森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

栗毛の馬

2005-07-15 21:17:48 | 動物と花
 物憂い表情の栗毛の馬がいた。そっと馬の背中に触れると、思ったより筋肉質で硬い。馬は神経質な動物で、人が近寄るとすごく存在を意識しているようだ。なんともいえず愛くるしく、ちょっぴり古めかしい雰囲気の馬に、じっと見とれてしまった。
 時代劇でヒーローが馬にまたがり颯爽と乗る姿はかっこいい。パカッパカッと窮地に陥った者を助けるシーンだ。勧善懲悪の単純なストーリー、私の祖母は映画館の一番前に陣取り「はよ助けにいかんと」と大きな声を出してヒーローを応援した。
 私は白けた子どもで、間に合わず悪役に斬られてしまうこともあるだろうなあと、後ろの方の座席で考えていた。可愛くないなあ。
 
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カッパ将棋教室?

2005-07-14 20:14:15 | 将棋あれこれ
 以前、兵庫県篠山市にいったとき、一ヶ月に一回出店して、面白い絵を描く京都の看板屋さんに出会った。その場で将棋とピアノ教室の看板を注文したが内容はお任せコース。出来上がったのは一ヵ月後で、将棋教室の分はカッパが将棋を指している絵柄で、材料はしゃれた木を使ってくれた。一ヶ月という、この間合いがいい、何でも直に手に入らない方が味がある。また吹きさらしなので雨には弱いが、むしろ大事に匿わないのがいいと思った。
 この際「カッパ将棋教室」に変えようかと思ったが、子どもたちが嫌がりそうなので辞めにした。
 
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骨董の万次郎

2005-07-13 20:16:18 | 日々の写真
 以前骨董市で見つけたのが、この万次郎だ。万次郎は革で作られた椅子で、豚の姿をしている。
 椅子といってもほとんど座ったことがなく、廊下の本箱の下で弟子達が将棋の本を手にするのをじっと見ているだけだ。地味な顔のせいかほとんど誰にも注目されないで、むしろ場所をとって厄介扱いされているかもしれない。大きな図体に短い足、とぼけた眼差し、性急な今の時代にテンポがあっていないのが魅力である。何となく万次郎と名付けたが、ぴったりの名前だと思う。
追記
 万次郎は豚でなくて犬の姿をしていました。ごめんな万次郎。
 
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入道雲とひぐらし

2005-07-12 21:12:40 | 日々の写真
 梅雨明けも近い日の夕暮れ、小さな入道雲が湧き立ち、ひぐらしが啼いていた。ひぐらしは梅雨明けと同時にさざなみのように啼くそうだから、間違いないだろう。日が暮れると啼くから、ひぐらしというのだろうなあ。入道雲が涌くと、いよいよ夏の到来だ。夏の空は白い雲が綿菓子のように湧き立ち、懐かしい人の顔に見えることもある。自分の生きてきた夏が今まで何回だったのか、これから何回あるのか、空の果てがみえそうな青空の奥と縁続きのようで、この世とあの世の境目が薄くなる季節と思うのだ。お盆が近くなるせいだろうか。
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将棋盤とトビオ君

2005-07-12 00:57:27 | 動物と花
 詰将棋を作るときは寝転んでミニの板盤を使う。駒もミニで、普通の駒の半分以下の大きさで、これだと何時間でも疲れない。このミニ駒をよく見ると、何枚かの駒に歯型がある。我が家のパグ、「トビオ」が噛んだせいである。トビオ君は私が詰将棋創作の仕事をしていると、必ず手伝ってくれる。それはいいのだが、長時間になると「もう辞めて遊ぼうよ」と盤の間に入ってきてストップをかける。知らん振りで徐々に徐々に割り込んでくるのだ。犬とは思えないくらい、頭脳プレーを発揮する。
 仕事を終えて、トビオもミニ盤駒も一休みだ。
 
 
 
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高山寺 犬の彫像

2005-07-11 01:46:27 | 日々の写真
 京都栂尾にある高山寺に、志賀直哉が愛した犬の彫像がある。初めに出会ったとき、熊なのか犬なのか、子どもなのか大人なのか、摩訶不思議でいて愛嬌のある姿が目に留まった。真っ直ぐで凛々しい目線、この彫像はいつ作られ、作者は誰なのだろう。
 29歳で亡くなった私の弟子の村山聖九段にも似ていて、こんな風だったなあと思わせてくれて懐かしい。本物の彫像が欲しかったが、置物で我慢して飾ることにした。
 
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信楽のタヌキ

2005-07-09 21:20:47 | 日々の写真
 子どもの頃、タヌキは化けて、キツネは人をだますと大人に教えられていた。子どもが夜に出歩くと、キツネやタヌキに怖い目に遭わされるぞと戒められていたのだった。
 今は確実に人間の方が怖い生き物だ。風体の怪しい私など、特に通学中の子どもに道を訪ねるのも憚れるし、実際にいろんな事件が起きているから、人を見たら怪しめというのも仕方ないのだろう。信楽のタヌキを見るとほっとする。のんびりしていておおらかで、とても人間を騙そうとか、化けているとかあり得ない。
 人間の方が化けたり騙したり、疑ってしまいそうというのも悲しい昨今である。怪しいそうなのが怪しくなくて、一見怪しくないものが怪しい?と思うのだ。
 
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ウサギの親子

2005-07-08 22:48:24 | 動物と花
 ウサギは大きな長い耳で、後ろに目があるように警戒心が強い。くつろいでいるようでいて、周囲の状況を耳で嗅ぎ取っているのだろう。
 今の時代は何が起きても不思議でない。目の前のことだけに気を奪われていても、横から後ろから災難が降って沸いてくるようだ。動物の本能や嗅覚は、自然の声に耳を傾けて、鋭敏だ。
 ウサギの親子を見て、こんなことを考えてしまうのは、取り越し苦労だろうか。
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七夕飾り

2005-07-08 01:09:06 | 日々の写真
 七夕と言えば七夕飾りで、色とりどりの短冊に願いごとが書かれてある。今は風情もなく、街で見かけることもないようだ。今年はJRの事故の影響で、関西では夏の花火大会も中止のところが多い。自粛と言う言葉を目にしたとき、ちょっと変な感じがした。私の見る打ち上げ花火は、はかなくも美しい一瞬の煌きで、むしろ追悼の思いがしていたからだ。
 この七夕飾りは病院の玄関にあった。なすびが漫画チックだが、それでも「叶わぬまでも願い事を短冊に書く」儀式が懐かしい。
 
 
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大雨警報?

2005-07-07 18:39:52 | 日々の写真
 大雨警報が出たが、夕方晴れ間が見える。天気予報がいい加減なのでなく、天気が気まぐれなのだろう。
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