ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

太魯閣渓谷その9 九曲洞つづき

2009年05月30日 | 旅行
休みの間にどこまで進められるか、の台湾旅行記の続きです。(2週間でも終わらない可能性あり・・・(汗))
さて、九曲洞の写真の続きです。同じようなのが続きますが・・・(汗)
道はくねくね曲がりながら川沿いに続いています。行く手にまた対岸と究極に近づいた道路が見えてわくわく。


対岸にまた滝が。


さきほどの、究極に対岸に近づいたところからの写真。対岸を見上げて撮りました。こんなに近いんですよ、対岸が! それがずーんと切り立って上から下まで続いているという。
もちろん写真にも入りきりませんが、やっぱり生で観ないとこの迫力はわからないですね~


ほぼ真上です。


進行方向にむかって普通に撮りました。下まで写真撮って合成したら面白い写真になったのになあ。残念。

というわけで写真では迫力をお伝えできませんでしたが、太魯閣渓谷のハイライト九曲洞シリーズはこれでおしまいです。太魯閣もうちょっとだけ続きます。
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トールキンによる指輪物語の図像世界

2009年05月30日 | 指輪物語&トールキン

いや~ようやく読み終わりました(汗)何年も買ったまま放置してたんで・・・
他にも読まないといけない本があったのがそんなに長く放置した最大の理由ですが、それだけでなく、わりと論文ぽいので、気軽に読めなかったというのもあります・・・(汗)そんなに難しいわけではないんですけど。
読んでみて、色々と面白かったです。もっと早く読めばよかったなあ。
ほぼ公式伝記と言われているJ.R.R.トールキン―或る伝記でも、トールキンの絵についてはほとんど触れていなくて、そういう意味ではトールキンの全てを書いてあるわけではないんだなあと改めて思いました。トールキンと馬とのかかわりも書いてないしね・・・
そうそう、今までずっと謎だった、「ホビットの耳はなんでとがっているのか」(エルフも)の謎があっさり解けました・・・(汗)以前どなたかに「どこかでトールキン自身がそう言ってたときいたことがある」と教えていただいたことがあったんですが、この本に書いてありました~。出版社への手紙の中で、ホビットの耳はとがっている、エルフほどではなくわずかに・・・と書いていたんですね~。やっとすっきりしました(笑)
この本の中ではトールキンの絵を年代別、種類別に分けて解説しています。
少し残念なのは、他の本に出ていない絵を掲載することに重きを置いているため、他の本で扱われている絵は載っていないことが多かったことです。
とくに、今ではユーズドで高値でしか手に入らないらしいPictures by J. R. R. Tolkienに載っている絵はがかなり載っていなかったので、観たいなあと思ってしまいましたよ・・・
まずは幼少期から書いていた風景画ですが、なかなかの画力にびっくりです。特に水彩画なんか素晴らしい出来でした。
結局人物画が苦手で風景画の方が得意、というのもあるのでしょうが、後に指輪やホビットの挿絵でも、風景がメインで人物は豆粒のよう、という絵を描くようになる素地がこの時すでにできていたのかなあと思います。
アラン・リーやジョン・ハウも似たようなアプローチで挿絵等を描いていましたが、トールキンの作品には合っていたんですね。というか、トールキンのそういう作風を知っていてそういう風にしたのかな。他の画家も風景を中心に描く人が多いですよね。
トールキンの風景描写の巧みさも、風景画を描く才能がある人の目で観たものを文章で描いているなら・・・と納得します。
しかしトールキンはある時期以降風景画を描くのをほとんどやめてしまい、幻想的な、自らishnessという名づけた一群の絵を描くようになったそうです。このあたりの絵は、サンタ・クロースからの手紙の絵に近い感じになって、トールキンの絵としては親しみ深いかも。
