国号に日本を表記するのは日本の国としての意識の表れであるから、それを求めて日本をとらえる。かつて、その議論のもとに、日本の表記が訓読をされていたとみる、やまとを国号としたと中国との交易で考えたことがあるが、漢字表記をすれば、日本が漢字読みをされたであろうから、どのように貿易港から発音が伝播したかを思った。日本語の方から見れば、読みになるヤマトに、日本の表記をあてたのである。それは万葉集歌の書記に見る。大和はまた、和あるいは倭の表記で、おほやまとと訓じた。畿内国に記録されている名であるから、ヤマトと日本の表記による関係は淵源をたどる。日本語史として、やまとことばの歴史とするには、和語史でもよいわけであるから、それを国語史として見ることが行われてきた。しかし、国語史には、近世の国語国字の用法を受けて、近代の国語国字問題と変貌をして、明治期以降の学問名称として博言学に対する国学の流れを見た国語学である、その国語の見方がある。くにつまなび、くにつことばであった。日本語の名称を訓じたヤマトではなくて、にっぽん、そのもとするのは、歴史の表記によれば、日葡辞書の発音がそれを示しているとしたことがある。ただ、それには、じっぽん、という発音の捉え方もあった。
以下は、日本国語大辞典より
おお‐やまと[おほ:] 【大和・大倭・大日本】
解説・用例
(「おお」は接頭語)
〔一〕大和国(やまとのくに=奈良県)全体の称。
*二十巻本和名類聚抄〔934頃〕五「畿内国 〈略〉大和〈於保夜万止〉」
〔二〕日本国の異称。
*万葉集〔8C後〕三・四七五「わが王(おほきみ) 皇子(みこ)の命(みこと) 万代(よろづよ)に 食(め)したまはまし 大日本(おほやまと) 久邇(くに)の京は〈大伴家持〉」
やまと 【大和・倭】
解説・用例
【一】
〔一〕大和国城下(しきのしも)郡(磯城郡)の郷名。現在の奈良県天理市長柄(ながら)・海知(かいち)の一帯にあたる。
*古事記〔712〕下・歌謡「青によし 奈良を過ぎ 小楯 夜麻登(ヤマト)を過ぎ 我が 見が欲し国は 葛城高宮 我家のあたり」
〔二〕畿内五か国の一国。大化改新で一国となる。もと倭・大倭・大養徳などと書かれたが天平宝字元年(七五七)以来大和と書く。大和朝廷発祥の地で、奈良時代までその都が置かれた。以後室町時代までは興福寺が支配。江戸時代は奈良奉行の支配する天領のほか七藩に分割。廃藩置県後は奈良県・堺県・大阪府を経て明治二〇年(一八八七)現在の奈良県となる。和州。
*万葉集〔8C後〕一・二「山常(やまと)には 群山あれど とりよろふ 天の香具山〈舒明天皇〉」
〔三〕(〔一〕に都があったところから)日本国の異称。やまとの国。
*日本書紀〔720〕神代上「大日本〈日本、此をば耶麻騰(ヤマト)と云ふ。下皆此に效へ〉豊秋津洲」
*続日本後紀‐嘉祥二年〔849〕三月庚辰「長歌詞曰。日本の 野馬臺の国を 賀美侶伎の 宿那ヒ古那か」
*金槐和歌集〔1213〕雑「上つ毛のせたの赤城の神やしろ山とにいかで跡をたれけむ」
じっ‐ぽん 【日本】
解説・用例
日本国の呼称。「日本」の字音読みから、ヨーロッパ語で呼称されたものの一つ。
*日葡辞書〔1603〜04〕「Iippon (ジッポン)。ヒノ モト〈訳〉東洋、すなわち日本」
にっぽん 【日本】
解説・用例
【一】
〔一〕わが国の呼び名。→にほん。
*高野本平家物語〔13C前〕一・吾身栄花「日本(ニッホン)秋津嶋は纔に六十六箇国」
*信心録(ヒイデスの導師)〔1592〕序「Sancta Obediençia ノ ウエ ヨリ コレ ノ Nippon (ニッポン) ノ コトバニ ヤワラグ ベキヨシ」
*天草本平家物語〔1592〕一・一「タイタウNippon (ニッポン)ニ ヲイテ ヲゴリヲ キワメタ ヒトビト」
