東劇で予告を見てからずっと気になっていたこの作品、ようやく見ることができました。テアトルタイムズスクエアでは10日までらしいのでギリギリでしたね~。11日から24日までは9:10の回のみやるみたいです。人気あるんですねえ。実際昨日も映画の日とは言え、結構入ってましたねえ。
さて、予告を見てかなり楽しみにしていたのですが、観終わった直後の感想は、「私には合わないなあ・・・」でした(汗)
「嫌い」でも「つまらない」でも「解らない」でもないんですが、心を揺さぶられることはなかったなあと。
でも、一晩経ったらじわじわと「やっぱり良かったような」という気がしてきました(笑)
なんか、キャッチコピーなんかでは「究極の愛」とか書かれてたように思うのですが、そういう話ではなかったと思うのは私がよく解ってないのでしょうか?(汗)
私が感じたのは、「醜悪なものを美しく描いている」ということでした。美化しているというのではなくて、なんというか醜悪さ、グロテスクさを真正面から見据えながらも、決して醜く描いていないというか。
フアンが演じるサハラも、結構かわいかったと思うのですが(私は結構好み・・・(汗))、それでも「美しい」というのとはちょっと違うような。やはりどこかに醜悪さがありました。
それでいて、フアンが弟子入り?するオカマの歌手も、オカマになったイグナシオも、決して美しくはないんだけれど、醜悪さを漂わせつつも本当にグロテスクではありませんでした。
このイメージ、私にとってはスペインという国そのもののイメージでもあったりします。スペインの街は、と言ってもマドリードとバジャドリードとカディスしか行った事がないのですが、なんだか煤けていて、古い建物に、美しさよりも醜悪さ、古いゆえの怖さ、を感じたものです。スペイン以外の欧州の都市はパリとロンドンとオックスフォードしか知りませんが、明らかにそれらの街とは何かが違いました。
この映画からは、そんなスペインの匂いが色濃く感じられました。閉鎖された古い映画館や、神学校の建物などからも。なんだかとてもスペインがとても懐かしく思えて(1回しか行ってないけど(汗))スペインにとても行きたくなってしまいました。
美しかったのは、少年時代のイグナシオの美しい瞳と、その美しい歌声だけだったかもしれません。その美しかった少年時代が、踏みにじられて醜悪な大人へと変貌して行く。それが描きたかったのかな、と思いました。(プログラムも買ってないしあんまり前情報も入れてないので、全く的ハズレだったりするかもしれませんが・・・(汗))
もっとサスペンス的な要素が強いかと思っていたのですが、「イグナシオの正体」は結構早いうちに判ってしまい、拍子抜けでした。
最後のどんでん返し?も、たいしてびっくりしなかったし。予想通り、ではなかったですが、「やっぱりそうか」という感じで。しかも、「三面記事みたいな展開・・・」と思ってしまった(汗)でもそれもまた「醜悪さ」を表していたのかな、とか深読みしてみたり。
最後の、登場人物たちのその後の字幕も、見事に三面記事めいていて、予定調和なくらい醜悪、でした。
でも、後から心に突き刺さって来たのは、映画の中でサハラが殺される場面を演じた後、フアンが泣きじゃくっていたことです。その後で、フアンがイグナシオ殺害を計画したことがわかって初めて、フアンが泣いた理由がわかるのですが。
子供のようによるべなくただ泣きじゃくるフアンはかわいくさえ思えて、泣きながら女装の衣装を脱がされていく様も、醜悪でいて美しかった。
果たして罪の意識で泣いたのか、兄を哀れに思って泣いたのか、はたまた「サハラ」を演じるうちに兄の気持ちにシンクロしてしまったのか。
そう言えば、フアンはなぜサハラを演じることに執着したのだろう。有名になりたいから主演したかった、というだけではないように思います。
罪の意識だとか贖罪だとか、そういう言葉にしてしまうと陳腐になってしまうけれど、フアンがサハラを演じたかったのは、どこかイグナシオのためではないかと思えてしまうのです。イグナシオとフアンがどんな兄弟だったのか、映画の中で描かれていることはあまりに少ないので、想像するしかないのですが・・・
イグナシオを殺したことも、もしかしたらイグナシオのためだったのではとも思えました。道を踏み外した兄の人生を終わらせてやり、「訪れ」を映画化し、サハラを演じることで、兄の人生を踏み外させた者たち(マノロ神父個人だけでなく)への復讐をしたかったのかも、なんて深読みでしょうか。
映画の場面と現実の場面が交錯するのはとても巧妙で引き込まれました。特に、回想シーンと思われていたのが実は映画の場面だった、というのは巧妙でしたね。
最後の撮影中に本物のマノロ神父が現れるのも巧妙でした。あのいかにも、な神父役の人と比べて、本物はなんて醜悪な普通のおじさんだったことか!