これらの絵がトールキンのイメージの中にあったのだとしたら、かなりヤバイ感じ・・・(失礼(汗))トールキン自身も嫌っていたというように、シュールレアリスムとは違うんですが、何とも形容しがたい不思議さと不気味さがありますね。
ただ、実写的な表現からこういう抽象的な表現になってくるあたり、トールキンの画家としてのレベルが上がって行ったんだろうなあということも感じさせますが。
しかし、こういうイメージからヴァリノールの光景などが構築されていたんだなあと思うと、トールキンの描いた絵というのはかなり重要なファクターですね。
しかも、後のホビットや指輪と違い、物語のために絵を描くのではなく、頭の中のイメージから膨らませて物語が生まれて行ったというのが面白いなあと。
トールキンにとっては、エルフ語に発展した言語の創作や、詩とともに、絵のイメージからもあの神話世界が生まれていたんだということがよくわかります。
そして、ホビットや指輪物語の挿絵等になると、逆に、物語を書く上で、地形や建物の形などをはっきりイメージして、矛盾しないように書くために絵を描いていたことが多かった、というのが面白いと思いました。
もちろん、頭の中にイメージが浮かんで、というのが前提にあるのでしょうが。
ただ、トールキン自身、自分の絵をあまり評価していなかったといいますが、確かにプロの画家に比べると技術的に不足している部分はもちろんありますし、絵によっては、文章から受けるイメージよりも劣るというか(汗)想像力を膨らませるためにあるべき、というトールキンの考えとは逆の方向に行っているかな、という部分もあるかなと思いました。やはりアラン・リーやジョン・ハウ、ポーリン・ベインズの絵は素晴らしいですね。それらとくらべるとどうしても・・・
でも、トールキン自身の絵が残っていることで、トールキンがどういうイメージを持っていたのかがわかるのは興味深いし、後代の人が挿絵等を描く時に、トールキン自身のイメージから遠くないものを描くことができるという意味でも重要だったのですね。PJ映画にも少なからず役立てられたはずですし。
あと、「サンタ・クロースからの手紙」などからも窺えますが、トールキンのデザイン能力の高さにも唸らされましたね。自らホビットや指輪の表紙のデザインにもこだわっていたとは。「誰か他の人がやってくれれば」といいつつも、出版社の案にはダメ出ししたりして(笑)
噂には聞いてましたが、モリアのマザルブルの間で見つかった焼け焦げた本を再現するのにこだわったりとか、ちょっとマニアックなこだわりがあったようで(笑)単なる文章だけ書く作家ではなく、視覚的なイメージも含めてのこだわりがあったのがうかがえて面白いです。
作中には歌もよく出てきますが、本当は音楽にもこだわりがあったんじゃないかなあと思うんですけどね。絵以上に専門性を持っていなかったので残っていないだけで。The Road Goes Ever onにはドナルド・スワン氏のガラドリエルの曲にダメ出しして、トールキン自ら歌ったメロディを元にした歌が収録されてますしね。
あと、ちょっと気になっていた、やはり絵のイメージから作品を書いていたミヒャエル・エンデとの関係?について、訳者あとがきに書いてあってなるほど、と思いました。エンデはどうしてもシュール・レアリスムの影響があるため、物語に不自然なところがあるという指摘もあるそうで、トールキンとはまた違うようです。
そんな訳で、なかなか面白い内容でした。これを読まずに多少なりともトールキンを語ろうとしていたことが恥ずかしいくらい、必読本でしたね~。
そうそう、文中に引用されている原作からの文を、既訳の岩波版や評論社版とは別に改めて訳していたようなのですが、不適切な訳だとも思わないし、まずい訳だとも思えないんですが、やはりどこか瀬田訳のような魅力を感じないな・・・と思ってしまいました。指輪なんか、瀬田訳のような丁寧語ではなく、である調の方が合っていると思うのにもかかわらず・・・。瀬田貞二さんの文学的センス?のようなものを改めて感じましたね。
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さかもとえいぞう@江古田マーキー 09.5.23