*日葡辞書〔1603〜04〕「Nippon (ニッポン)。ヒノモト」
*虎寛本狂言・節分〔室町末〜近世初〕「今夜日っ本には節分と申て、豆をはやいて年を取ると申に依て」
*読本・椿説弓張月〔1807〜11〕続・三三回「日本(ニッホン)の僧、彼国にありける日、正しく見たるよし」
補注
古くから「ニホン」「ニッポン」と両様によまれてきたが、本辞典では特に「ニッポン」と読みならわされているもの、および、文献上確証のあるものを除いて、すべて「ニホン」にまとめた。なお、子見出し項目も「ニホン」の項のもとで扱い、「ニッポン」の読みのある例も、そこにまとめた。→「にほん(日本)」の語誌。
にほん 【日本】
解説・用例
〔一〕(「東の方」の意の「ひのもと」を漢字で記したところから)わが国の国号。大和(やまと)地方を発祥地とする大和朝廷により国家的統一がなされたところから、古くは「やまと」「おおやまと」といい、中国がわが国をさして倭(わ)国と記したため倭(やまと)・大倭(おおやまと)の文字が当てられた。その後、東方すなわち日の出るところの意から「日本」と記して「やまと」と読ませ、大化改新の頃、正式の国号として定められたものと考えられるが、以降、しだいに「ニホン」「ニッポン」と音読するようになった。明治二二年(一八八九)制定の旧憲法では、大日本帝国(だいにっぽんていこく)が国号として用いられたが、昭和二一年(一九四六)公布の日本国憲法により日本国が国号として用いられるようになった。その読み方については国家的統一はなく、対外的に多く「ニッポン」を用いる以外は「ニホン」「ニッポン」が厳密に使いわけられることなく併用されている。本辞典では、文献上明らかに「ニッポン」と記されている場合以外は、すべて「ニホン」として扱った。美称として、大八洲(おおやしま)、豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)、葦原中国(あしはらのなかつくに)、秋津島、秋津国、大倭豊秋津島など。
*宇津保物語〔970〜999頃〕俊蔭「日本の衆生、三年つつしみてかの仙人になつみ、水くみせし」
*殿暦‐康和二年〔1100〕正月二二日「件笛者日本第一之物也」
*中右記‐元永二年〔1119〕二月二九日「人々一同被申云、本自無牒日本国書付商客申調遣返牒事怱不可有也」
*名語記〔1275〕五「日本は小国百里の国」
*日葡辞書〔1603〜04〕「Nifon (ニホン)」
*ロドリゲス日本大文典〔1604〜08〕「Nifonno (ニホンノ) ショウコクニ」
*読本・雨月物語〔1776〕白峯「かの孟子の書ばかりいまだ日本に来らず」
*小学入門(甲号)〔1874〕〈民間版〉「日本(ニホン)の人は常に穀類魚類を食し西洋の人は常に獣肉鳥肉を食す」
*李白‐哭晁卿衡詩「日本晁卿辞帝都、征帆一片遶蓬壺」
*新唐書‐東夷伝・日本国「日本、古倭奴也〈略〉後稍習夏音悪倭名、更号日本、使者自言、国近日所出、以為名」
語誌
(〔一〕について)
(1)「日本」の由来については諸説あり、(イ)中国東方の日の昇る本の国の意味から、(ロ)古い国号ヤマトの「ヤマ」の枕詞の「日の本の」からとも、(ハ)和語クサカの漢字による表音的表記「曰下」を「日下」と誤り、それを好字である「日本」に書き換えた、などといわれるが、いずれも確証を得ない。
(2)「日本」という漢字表記にはニホン、ニッポン、ヒノモト、ヤマトの読みが可能であるが、平安時代以降の仮名文献でも漢字で表記されるのが原則であるために、実際の語形は明らかにしがたい。
