近代になって国語研究は文献実証方法を実践してきた。国語の歴史は1600年に及ぶ。文法意識は、その萌芽が漢語、漢文移入とともにあり、芽生えた。文字をもって、字書、漢語の翻訳に、音韻をとらえて文法を詞辞に分析することにあった。文法書となると、歌学の作法に見られたという、テニヲハの用法になる。歌句に表現をみて、大和言葉とした。言葉を用いる主体者の表現方法は句法にあったのである。
伝統歌学の和語、国語に迎えるのは漢語と対比する外来語、キリシタンものなど、そのやわらげにあった。和字としてのものである。幕末から近代の黎明期には国語の外に言語を見るようになるのであるが、そこにある言葉には句法でなく文法があった。国語には文章としてのものについて、文を析出する展開となった。近代の国語研究に見えるようになるのは、その文法には漢文訓読の語法、和歌の句法と異なってあたらしい概念を必要とするようになる。
近代国家の言語に国語が統一された。和語は京都にあった中央語から、擬古の復興に言葉が坂東下りするのである。日本語の特徴を中央と地方のないまぜに表していた。漢語は訓読語法に共通する国語であった。そのいずれにも国語の論理を内在させたままに、外国の文法という概念がもたらされ、文の分析を導入するようになる。主語と述語の捉え方である。国語文法は外来のことばをいれて、文法を作り上げてきた。文とは何かを求めて、文の成立する要件を陳述作用と議論を始めた。理論という文法論を必要としたが、一方では文の成立に寄与する発語、語気、文末が句法のままに分析が残されたままとなった。
そして、国語文法から日本語文法へのシフトが起こる。
陳述、統覚作用に述語があり、それに対応する論理は、言語主体にあったにかかわらず、ながく主語述語を併せ持った説明となる。述語は主語と題目において西欧の文法論理に合わせてきた。国語文法はその理論の整合性に、当てはまらないとするのは日本語学者の恣意である。膠着語現象による文法機能を見るからであるが、いまその理論は、叙法における文末表現に向けられて、話し手の意図、表現意図からモダリティーという視点の解釈に及んで、ほぼ、半世紀を費やしてきた。モダリティー研究の時期になる。シンタクスと意味、センテンスの意味内容の様相に見えるかもしれない。