡餅を男は具足に,女は鏡台に供え,1月20日に割って食べた。鏡割り。 [季] 新年。
②パーティーなどで,酒だるのふたを木づちで割ってあけること。汲み上げた酒で乾杯する。鏡割り。
世界大百科事典 第2版の解説
かがみびらき【鏡開き】
正月の鏡餅を下げ,砕いた小片を雑煮や汁粉に入れて食べる祝い。主として1月11日の行事。古くは1月20日に行われていたが,江戸時代に3代将軍家光の忌日が20日であるため11日に改められたという。武家では甲冑を納めた櫃を開く具足開きが,町家では蔵開き,帳祝いが行われ,鏡餅を下げて主従や家族どうしで共食し,互いの関係を密にした。農家でも田打正月,鍬初めなどといって田畑に初鍬を入れ,そこに松や鏡餅の砕片を供えたり,臼起しといって暮に伏せた臼を起こし儀礼的に米つき等の作業をすることが行われ,同時に雑煮や汁粉を食べた。
百科事典マイペディアの解説
鏡開き 【かがみびらき】
鏡おろしとも。鏡餅(もち)を下げ,雑煮や汁粉などにして皆で食べること。もとは正月20日に行われたが,江戸時代に11日に改められた。武家では具足開き,商家では蔵開きなどともいって,正月が終わり仕事始めの日とされた。
かがみ。
かんがみる、てらす、みる。
あきらか。
馬のひたいの旋毛。
日本大百科全書(ニッポニカ)
鏡餅
かがみもち
正月用のお供え餅。昔の金属鏡から連想した、丸く平たい形の餅で、祭礼などの供物にも用いられるが、正月に歳神(年神)(としがみ)に供えるものをいうのが一般的である。年の境にあたり、家族各人の霊魂をかたどった餅を捧(ささ)げ、霊の更新を図るのが古意で、身祝いの餅はその伝統をとどめている。三方(さんぼう)にのせ、重ね餅にして飾りたてるのは、蓬莱(ほうらい)(お手掛け、食積(くいつみ)ともいう)の形と合体したためである。普通2個を重ねるが、3個の所もあり、それにダイダイ、イセエビ、干し柿(がき)、昆布、ウラジロなどを添える。1月11日の鏡開きに家人が食べ、あるいは6月1日まで残しておいて歯固めにする例も多い。
http://www.kagamimochi.jp/saguru/page3.html
>1月11日は鏡開きの日
供えた鏡餅を下げる日は各地方によって違いがあります。
年神様がいらっしゃる1月7日までを松の内といいます。鏡開きは、松の内が明けた1月11日に行うのが一般的です。
松の内を15日とする地方では、鏡開きを15日または20日に行う場合があります。
また、京都では1月4日に行われます。
鏡餅から新しい生命を受ける
お正月、神様からは全ての人や物に新しい生命を与えるために現れると伝えられています。つまり一年に一度新たに生まれ変わるということです。その年神様の霊力はお供えした鏡餅に宿っていますので、鏡餅を食べることで新しい生命をいただくことができるというわけです。
食べてこそ「鏡開き」
お供えした餅には神様の霊が宿っているので、刃物を使わず木づちなどで叩いて割って(鏡を開く)、雑煮や汁粉などで食べましょう。
>お正月にお供えする理由
鏡餅の丸い形は人の魂(心臓)を模したものといわれ、また昔の鏡が円形だったことから「鏡餅」と呼ばれるようになりました。
元禄8(1695)年に出版された「本朝食鑑」に「大円塊に作って鏡の形に擬(なぞら)える」との記載があることから、鏡餅は拝み見るべきものだったのかもしれません。大小2つ重ね合わせるのは、月(陰)と日(陽)を表しており、福徳が重なって縁起がいいと考えられたからとも伝えられています。
デジタル大辞泉の解説
かがみ‐びらき 【鏡開き】
1 《「開き」は「割り」の忌み詞》正月11日(もと20日)に鏡餅(かがみもち)を下ろし、雑煮や汁粉にして食べること。武家では、男子は具足に、女子は鏡台に供えた鏡餅を手や槌(つち)で割り砕いた。町家でもこの風習をまねて行うようになった。鏡割り。《季 新年》「伊勢海老の―や具足櫃(ぐそくびつ)/許六」
2 「鏡抜き」に同じ。鏡割り。
大辞林 第三版の解説
かがみびらき【鏡開き】
〔「開き」は「割る」の忌み詞〕
①正月に神や仏に供えた鏡餅をおろし,雑煮や汁粉に入れて食べること。正月11日に行うところが多い。近世に始まり,当時は鏡餅を男は具足に,女は鏡台に供え,1月20日に割って食べた。鏡割り。 [季] 新年。
②パーティーなどで,酒だるのふたを木づちで割ってあけること。汲み上げた酒で乾杯する。鏡割り。
世界大百科事典 第2版の解説
かがみびらき【鏡開き】
正月の鏡餅を下げ,砕いた小片を雑煮や汁粉に入れて食べる祝い。主として1月11日の行事。古くは1月20日に行われていたが,江戸時代に3代将軍家光の忌日が20日であるため11日に改められたという。武家では甲冑を納めた櫃を開く具足開きが,町家では蔵開き,帳祝いが行われ,鏡餅を下げて主従や家族どうしで共食し,互いの関係を密にした。農家でも田打正月,鍬初めなどといって田畑に初鍬を入れ,そこに松や鏡餅の砕片を供えたり,臼起しといって暮に伏せた臼を起こし儀礼的に米つき等の作業をすることが行われ,同時に雑煮や汁粉を食べた。
百科事典マイペディアの解説
鏡開き 【かがみびらき】
鏡おろしとも。鏡餅(もち)を下げ,雑煮や汁粉などにして皆で食べること。もとは正月20日に行われたが,江戸時代に11日に改められた。武家では具足開き,商家では蔵開きなどともいって,正月が終わり仕事始めの日とされた。