2009年05月30日 | 音楽(主に日本のHR?)
英三さんのアコギツアーファイナル初日になる江古田マーキーのアコギライヴに行ってきました。
今回は元H2Oの中沢賢司さんが対バンということで、イベントタイトルも「想い出がいっぱい」。
「想い出がいっぱい」と言えば英三さんのあの曲が・・・というのもあったのですが(笑)
オープニングアクトがありました。さわやかに歌ってたんですが、α波が出ていたのか、あっという間に意識を失ってしまって覚えてません・・・ごめんなさい(汗)この日5時起きだったからなあ・・・
2バンド目で英三さん登場。永野さんもサポートで最初から登場。
いきなり「中沢さんには謝らないといけないんだけど」と・・・あの曲のことですね(笑)
あと、永野さんのこと、「普段は永野CAP啓司名義で活動してますが、今日から『新さかもとえいぞう』を襲名することになりました」なんていきなり言い出してました(笑)英三さん「新加勢大周」ネタ好きだよな・・・(笑)永野さんはいまひとつ嬉しそうではなかったですが(笑)でも、襲名を機会に英三さんと同じスターブーツ(気に入ってて6足目に突入しているという(笑))を買うと自ら言い出したそうですが。
1曲目はいつものようにGuten Tagだったんですが、2曲目か3曲目で、なんかこの曲絶対知ってるんだけど初めてやるよな・・・という曲があって、途中で英光塾の「視界良好」だと気がつきました。(多分・・・(汗))アルバム持ってるけど聴いてないんだよな・・・(汗)
今回は永野さんのギターがいつにも増してカッコ良かったような気がしました。特に「ギターを弾こう」とか。聞き惚れちゃいましたよ。
で、だんだん練馬チックな選曲になって来たんですが、ダンサーとしてGeorge@佐藤氏&ロナルド・オスカー氏登場。狭いステージにでかい二人がはじっこに登場して、すごい存在感というか違和感というか(笑)
初めてのお客さんに「アコースティックのライヴになんでダンサーが必要なのか・・・はっきりいっていりません!」と言ってウケてました(笑)
曲は「蜘蛛伯爵」。前回やった時はダンスがなくて曲だけでちょっと寂しかったので、ダンサーの二人の登場は嬉しかったですねー。懐かしい振り付けが嬉しかった♪
相変わらず、踊らないところは無表情に突っ立っていて、とっても妙でした(笑)ついついダンサーに目が行ってしまいましたが、ちょっと永野さんを観たら笑いを堪えてる感じでした(笑)
で、間奏に入ったらじょーじ氏が後ろを向いてなにかしてるな・・・と思ったら女王様風の妖しい羽根つき仮面を被ってて、その格好で二人で千手観音をやったんですが、途中で仮面の周りに電飾がピカピカ光りだして、すごいおかしかった(笑)
で続いて「ハローワーク99」だったんですが、いきなりの激しいハローワーク体操?に中沢さんのファンがウケまくっていて嬉しかったですねー。
そして最後の「6時前には家に帰ろう」と共に走って退場していた二人・・・(笑)
その後は名曲「茜色」に続いて、最後は問題の?「紅茶の美味しい床屋さん」でした。最後に取っておいたんですね(笑)
中沢さんファンはどう思ったでしょうかあの歌詞・・・(笑)
というわけで、いつものようにまったりと楽しいライヴでした。
アコギツアーは今回で最後ということですが、江古田でだけはまたやりたいというようなことを言ってたので嬉しいですね。また江古田で練馬な英三さんが見たいです。

トリは中沢賢司さん。H2Oってあの曲しか知らず、どういう人たちだったかもよく覚えてなかったのですが(汗)
登場した中沢さんはきさくでとても自然体な人で、あ、こんな人だったんだ、とちょっと意外。
透明感のある歌声も昔のイメージとさほど変わらず、曲のイメージもさほど変わってなかったかな。昔もいい曲だと思ってましたが、改めていい曲書く人なんだなあと思いました。
MCも、特に笑わせようというのではなく、自然体でまったり喋ってる感じなんですが、なんか可笑しいんですよね。MCも楽しかったです。
英三さんが「中沢さんに嫌われたらどうしよう」みたいなことを言ってたのを受けて、「嫌いじゃないですよー」といいつつ、「紅茶の美味しい床屋さん/大人の階段駆け下り~」なんて歌ってくれて、「楽屋で大笑いしてました」って。いい人だ~
後で永野さんのブログとか観たら、英三さん、永野さんと3人で記念写真撮ってましたね。やっぱりいい人だ~
昔ヒット曲があった人って、昔のヒット曲をライヴでやったりするの嫌じゃないのかな、と思ったんですが、初めての客のことも考えてか、しっかり「想い出がいっぱい」も歌ってくれました。
しかもアンコールでは「想い出がいっばい」を「皆で歌いましょう」って。とても和やかなライヴでした。
英三さんも言ってましたが、マーキーは老舗ライヴハウスらしく、毎回対バンも実力派揃いで楽しいんですよね。
また対バンも含めて、英三さんの江古田でのライヴが楽しみです。
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