梅雨明け宣言はないが、真夏日である。古めかしい街を歩いていると、ひまわりに出会った。ひまわりはどこにいても、どんな環境でも太陽に向かって咲いていく花で、明るさ、陽気さの象徴みたいだ。でも映画「ひまわり」で、一面の広大なひまわり畑に物悲しくも切なく美しいメロディーが流れるシーンは、いつ見ても心の奥に響くものがある。
誰も悪人はいないのに、戦争という過酷な運命が悲劇を生む。いや悲劇でなく、人間の宿命の選択はすべて哀しいものなのかもしれない。あえて戦争批判をしていないストーリーが、無言の悲しみ、怒りを表現しているような気がする。
何も言わないでじっと耐える、そんな大人の時代はもう来ないのだろうか。
誰も悪人はいないのに、戦争という過酷な運命が悲劇を生む。いや悲劇でなく、人間の宿命の選択はすべて哀しいものなのかもしれない。あえて戦争批判をしていないストーリーが、無言の悲しみ、怒りを表現しているような気がする。
何も言わないでじっと耐える、そんな大人の時代はもう来ないのだろうか。