【2月25日は何の日】
1878年 日米修好通商条約を結んだハリス、亡くなる
1953年 斎藤茂吉、亡くなる
【前の答】キャベツ
Q1,ボクが最初に日本に伝わってきたのは何時代でしょうか?
a,鎌倉時代 b,室町時代 c,江戸時代 d,明治時代
→a,鎌倉時代に最初伝わったそうですがその時には広まらず、
葉ボタンの系統につながったそうです。
Q2,ボクが日本で広まったのは何時代でしょうか?
a,鎌倉時代 b,室町時代 c,江戸時代 d,明治時代
→d,幕末にオランダ商館院が持ち込んで、明治時代に広まりました。
Q3,ボクが広まったきっかけの料理は何でしょうか?
a,トンカツ b,コロッケ c,ライスカレー d,カツレツ
→d,明治32(1899)年に銀座の煉瓦亭で売り出されたポークカツレツは、
千切りの生キャベツを添えて、ウスターソースをかけて食べるスタイルが
たいへんな話題となったそうです。
それからキャベツの知名度がグーンとアップしたのです。
Q4,ボクの生産量日本一はどこでしょうか?
a,宮崎 b,高知 c,愛知 d,千葉
→c,愛知19%、群馬18%、千葉9%の順です。
Q5,ボクの消費日本一の都道府県庁所在地はどこでしょうか?
a,那覇 b,岡山 c,静岡 d,札幌
→c,静岡3701円、秋田3427円、鳥取3398円、
最下位は2523円の三重県津市でした。
愛知の近くなので、値段が安いのでしょうか?
【脳トレの答】サバ缶
【今日の話】
平安時代、貴族の間でボクの牛乳割りが流行ったといいます。
これが醍醐味。
つまり、最高に美味しいものという意味で、
醍醐味はボクの牛乳割りに由来するという説があります。
たしかに、牛乳だけでは物足りないでしょうからね。
ボクが一般に広まったのは室町時代のこと。
お粥に麹を混ぜて一晩寝かせる本来の造り方で、糀ボクと言います。
古来は一夜酒とも呼んでいました。
もう一つは、酒粕を煮溶いて砂糖を入れて甘くした酒粕ボクと2つの造り方がありました。
江戸時代にはボク売りの行商が人気を集めたそうです。
現在のように栄養が科学的に解明されていない時代でも、
人々はその経験からボクの効能を理解し、
暑い夏には夏バテ防止のために好んで飲んでいたようです。
こんな記事があります。
小川顕道『塵塚談』には、
「ボクは冬のものと思っていたが、近頃(文化11(1814)年)は一年中売っている。
明和4(1767)年までは、寒い冬の夜のみ売っていたが、
今は暑い夏の日中に往来を売り歩き、夜に売っている者は少ない。
浅草本願寺前のボク店は古く、一年中売っている。
その他では、一年中売っている店は江戸中でもで四、五軒しかない。」と記しています。
つまり、18世紀の末から19世紀の初めにかけて、
冬のものから夏のものに様変わりしたことがわかりますね。
Q1,ボクが「飲む点滴」と呼ばれるのは、何が多く含まれているからでしょうか?
a,ナトリウム b,ブドウ糖 c,カルシウム d,ビタミンC
Q2,ボクには、アンギオテンシン変換酵素阻害物質が含まれていますが、どんな働きをするのでしょうか?
a,血圧を下げる b,体温を上げる c,体温を下げる d,胃腸の働きをよくする
Q3,ボクと白酒、どぶろくは同じものでしょうか?
a,全部同じ b,全部違う c,ボクと白酒が同じ d,ボクとどぶろくが同じ e,白酒とどぶろくが同じ
Q4,ボクはいつの季語でしょうか?
a,春 b,夏 c,秋 d,冬
Q5,糀ボクの菌、何という名前でしょうか?
