半世紀、いやそれよりさらに10年以上もさかのぼって制作された映画を観た。
尼僧物語、オードリー・ヘプバーン扮する看護尼、信仰生活の現実を演出する。
NHKのBS放送、看護師にかかわって興味深かった。
自分はごまかせない、そして、神も自分も、となる主人公の思いは、父親をして頑固なところがってあってと言わしめる。そして結局は自分をごまかしきれない信仰の道に神をごまかせない行為のはてに告解に揺れるこ . . . 本文を読む
話しことば、書きことば、このふたつを日本語の現象としてとらえる。
その説明を見ると甚だ歯切れが悪い。
口語、文語に議論が遷り、それは国語の分類の話になる。甚だしいのは文章語から、違いをとらえようとそしてその基準はどこにあるのかということに及ぶと、途端に、文章表現にふさわしい語の用法だとか何とかの解説で、基準が求められるのは語法のことになる。
なかには音声言語、文字言語との対比で言語そのものの見方 . . . 本文を読む
口語の話法と想定する。口話法と見えるのは、読唇に拠るのでまぎれないように考えて、現代話法でもよい。敬語のカテゴリーをひとまず置く。
です、ます、と用いるのは、スピーチ、それには演説、講義、講演など人々の前で行う話法となる。そしてまた、未知なる初対面における自己紹介、手紙文の用法などがある。
この話法は人称を1人称と見る、わたくし の文法現象で、ほとんどは、わたくし また わたし を用いない。
あ . . . 本文を読む
ちょうど1週間前になる記事で注目するサイトとして論文PDFを取り上げて、その後に論文の(一)をさがしてみると、それはともに含めて書籍になっているのを知って入手、読了した。3日前か、その日の検索、注文12日、そして13日に読み始めた。感想を書こうとして、そのままになった。
それで問いかけのタイトルに筆者はどう答えたか、それはなんであったか。この筆者によって、
愛しています 伝わっていますか
愛し . . . 本文を読む
わがはいは ねこである
わがはいが ねこである
ふたつの言い方には、は が の違いがある。口調、音調を今はとらえない。
そして国語の助詞の用法を説明する。ともに付属語になる。
は 副助詞 意味を添える 係る機能がある 文章における主題である
が 格助詞 主格を表す 述語に対応する 文における主語である
この捉え方にさらに解釈があるとすれば、ーが ーである という言い方には文として特定する指示 . . . 本文を読む
政治家が嘘を言うのか、政治が嘘になるのか、10代のころに政治というものは祭りごとでうそを掲げてでも民衆を動かすということがある、その局面を悟って政治家が嘘つきだからいやだという短絡した思いで距離を置いた。いまにして思えば幼い、ポピュリスト、ポピュリズムを連想していたのだろう。
その民衆大衆を独裁に操る専制政治が東西に跋扈して民主主義はその政治形態を危うくしている。ロシアは戦争を起こして1年になる . . . 本文を読む
防衛費増税とその財源にたばこ税というのがあってなんだか煙たい話をけむに巻く政治の手法だなと思ってそれも増税の時期を言わずにその財源確保までには5年をかけるという岸田政治のやり方は目くらましのように閣議での議論を経ることなくあったかもしれないが一方的に与党の税調できめてしまってあっというまに法律を作るところまで財務省片手にしたり顔となっていた財務、外務大臣外務副大臣たちである。そして外交には増税の . . . 本文を読む
主辞 賓辞 繋辞また連辞
論理学で言う命題
論理学で真であるとか偽であるとかいいうる言語的に表明された判断をいう。
文法学で取り入れて、主語、目的語、述語の一部になるもの。
文またセンテンスを構成するもの。
わがはい ねこ
わがはいが ねこ
わがはいが ネコである
わがはいは 猫である。
世界大百科事典内の主辞の言及
【主語・述語】より
>[形式論理学と文法]
そもそも主語・述語と . . . 本文を読む
論文体といわれる、である文体、科学技術論文での文章取り決めには細かな規定を設けるものがある。そのほかの分野ではどうかとなると、一口に文系とくくってしまえばそれはさんさ万別と言っていいくらいになる、なぜなら発行するその雑誌によって主宰の論文投稿規定が定められていたりするからである。それは同様に理系にもと言ってしまえばそうなのだが、文型理系を問わず、その文章と出来上がった論文の共通するスタイルの大ま . . . 本文を読む