【第一日目】②
福井に向って車を走らすと 脇手に「一乗谷朝倉氏遺跡」の看板が見えた。
あぁ~あそこだ!~
「一乗谷朝倉氏遺跡・庭園」 所在:福井市城戸ノ内町
一乗谷は、福井市街の東南約10kmにあり、戦国時代朝倉氏の城下町の跡がそっくり埋もれていた。遺跡の発掘調査は、昭和42年から進められ、昭和46年には一乗谷城を含む278haが国の特別史跡に指定されました。また、平成3年には諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、館跡庭園、南陽寺跡庭園を含む4,205m2が特別名勝に指定されている。
朝倉氏は現在の兵庫県養父市の豪族で、南北朝時代に朝倉広影が主家の斯波高経に従って越前に入国している。孝影の代、1467年の応仁の乱の活躍をきっかけに一乗谷に本拠を移し、斯波氏、甲斐氏を追放して越前を平定した.以降、孝影、氏影、貞影、孝影、義影と5代103年間に亘り越前の中心として繁栄し、この間、京や奈良の貴族・僧侶などが下向し、北陸の小京都となったのである。しかし、天下統一の刀根坂の戦いで1573年織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼き討ちにあい灰燼に帰したのである。
一乗谷朝倉氏遺跡は「特別史跡」・「特別名勝」・「重要文化財」と 国の三重指定を受けている。
次は「福井城跡」である。 続く
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福井に向って車を走らすと 脇手に「一乗谷朝倉氏遺跡」の看板が見えた。
あぁ~あそこだ!~
「一乗谷朝倉氏遺跡・庭園」 所在:福井市城戸ノ内町
一乗谷は、福井市街の東南約10kmにあり、戦国時代朝倉氏の城下町の跡がそっくり埋もれていた。遺跡の発掘調査は、昭和42年から進められ、昭和46年には一乗谷城を含む278haが国の特別史跡に指定されました。また、平成3年には諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、館跡庭園、南陽寺跡庭園を含む4,205m2が特別名勝に指定されている。
朝倉氏は現在の兵庫県養父市の豪族で、南北朝時代に朝倉広影が主家の斯波高経に従って越前に入国している。孝影の代、1467年の応仁の乱の活躍をきっかけに一乗谷に本拠を移し、斯波氏、甲斐氏を追放して越前を平定した.以降、孝影、氏影、貞影、孝影、義影と5代103年間に亘り越前の中心として繁栄し、この間、京や奈良の貴族・僧侶などが下向し、北陸の小京都となったのである。しかし、天下統一の刀根坂の戦いで1573年織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼き討ちにあい灰燼に帰したのである。
一乗谷朝倉氏遺跡は「特別史跡」・「特別名勝」・「重要文化財」と 国の三重指定を受けている。
次は「福井城跡」である。 続く
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