ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

W杯決勝

2006年07月12日 | サッカー(多分4年に一度(汗))
間が空いてしまったのでなんだかなーですが、せっかくW杯日記つけてきたので!? 決勝のことも書きましょう。
やっぱり朝4時くらいは眠いのだということがわかりました・・・試合開始あたりはまだ目もぱっちり開いていたのに、30分くらいしたらだんだん眠くなり・・・だんだん「横になりたい・・・」気持ちとの戦いになってしまいました~(汗)
意識がはっきりしていた時にはスピーディで面白い試合だ、なんて思ってたんですけどね・・・その後は細かい内容まではわかりません(汗)試合の展開は一応見てましたが。
延長にならないといいな、そしたら1時間仮眠できるから・・・と思ってたんですが、見事にPKまで行っちゃいましたねー。ま、どちらかというとイタリア応援してたんで、同点ゴールは嬉しかったんですが、ちょっと嫌な予感もしてました(汗)
しかし、驚いたのはジダンの頭突き退場ですねえ。
最初の感想は「すげえよジダン! カッコいいなあ~」でした(笑)サッカー人生最後の試合で一発退場、しかも頭突きでなんて。しかもしかもW杯決勝ですよ。今後サッカー史上で語り継がれちゃうよ~。
なんて言っていたら、マテラッツィがかなりヤバイ発言をしていたらしい説が浮上して、騒然として来ましたね~。なんか双方口を閉ざしているあたり、やっぱり差別発言なのかなーとかも思えますね。キックオフ前に人種差別をなくそうキャンペーンなんてやってたりしてたから本当にそうなら相当マズイですよねえ。どうなるんだか・・・
しかし、頭突きだったところにジダンの自制を感じるような気も。殴ったり蹴飛ばしたりしてないところが。まあ、本当に自制してたら何もしないけど(汗)
なんにしろ、ますます後世に語り継がれる一件になってしまいましたな・・・

試合後、歓喜のイタリアの選手たちと、がっくりうなだれるフランスの選手たち。決勝戦はこの負けたチームの悲哀があるから、なんとなく幕切れとしてさわやかになれないのでした。
気持ち的には三位決定戦が擬似閉会式、という感じでしょうかね。
しかしやはり今回のイタリアのユニフォームはカッコ良かったです。全身青の方がやっぱりいいなー。白のパンツってどうもね・・・(汗)

なんだか試合が進むにつれてしょうもない内容になったような(汗)やはりスペインが負けた時点で私のW杯は終わっていたような気もします(汗)
せっかくなのでW杯総括とかまた書いてみようかなーとも思います。
コメント
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キリスト教と神話・伝説

2006年07月12日 | 指輪物語&トールキン
なんだか妙なタイトルになってしまいましたが(汗)
最近、「ポーの一族」と「クリスタル・ドラゴン」を読み返していて(本読む暇ないのになぜそんなもん読み返せるのか・・・(笑))、ちょっと気になるフレーズを読みました。
「クリスタル・ドラゴン」で、ローマで一人ぼっちになったあとキリスト教徒たちと暮らしていたボリが、レギオンと話しているところを仲間のキリスト教徒たちに見られ、「あれは我らの祈りとは相容れない者。悪魔だ。つきあってはならん」というようなことを言われる場面があります。
「クリスタル・ドラゴン」をご存知ない方のために簡単に説明すると、この頃のローマは皇帝ネロの時代。ボリは主人公たちと一緒にアイルランドからローマにやって来た少年で、元々は精霊を信じる文化で育っています。おそらくはこれからキリスト教徒になって行くのでしょうが。
レギオンは一応人間らしいけれど(未だに正体よくわからない・・・)本体は別のところにいて、いわば魂を分身のように出現させているので、まあ精霊みたいなものと言っていいでしょうか。
そのレギオンを「我らの祈りとは相容れない者、悪魔」として排除しようとするキリスト教徒の姿が印象的でした。キリスト教がその信仰と相容れない伝説や神話を否定し、そのために次第に他文化の神話・伝説が、この作品の中では実際に存在していた精霊たち、神々が、人間たちの前から姿を消して行ったのだ、ということを描いているのだと思います。
「クリスタル・ドラゴン」では他にも印象的な場面がいくつかあります。主人公アリアンロッドをずっと助けてくれた風の精の王が、違う文化圏のローマに入ったとたんに出てきてくれなくなった。けれど、実は呼び名と姿が変わっただけで、風は風、いつも存在していたのだ、ということに気づくシーンなどもそうです。
これは、「風」という存在を、風の精の王として信じるか、ローマ神話の西風として信じるか、によって見えてくる姿が違ってくるということですね。つまり、何も信じていなかったら何も見えないという。
これによれば、人間に精霊や神々が見えなくなったのは、信じなくなったからだ、ということになります。この考え方がとても面白いなと、初めて読んだ時から思っていたものです。
「クリスタル・ドラゴン」の話が長くなりましたが、「ポーの一族」ではこんなことを言っています。ヴァンパネラが聖書や十字架を恐れるのは、それに含まれる信仰が怖いのだと。自分たちの信仰と相容れない存在を否定し、悪魔とみなすその信仰が怖いのだと。
どちらの作品でも、キリスト教が広がることで、伝説や神話が消えて行ったことを示唆していると思います。キリスト教だけが原因ではないと思いますが(キリスト教と関係ない国でもそうですから)、まあ人間の意識の近代化にキリスト教が広まったことが大きく関わっているとは言えるでしょう。
ここまで書いて「どこが指輪カテゴリーだ」という感じですが・・・(笑)ここから本題です。
トールキンもまた、神話や伝説がキリスト教文化によって元の姿を変えられ、或いは消えてしまったことは理解していて、そのことを嘆いてもいます。
しかし一方でトールキン自身は熱心なクリスチャンでもあり、そのあたりは不思議な気もしてしまいます。トールキンは神話・伝説を、かなりの程度実際にあったことの名残とまで考えているのですからなおさらです。
トールキンの中ではキリスト教の信仰と神話・伝説が消えたことを嘆く気持ちには矛盾はなかったのでしょう。実際トールキンがつくったアルダの世界観は見事にキリスト教と多神教の神話・伝説を矛盾なく繋げています。
トールキンは、神話・伝説を消したのはキリスト教に付随するキリスト教文化であり、キリスト教の信仰そのものとは関係ないと思っているのでしょう。実際、トールキン自身もキリスト教の神を信じていながらも、神話・伝説に深い興味を持っていたのですから。
でも、個人的にはやはり、神話・伝説が消えたのは、「信じなくなったから見えなくなった」からだとも思えるのですが・・・
このあたり、トールキンの信仰の揺ぎ無さと強引さを感じるように思います・・・なんて言ったら教授に怒られそうですが(大汗)
本題の方が短かったですね・・・(汗)
コメント (2)
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