いまの職を務めあげるので送別会を受けた。学生時代のアルバイトの話になった。よくやったと思うが、いろいろにはない。おきまりの家庭教師をはじめ、わりと稼いだほうである。いまの学生にも授業料の足しにすることがあるだろうから、また時間の使い方が違うから何とも言えないが、アルバイトは、それは生活のためであったと思いだす一方で、遊興費に使った覚えがない。大学に払う授業料にもなっていた。私学に通うこと、10年に及ぶから、大学、大学院時代、そして職を得る準備の猶予となるが、学生時代はそのうちの4年間のことである。家庭教師は高校生受験と帰国子女の日本語教育だった。そのふたつを掛け持ちし、さらにまた大学受験生のアルバイトが、そのあとの5年間の院生時代につながっている。それは全国模試を作成するところまで、アルバイトらしからぬことになってしまうので、院生時代に高校の非常勤講師とあわせて、何かと物入りで大変だったのである。奨学金を5年間得ていたりもしたから、ここまでの歩んできた道には学生時代のアルバイトとしての資金稼ぎがあったことになる。それをまた思い出すと、何をしていたか。できるだけ効率の良い仕事を探して、あれこれとして見つけたのが入学後のアルバイト、3年余り、夕刻の家庭教師とは裏腹に、パン屋の早朝の配達だった。牛乳、新聞となればそれぞれに共通して苦学生の友人がいた。牛乳配達はそれこそ牛乳瓶の重さで体力的に、また新聞配達は奨学生の給付のあるものだったので精神的に、若い学生に鍛錬となるといっても、それなりの苦労があるから、大学生としての苦学には変わりはない。そこに、パンの配達はおなじように、早起きで一走りをして、それがわたしの場合は2トントラックであったわけで、年に休みは2日しかない、元日とお盆だけという、雨の日も風の日も、雪の日も30軒ほどにテリトリーをもって、明け方のうちにパンを配って回ったのである。店先に、扉のうちに、そしてスーパーだと、シャッタをガラガラとあけて、明け方のうちに、3ケース、5ケースといったふうに、多いのは20にもなる、パン入りのケースをそっと置いた。始めたころは木製のパンケースであったので、その重量は推して知るべし、プラスティックのケースに変わる時期を経験している。
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