やうちのブログ

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終戦の日

2011-08-15 10:20:14 | 出来事

太平洋戦争は昭和二十年八月十四日、日本は連合国に「ポツダム宣言」の受託を通知し、日本の無条件降伏でその幕を閉じている。

  ♪海行かば 水漬くかばね  山行かば 草むすかばね
    大君の 辺にこそ死なめ  かえりみはせじ〜

今から66年前の今日(昭和二十年八月十五日)、正午のラジオ放送では「玉音放送」が流れてる。

NHKの和田信賢放送員によるアナウンスが先ずあり、続いて下村宏情報局総裁が天皇自らの勅語朗読である事を説明し、君が代の演奏。

その後4分余りの勅語朗読(昭和天皇の肉声録音盤)が放送されている。

放送において、

「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ・・・朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」

と、国民に日本国の敗戦を発せられ、ここに、“日出る国・日本帝国”は崩壊したのである。


顧みれば、

三百十万余に及ぶ人命の損失、おびただしい国富、その他物的の莫大な犠牲や巨大な戦費を注ぎ込んだにもかかわらず、日本は無条件降伏に至っている。

大東亜共栄圏の壮大な夢は空しく敗れ去り、辛うじて残された日本本土、そして外地の軍人、軍属及び居留民約七百万人が引き揚げねばならなくなった。

これが敗戦当時の日本の姿である。

“こんな無謀な戦争は決して二度と繰り返してはならぬ”

太平洋戦争が残した最大の教訓である。

 

今年も 全国戦没者追悼式が日本政府主催で日本武道館で行われる。

黙祷・合掌


広島・原爆の日

2011-08-06 12:20:41 | 出来事

今日8月6日の広島は、66回目の原爆忌を迎えた。

昭和20年(1945)8月6日の今日、中部太平洋のテニアン基地から飛来した米戦略爆撃機B29エノーラ・ゲイは、午前8時15分17秒、広島に原子爆弾(リトル・ボーイ)を投下した。

リトル・ボーイは爆弾倉を離れるや横向きにスピンし、ふらふらと落下した。間もなく尾部の安定翼が空気を掴み、放物線を描いて約43秒間落下した後、高度約580mの上空で核分裂爆発を起こし一瞬にして広島を廃墟の町に変えた。

爆心地から半径500mにいたほとんどの人々が即死し、当時の広島市には35万人(推定)の人が居たが、うち約14万人がこの一発の原爆で死亡したとされている。

今朝は、式典会場である平和記念公園には約5万人が出席した由。

松井一実・広島市長は平和宣言で「今なお続いている放射線の脅威は、原発に対する国民の信頼を根底から崩した」と指摘、早急にエネルギー政策を見直し、具体策を講じるよう日本政府に求めた。

 また、式典では、松井市長と遺族代表2人が、この1年に亡くなった被爆者ら5785人を登載した原爆死没者名簿を、原爆慰霊碑下の奉安箱に収めた。


今日の式典ひとり広島だけのものではなく、核の根絶は全人類の願いであり、

広島・長崎の輪を全世界に広めてゆかねばならない、と痛感した次第である。

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黙祷・合掌