♪燃料片道 テンツルシャン 涙を積んで
行くは琉球 死出の旅 エーエ 死出の旅~
本土の各都市ではB29の焼夷弾による無差別攻撃が始まり、沖縄ではあらゆる特攻兵器が投入され、10万を越える沖縄県民までもが巻き込まれて、尊い命が犠牲になろうとは・・・。しかし日本は、ポツダム宣言を黙視、業を煮やしたアメリカは、広島、長崎に原爆投下に至る。
【戦 況】
1/09 「アメリカ軍、ルソン島(リンガエン湾南岸)に上陸」
2/03 「アメリカ軍、マニラに侵入」・・一ヶ月に及ぶ市街戦へ
04 「ヤルタ会談(米・英ソ)・ソ連対日参戦を決定」
19 「アメリカ軍、硫黄島上陸」・・3/17・日本軍守備隊玉砕
3/25 「アメリカ軍、沖縄・慶良間列島に上陸」
4/01 「アメリカ軍、沖縄本島に上陸」
07 「戦艦大和・徳之島沖で沈没」
※この頃陸海軍の特別攻撃隊、連日沖縄に出撃
♪泣くな嘆くな必ず帰る 桐の小箱に錦着て ああ 逢いに来てくれ 九段坂~
6/23 「沖縄の日本軍守備隊玉砕」・・戦死=日本軍9万人・一般国民10万人
8/06 「広島原爆投下」
8/08 「ソ連、対日宣戦布告」
※ヤルタ協定によってソ連は対日宣戦を通告。翌日、ソ連極東軍がソ連国境を越えて進攻し、中国東北地方全域を制圧。
8/09 「長崎に原爆投下」
アメリカは長崎にも原子爆弾を投下。熱線と熱風は川沿いの工場・学校・教会、そして爆心地から南へのびる街々を破壊し、約7万人の命が奪われた。今なお多くの人々が原爆後遺症で苦しんでいる。
8/14 「ポツダム宣言・受託」 こうして太平洋戦争(大東亜戦争)は終ったのである。 戦況編(完)
※ポツダム宣言は、7月発表の米・英・中3国の対日共同宣言である。軍国主義の絶滅、領土制限、民主化促進などを終戦の条件とし、無条件降伏を勧告。日本政府は8月14日これを受諾。戦後、占領政策の基点となった。
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