a,アルペルギルス・オリゼー b,アスペルギルス・ソーヤ
Q6,ボクを一文字で書くと、どの字になるでしょうか?
a,酣 b,酛 c,醴 d,醋
【今日のひと言】わずかでも前進している手応えを見つけよう
【今日の脳トレ】
【今週の話】
「おかあさん、ぼくが生まれて ごめんなさい」
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』より
やっちゃんこと山田康文君は昭和35年、奈良県桜井市で生まれました。
お乳を吸う力がほとんどなく、8ヵ月目に脳性マヒと診断されました。
やっちゃんは、幼稚園の年齢になっても首はすわらず、脳性マヒの中でも重度の症状でした。
体はやせこけ硬くこわばって、足も手も指も全く動きません。
お座りもハイハイもできず、車いすに乗っても、手と足と胴をひもでしばっています。
食事の時は口が思うように開かないので、こぼしやすく2時間もかかります。
そんなやっちゃんがどうやって詩をつくったかというと、
先生がやっちゃんの言いたいことを想像し、思い浮かぶ限りの言葉を口にするのです。
やっちゃんは納得する言葉が出るまで舌を出し、「それだ」という時に目をつぶります。
こうして気の遠くなるような時間をかけてできたのが、冒頭の詩でした。
最初の「ごめんなさいね、」だけでも、ゆうに1か月以上かかったと言います。
体の不自由な子供達が集う「タンポポの会」が「わたぼうしコンサート」を開き、
その中でやっちゃんの詩が披露されました。
このコンサートはテレビ、ラジオでも取上げられ、
森昌子さんがやっちゃんの詩を歌いました。
しかし、このコンサートのあと、やっちゃんは突然天国に行ってしまったのです。
横になって寝ていたとき、枕が顔を覆ってしまったのです。
いろいろなことを教えてくれたやっちゃん。
私と同じ歳なんです。
15歳の時に、「ありがとう」なんて心から言えなかった。
思えなかった気がします。
やっとこの歳になって、心から思えるようになったばかりかもしれません。
1878年 日米修好通商条約を結んだハリス、亡くなる
1953年 斎藤茂吉、亡くなる
【前の答】キャベツ
Q1,ボクが最初に日本に伝わってきたのは何時代でしょうか?
a,鎌倉時代 b,室町時代 c,江戸時代 d,明治時代
→a,鎌倉時代に最初伝わったそうですがその時には広まらず、
葉ボタンの系統につながったそうです。
Q2,ボクが日本で広まったのは何時代でしょうか?
a,鎌倉時代 b,室町時代 c,江戸時代 d,明治時代
→d,幕末にオランダ商館院が持ち込んで、明治時代に広まりました。
Q3,ボクが広まったきっかけの料理は何でしょうか?
a,トンカツ b,コロッケ c,ライスカレー d,カツレツ
→d,明治32(1899)年に銀座の煉瓦亭で売り出されたポークカツレツは、
千切りの生キャベツを添えて、ウスターソースをかけて食べるスタイルが
たいへんな話題となったそうです。
それからキャベツの知名度がグーンとアップしたのです。
Q4,ボクの生産量日本一はどこでしょうか?
a,宮崎 b,高知 c,愛知 d,千葉
→c,愛知19%、群馬18%、千葉9%の順です。
Q5,ボクの消費日本一の都道府県庁所在地はどこでしょうか?
a,那覇 b,岡山 c,静岡 d,札幌
→c,静岡3701円、秋田3427円、鳥取3398円、
最下位は2523円の三重県津市でした。
愛知の近くなので、値段が安いのでしょうか?