フアンとベレングエルがイグナシオ殺害を計画する場面に出てきた、不気味な像が並ぶ場所も、まさに醜悪の極地、でしたね。
まだなんとも消化しきれてなくて、やっぱり心を揺さぶられるまでには至らなかったのですが、どこか胸にざわざわと残る映画だったことは確かです。
あと、サントラが良かったですねえ。まあ、オープニングとエンディングが一番良かったような気もするんですが・・・
ちょっとサントラCD買っちゃおうかな、という気になりました(汗)「世にも不幸せな物語」のサントラも気になってるので、思い切って両方買っちゃおうかな・・・(笑)
さて、予告を見てかなり楽しみにしていたのですが、観終わった直後の感想は、「私には合わないなあ・・・」でした(汗)
「嫌い」でも「つまらない」でも「解らない」でもないんですが、心を揺さぶられることはなかったなあと。
でも、一晩経ったらじわじわと「やっぱり良かったような」という気がしてきました(笑)
なんか、キャッチコピーなんかでは「究極の愛」とか書かれてたように思うのですが、そういう話ではなかったと思うのは私がよく解ってないのでしょうか?(汗)
私が感じたのは、「醜悪なものを美しく描いている」ということでした。美化しているというのではなくて、なんというか醜悪さ、グロテスクさを真正面から見据えながらも、決して醜く描いていないというか。
フアンが演じるサハラも、結構かわいかったと思うのですが(私は結構好み・・・(汗))、それでも「美しい」というのとはちょっと違うような。やはりどこかに醜悪さがありました。
それでいて、フアンが弟子入り?するオカマの歌手も、オカマになったイグナシオも、決して美しくはないんだけれど、醜悪さを漂わせつつも本当にグロテスクではありませんでした。
このイメージ、私にとってはスペインという国そのもののイメージでもあったりします。スペインの街は、と言ってもマドリードとバジャドリードとカディスしか行った事がないのですが、なんだか煤けていて、古い建物に、美しさよりも醜悪さ、古いゆえの怖さ、を感じたものです。スペイン以外の欧州の都市はパリとロンドンとオックスフォードしか知りませんが、明らかにそれらの街とは何かが違いました。
この映画からは、そんなスペインの匂いが色濃く感じられました。閉鎖された古い映画館や、神学校の建物などからも。なんだかとてもスペインがとても懐かしく思えて(1回しか行ってないけど(汗))スペインにとても行きたくなってしまいました。
美しかったのは、少年時代のイグナシオの美しい瞳と、その美しい歌声だけだったかもしれません。その美しかった少年時代が、踏みにじられて醜悪な大人へと変貌して行く。それが描きたかったのかな、と思いました。(プログラムも買ってないしあんまり前情報も入れてないので、全く的ハズレだったりするかもしれませんが・・・(汗))
もっとサスペンス的な要素が強いかと思っていたのですが、「イグナシオの正体」は結構早いうちに判ってしまい、拍子抜けでした。
最後のどんでん返し?も、たいしてびっくりしなかったし。予想通り、ではなかったですが、「やっぱりそうか」という感じで。しかも、「三面記事みたいな展開・・・」と思ってしまった(汗)でもそれもまた「醜悪さ」を表していたのかな、とか深読みしてみたり。
最後の、登場人物たちのその後の字幕も、見事に三面記事めいていて、予定調和なくらい醜悪、でした。
でも、後から心に突き刺さって来たのは、映画の中でサハラが殺される場面を演じた後、フアンが泣きじゃくっていたことです。その後で、フアンがイグナシオ殺害を計画したことがわかって初めて、フアンが泣いた理由がわかるのですが。
子供のようによるべなくただ泣きじゃくるフアンはかわいくさえ思えて、泣きながら女装の衣装を脱がされていく様も、醜悪でいて美しかった。
果たして罪の意識で泣いたのか、兄を哀れに思って泣いたのか、はたまた「サハラ」を演じるうちに兄の気持ちにシンクロしてしまったのか。
そう言えば、フアンはなぜサハラを演じることに執着したのだろう。有名になりたいから主演したかった、というだけではないように思います。
罪の意識だとか贖罪だとか、そういう言葉にしてしまうと陳腐になってしまうけれど、フアンがサハラを演じたかったのは、どこかイグナシオのためではないかと思えてしまうのです。イグナシオとフアンがどんな兄弟だったのか、映画の中で描かれていることはあまりに少ないので、想像するしかないのですが・・・
イグナシオを殺したことも、もしかしたらイグナシオのためだったのではとも思えました。道を踏み外した兄の人生を終わらせてやり、「訪れ」を映画化し、サハラを演じることで、兄の人生を踏み外させた者たち(マノロ神父個人だけでなく)への復讐をしたかったのかも、なんて深読みでしょうか。
映画の場面と現実の場面が交錯するのはとても巧妙で引き込まれました。特に、回想シーンと思われていたのが実は映画の場面だった、というのは巧妙でしたね。
最後の撮影中に本物のマノロ神父が現れるのも巧妙でした。あのいかにも、な神父役の人と比べて、本物はなんて醜悪な普通のおじさんだったことか!
フアンとベレングエルがイグナシオ殺害を計画する場面に出てきた、不気味な像が並ぶ場所も、まさに醜悪の極地、でしたね。
まだなんとも消化しきれてなくて、やっぱり心を揺さぶられるまでには至らなかったのですが、どこか胸にざわざわと残る映画だったことは確かです。
あと、サントラが良かったですねえ。まあ、オープニングとエンディングが一番良かったような気もするんですが・・・
ちょっとサントラCD買っちゃおうかな、という気になりました(汗)「世にも不幸せな物語」のサントラも気になってるので、思い切って両方買っちゃおうかな・・・(笑)