日本政府は竹島は日本固有の領土であると言い、韓国は韓国固有の領土であると言う。本当に「固有」ならば意見が対立する筈もない。対立するのは「固有の領土」という概念が実はなにを意味しているかが分からないからだろう。
おそらく、はじめて「日本」という国号が定まった頃(7、8世紀)は、竹島に日本政府の支配権が及んでいたなどということはあるまい。その頃は、竹島はおろか北海道や東北地方のほとんどはまだ日本ではなかったはずだ。土地に目印がついているわけではない。「固有の領土」などというものが、そもそも存在する筈はないのだ。
国境というものは、お互いの国民の合意によるしかない。合意ができなければ合意できうる客観的な条件を突き詰めていくしかない。それもできなければ、愚かなことだが、あとは軍事力によるしかないのである。
日本の中学校の地理の教科書には、「竹島は日本固有の領土である」とはっきり謳われている。しかし、その根拠については何も書かれていない。かくして、日本の子供は「竹島は日本固有の領土」と根拠もなしに信じ込むのである。これは望ましいことではあるまい。
ナショナリズムを背景に妄信的な主張をする人間が多いと、国際的な合意形成というものをますます困難にするだけである。われわれは、ちっぽけな島以上のものを失うことになるだろう。
仏教的な観点から言うと、概念はすべて相対的なものであり、そこに固有の本質というものはない。一切皆空である。つまり「固有の領土」というものは初めから存在しない。ついでに言えば、日本という国も空である。「日本」という共同幻想の上にさらに「固有の領土」という幻想を二階建てで打ち立てているわけである。「本来無一物」の精神に立ち返れば、偏狭なナショナリズムによる対立にとらわれるべきではないと思う。
昨日の海は荒れていました。( 神奈川県葉山町 )
郡山市美術館に、アントニー・ゴームリー の『領域XIII』という作品が常設展示されています。
(材質)は、ステンレス・スチール棒。
私は、その作品を眺める度ごとに、「私」という領域は、何なのか、と考えます。
作品の写真もアップせずに、唐突な話で お許しくださいませ。
(強いて説明すれば人間の形をスチール棒で貌どった作品です)
コメントを有難うございます。
ご紹介の作品を検索して調べてみました。
細い棒を組み合わせて人間の形に似せたものですね。リアルではないけれど、不思議な量感と実在感を感じる作品ですね。今度公理山へ行ったら実物を見てみたいと思います。
>硫黄島、ペリュウリュー島の玉砕にどれほどの犠牲にどれほどの犠牲があったか‥‥
問題はその犠牲によってなにを得たかです。それらを守るために失ったものの大きさに比べれば、硫黄島、ペリュウリュー島などは小さいものではありませんか。
>政治的問題に仏教的観点を持ち込むと面倒になるのでは‥‥
宗教にしろ哲学にしろ、人間が生きる上での自己決定に関わってこないならば、それは単なる趣味に過ぎないのではないかと考えます。
仏弟子と言うなら、ナショナリズムを克服し、ものごとを公平に見る視点こそ釈尊の教えに沿うことであると肝に銘じるべきではないでしょうか。
「広大な領土を保有する国でさえ極僅かな土地に執着するのが現実」であるということはよくわかります。そういう現実は確かにあるのでしょう。だから日本も同様に執着しなければならないと言うのですか?
そして、教科書に「竹島は日本固有の領土」と書いてあるからには、根拠など知らなくともそのように信じ込み、韓国とも対峙しなくてはならないというのでしょうか?
なにかおかしいとは思いませんか?