善光寺を後に >♪訪ね来たりし信濃路を~ 往く
「松代」・・・松代藩10万石の城下町である。
JR長野駅前からバスで30分の所にある。
お目当ては、松代象山地下壕であったが、時間の関係で今回も見れず残念哉。
真田宝物館・真田邸・松代藩文武学校など見学。
元和8年(1622)に真田信之が上田から松代10万石の藩主として移り、以降真田氏10代・約250年間、信濃の雄藩として納めている。
「上田市」・・・六文銭でお馴染みの真田氏発祥の地である。
JR長野駅前から、しなの鉄道・小諸駅行きに乗ること約35分の所にある。
ここでは、上田城址公園を散策し、博物館、池上正太郎の真田太平記館など見学する。
城下町・上田は、天正11年(1583) に真田昌幸が上田城を築いてから城下町が形成されてゆく。家康をして二度も苦杯をなめさせた城である。しかし、関が原の戦いで西軍に組した昌幸・幸村父子は高野山ろくに蟄居。戦後徳川方に組した長男信之が父の上田城を与えられ、その後松代10万石に栄転する。以降、上田城は仙石氏、松平氏の居城となってゆく。
さて、信州と言えば蕎麦である。
”信州信濃の新そばよりも 私ゃ貴方のそばがいい”
と、言っていた家内と一緒に 十割蕎麦に喉越しを楽しむ。
「別所温泉郷」・・・旅の締めくくりは温泉で
上田駅より、上田交通・別所線で約30分の所にある。
この地には「北向観音堂」と、国宝・八角三重の塔がある「安楽寺」を見学した。北向観音堂は文字どおり北を向いていて、南向きの善光寺をお参りしてここを参らないと“片参り”となるので、今回はこの地にも足を伸ばした。
また、別所温泉郷は十七軒の旅館があり、浩宮さまお泊りの旅館や、道端の花木が目を愉しませてくれた。なお温泉あがりの宴は殊のほか銚子が進んだ。
こうして恙無く夫婦就楽旅行を終え、帰路につく。
以上、 かのお方肝入りの「定額給付金」使途に係る復命書とする。 (完)
「松代」・・・松代藩10万石の城下町である。
JR長野駅前からバスで30分の所にある。
お目当ては、松代象山地下壕であったが、時間の関係で今回も見れず残念哉。
真田宝物館・真田邸・松代藩文武学校など見学。
元和8年(1622)に真田信之が上田から松代10万石の藩主として移り、以降真田氏10代・約250年間、信濃の雄藩として納めている。
「上田市」・・・六文銭でお馴染みの真田氏発祥の地である。
JR長野駅前から、しなの鉄道・小諸駅行きに乗ること約35分の所にある。
ここでは、上田城址公園を散策し、博物館、池上正太郎の真田太平記館など見学する。
城下町・上田は、天正11年(1583) に真田昌幸が上田城を築いてから城下町が形成されてゆく。家康をして二度も苦杯をなめさせた城である。しかし、関が原の戦いで西軍に組した昌幸・幸村父子は高野山ろくに蟄居。戦後徳川方に組した長男信之が父の上田城を与えられ、その後松代10万石に栄転する。以降、上田城は仙石氏、松平氏の居城となってゆく。
さて、信州と言えば蕎麦である。
”信州信濃の新そばよりも 私ゃ貴方のそばがいい”
と、言っていた家内と一緒に 十割蕎麦に喉越しを楽しむ。
「別所温泉郷」・・・旅の締めくくりは温泉で
上田駅より、上田交通・別所線で約30分の所にある。
この地には「北向観音堂」と、国宝・八角三重の塔がある「安楽寺」を見学した。北向観音堂は文字どおり北を向いていて、南向きの善光寺をお参りしてここを参らないと“片参り”となるので、今回はこの地にも足を伸ばした。
また、別所温泉郷は十七軒の旅館があり、浩宮さまお泊りの旅館や、道端の花木が目を愉しませてくれた。なお温泉あがりの宴は殊のほか銚子が進んだ。
こうして恙無く夫婦就楽旅行を終え、帰路につく。
以上、 かのお方肝入りの「定額給付金」使途に係る復命書とする。 (完)