禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

シマウマは白地に黒縞か、黒地に白縞か?

2018-11-25 12:23:22 | 雑感

スティーブン・ジェイ・グールドは世界的な古生物学者でもあるが、素晴らしい科学エッセイの書き手でもある。約30年前くらいから私は彼の大ファンで、彼の著書はほとんど目を通している。私が推薦委員なら、間違いなく彼をノーベル文学賞に推薦した。全世界の子供たちに彼の著作を読んでもらいたいと願っている。

最近は哲学関係の読み物しか手にしなかったのだが、昨日久し振りに、彼の「ニワトリの歯」という本を手にした。二十年以上前に読んだその内容はほとんど記憶に残っていなかった。あらためて新鮮な気持ちで「シマウマの縞」をテーマにした部分を読んだ。

シマウマと呼ばれる種は3種あって実はウマよりロバの方に近いらしい。その3種の縞模様はそれぞれかなり違うので、それぞれの種が別個に自然適応してできたものか、それとも種が分岐するまえの祖先が獲得した形質であるのかということもかなり議論されたらしい。

かつては、シマウマの下腹部は白いので、白っぽい胴体に黒い縞模様があると考えられていた。グールド博士もそう教えられてそれを信じていたと言う。ところが実はそうではないらしい。イギリスの発生学者J.B.L.バードがすべての哺乳類の体色に関するモデルという広い観点からシマウマの縞模様を分析した結果、3種のシマウマの縞模様は同一の発生基盤をもつと結論付け、同時にその模様は黒地に白の縞であると決着づけた。文字通り白黒をつけたわけである。

この縞模様を発現させる基盤はロバや家畜ウマを含むウマ族は共通してもっている。シマウマ以外のウマ族はその発現を抑制する形質を獲得したものと考えられる。だからシマウマ以外のロバやウマを親とする子の体に縞模様が現れることもあるのである。

シマウマの縞模様は何のためかという問題はずいぶん議論されたらしい。最近は「ツェツェバエが縞模様を嫌うから」という説が有力らしいが、決定的な結論には至っていないようだ。

しかし、「何のため」という目的論的な表現は進化論には本来馴染まない。生存のための理想的な形質をもたなかったとしても、十分生き残る可能性はあるからである。馬族の祖先がツェツェバエの多い所に生まれ、そしてツェツェバエが縞模様を嫌うということであれば、縞模様をもった個体が生存に有利なことは事実である。しかし、縞模様であろうとなかろうと生存にはあまり関係なかったという可能性もあるのではないか、という考えを残しておくことも重要なのではないかと私は考える。

大雄山最乗寺 (南足柄市)

コメント (2)
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