(3)「日」は漢音ジツ、呉音ニチ。また、「本」は漢音呉音ともにホン。「日本」は呉音の字音よみとして、まずニッポンと発音されたものが、しだいに促音を発音せず日本的にやわらかなニホンに変わっていき、両方がそのまま使われたものと思われる。なお、ジッポンというよみもあったことは「日葡辞書」にも記されている。
(4)室町期には国号呼称としてのニホン、ニッポンの両方があったことは、謡曲や「日葡辞書」「ロドリゲス日本大文典」などで明らかである。両形の併存についてはニホンがより和語的な響きをもつのに対してニッポンは強調語形と意識されていたとする見方もある。
(5)明治以降、この国号呼称の統一をめぐって、政界や教育界、マスコミなどで、さまざまに論議されてきたが、確定していない。
以下は、日本国語大辞典より
おお‐やまと[おほ:] 【大和・大倭・大日本】
解説・用例
(「おお」は接頭語)
〔一〕大和国(やまとのくに=奈良県)全体の称。
*二十巻本和名類聚抄〔934頃〕五「畿内国 〈略〉大和〈於保夜万止〉」
〔二〕日本国の異称。
*万葉集〔8C後〕三・四七五「わが王(おほきみ) 皇子(みこ)の命(みこと) 万代(よろづよ)に 食(め)したまはまし 大日本(おほやまと) 久邇(くに)の京は〈大伴家持〉」
やまと 【大和・倭】
解説・用例
【一】
〔一〕大和国城下(しきのしも)郡(磯城郡)の郷名。現在の奈良県天理市長柄(ながら)・海知(かいち)の一帯にあたる。
*古事記〔712〕下・歌謡「青によし 奈良を過ぎ 小楯 夜麻登(ヤマト)を過ぎ 我が 見が欲し国は 葛城高宮 我家のあたり」
〔二〕畿内五か国の一国。大化改新で一国となる。もと倭・大倭・大養徳などと書かれたが天平宝字元年(七五七)以来大和と書く。大和朝廷発祥の地で、奈良時代までその都が置かれた。以後室町時代までは興福寺が支配。江戸時代は奈良奉行の支配する天領のほか七藩に分割。廃藩置県後は奈良県・堺県・大阪府を経て明治二〇年(一八八七)現在の奈良県となる。和州。
*万葉集〔8C後〕一・二「山常(やまと)には 群山あれど とりよろふ 天の香具山〈舒明天皇〉」
〔三〕(〔一〕に都があったところから)日本国の異称。やまとの国。
*日本書紀〔720〕神代上「大日本〈日本、此をば耶麻騰(ヤマト)と云ふ。下皆此に效へ〉豊秋津洲」
*続日本後紀‐嘉祥二年〔849〕三月庚辰「長歌詞曰。日本の 野馬臺の国を 賀美侶伎の 宿那ヒ古那か」
*金槐和歌集〔1213〕雑「上つ毛のせたの赤城の神やしろ山とにいかで跡をたれけむ」
じっ‐ぽん 【日本】
解説・用例
日本国の呼称。「日本」の字音読みから、ヨーロッパ語で呼称されたものの一つ。
*日葡辞書〔1603〜04〕「Iippon (ジッポン)。ヒノ モト〈訳〉東洋、すなわち日本」
にっぽん 【日本】
解説・用例
【一】
〔一〕わが国の呼び名。→にほん。
*高野本平家物語〔13C前〕一・吾身栄花「日本(ニッホン)秋津嶋は纔に六十六箇国」
*信心録(ヒイデスの導師)〔1592〕序「Sancta Obediençia ノ ウエ ヨリ コレ ノ Nippon (ニッポン) ノ コトバニ ヤワラグ ベキヨシ」
*天草本平家物語〔1592〕一・一「タイタウNippon (ニッポン)ニ ヲイテ ヲゴリヲ キワメタ ヒトビト」
*日葡辞書〔1603〜04〕「Nippon (ニッポン)。ヒノモト」
*虎寛本狂言・節分〔室町末〜近世初〕「今夜日っ本には節分と申て、豆をはやいて年を取ると申に依て」
*読本・椿説弓張月〔1807〜11〕続・三三回「日本(ニッホン)の僧、彼国にありける日、正しく見たるよし」
補注
古くから「ニホン」「ニッポン」と両様によまれてきたが、本辞典では特に「ニッポン」と読みならわされているもの、および、文献上確証のあるものを除いて、すべて「ニホン」にまとめた。なお、子見出し項目も「ニホン」の項のもとで扱い、「ニッポン」の読みのある例も、そこにまとめた。→「にほん(日本)」の語誌。