【脳トレの答】サバ缶
【今日の話】
平安時代、貴族の間でボクの牛乳割りが流行ったといいます。
これが醍醐味。
つまり、最高に美味しいものという意味で、
醍醐味はボクの牛乳割りに由来するという説があります。
たしかに、牛乳だけでは物足りないでしょうからね。
ボクが一般に広まったのは室町時代のこと。
お粥に麹を混ぜて一晩寝かせる本来の造り方で、糀ボクと言います。
古来は一夜酒とも呼んでいました。
もう一つは、酒粕を煮溶いて砂糖を入れて甘くした酒粕ボクと2つの造り方がありました。
江戸時代にはボク売りの行商が人気を集めたそうです。
現在のように栄養が科学的に解明されていない時代でも、
人々はその経験からボクの効能を理解し、
暑い夏には夏バテ防止のために好んで飲んでいたようです。
こんな記事があります。
小川顕道『塵塚談』には、
「ボクは冬のものと思っていたが、近頃(文化11(1814)年)は一年中売っている。
明和4(1767)年までは、寒い冬の夜のみ売っていたが、
今は暑い夏の日中に往来を売り歩き、夜に売っている者は少ない。
浅草本願寺前のボク店は古く、一年中売っている。
その他では、一年中売っている店は江戸中でもで四、五軒しかない。」と記しています。
つまり、18世紀の末から19世紀の初めにかけて、
冬のものから夏のものに様変わりしたことがわかりますね。
Q1,ボクが「飲む点滴」と呼ばれるのは、何が多く含まれているからでしょうか?
a,ナトリウム b,ブドウ糖 c,カルシウム d,ビタミンC
Q2,ボクには、アンギオテンシン変換酵素阻害物質が含まれていますが、どんな働きをするのでしょうか?
a,血圧を下げる b,体温を上げる c,体温を下げる d,胃腸の働きをよくする
Q3,ボクと白酒、どぶろくは同じものでしょうか?
a,全部同じ b,全部違う c,ボクと白酒が同じ d,ボクとどぶろくが同じ e,白酒とどぶろくが同じ
Q4,ボクはいつの季語でしょうか?
a,春 b,夏 c,秋 d,冬
Q5,糀ボクの菌、何という名前でしょうか?
a,アルペルギルス・オリゼー b,アスペルギルス・ソーヤ
Q6,ボクを一文字で書くと、どの字になるでしょうか?
a,酣 b,酛 c,醴 d,醋
【今日のひと言】わずかでも前進している手応えを見つけよう
【今日の脳トレ】
【今週の話】
「おかあさん、ぼくが生まれて ごめんなさい」
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』より
やっちゃんこと山田康文君は昭和35年、奈良県桜井市で生まれました。
お乳を吸う力がほとんどなく、8ヵ月目に脳性マヒと診断されました。
やっちゃんは、幼稚園の年齢になっても首はすわらず、脳性マヒの中でも重度の症状でした。
体はやせこけ硬くこわばって、足も手も指も全く動きません。
お座りもハイハイもできず、車いすに乗っても、手と足と胴をひもでしばっています。
食事の時は口が思うように開かないので、こぼしやすく2時間もかかります。
そんなやっちゃんがどうやって詩をつくったかというと、
先生がやっちゃんの言いたいことを想像し、思い浮かぶ限りの言葉を口にするのです。
やっちゃんは納得する言葉が出るまで舌を出し、「それだ」という時に目をつぶります。
こうして気の遠くなるような時間をかけてできたのが、冒頭の詩でした。
最初の「ごめんなさいね、」だけでも、ゆうに1か月以上かかったと言います。
体の不自由な子供達が集う「タンポポの会」が「わたぼうしコンサート」を開き、
その中でやっちゃんの詩が披露されました。
このコンサートはテレビ、ラジオでも取上げられ、
森昌子さんがやっちゃんの詩を歌いました。
しかし、このコンサートのあと、やっちゃんは突然天国に行ってしまったのです。
横になって寝ていたとき、枕が顔を覆ってしまったのです。
いろいろなことを教えてくれたやっちゃん。
私と同じ歳なんです。
15歳の時に、「ありがとう」なんて心から言えなかった。
思えなかった気がします。
やっとこの歳になって、心から思えるようになったばかりかもしれません。