にほん 【日本】
解説・用例
〔一〕(「東の方」の意の「ひのもと」を漢字で記したところから)わが国の国号。大和(やまと)地方を発祥地とする大和朝廷により国家的統一がなされたところから、古くは「やまと」「おおやまと」といい、中国がわが国をさして倭(わ)国と記したため倭(やまと)・大倭(おおやまと)の文字が当てられた。その後、東方すなわち日の出るところの意から「日本」と記して「やまと」と読ませ、大化改新の頃、正式の国号として定められたものと考えられるが、以降、しだいに「ニホン」「ニッポン」と音読するようになった。明治二二年(一八八九)制定の旧憲法では、大日本帝国(だいにっぽんていこく)が国号として用いられたが、昭和二一年(一九四六)公布の日本国憲法により日本国が国号として用いられるようになった。その読み方については国家的統一はなく、対外的に多く「ニッポン」を用いる以外は「ニホン」「ニッポン」が厳密に使いわけられることなく併用されている。本辞典では、文献上明らかに「ニッポン」と記されている場合以外は、すべて「ニホン」として扱った。美称として、大八洲(おおやしま)、豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)、葦原中国(あしはらのなかつくに)、秋津島、秋津国、大倭豊秋津島など。
*宇津保物語〔970〜999頃〕俊蔭「日本の衆生、三年つつしみてかの仙人になつみ、水くみせし」
*殿暦‐康和二年〔1100〕正月二二日「件笛者日本第一之物也」
*中右記‐元永二年〔1119〕二月二九日「人々一同被申云、本自無牒日本国書付商客申調遣返牒事怱不可有也」
*名語記〔1275〕五「日本は小国百里の国」
*日葡辞書〔1603〜04〕「Nifon (ニホン)」
*ロドリゲス日本大文典〔1604〜08〕「Nifonno (ニホンノ) ショウコクニ」
*読本・雨月物語〔1776〕白峯「かの孟子の書ばかりいまだ日本に来らず」
*小学入門(甲号)〔1874〕〈民間版〉「日本(ニホン)の人は常に穀類魚類を食し西洋の人は常に獣肉鳥肉を食す」
*李白‐哭晁卿衡詩「日本晁卿辞帝都、征帆一片遶蓬壺」
*新唐書‐東夷伝・日本国「日本、古倭奴也〈略〉後稍習夏音悪倭名、更号日本、使者自言、国近日所出、以為名」
語誌
(〔一〕について)
(1)「日本」の由来については諸説あり、(イ)中国東方の日の昇る本の国の意味から、(ロ)古い国号ヤマトの「ヤマ」の枕詞の「日の本の」からとも、(ハ)和語クサカの漢字による表音的表記「曰下」を「日下」と誤り、それを好字である「日本」に書き換えた、などといわれるが、いずれも確証を得ない。
(2)「日本」という漢字表記にはニホン、ニッポン、ヒノモト、ヤマトの読みが可能であるが、平安時代以降の仮名文献でも漢字で表記されるのが原則であるために、実際の語形は明らかにしがたい。
(3)「日」は漢音ジツ、呉音ニチ。また、「本」は漢音呉音ともにホン。「日本」は呉音の字音よみとして、まずニッポンと発音されたものが、しだいに促音を発音せず日本的にやわらかなニホンに変わっていき、両方がそのまま使われたものと思われる。なお、ジッポンというよみもあったことは「日葡辞書」にも記されている。
(4)室町期には国号呼称としてのニホン、ニッポンの両方があったことは、謡曲や「日葡辞書」「ロドリゲス日本大文典」などで明らかである。両形の併存についてはニホンがより和語的な響きをもつのに対してニッポンは強調語形と意識されていたとする見方もある。
(5)明治以降、この国号呼称の統一をめぐって、政界や教育界、マスコミなどで、さまざまに論議されてきたが、確定していない。