というわけで入院中に読破したシルマリルの感想を(笑)
これで読むのは3回目? いや4回目かな。
前回(多分3回目)読んだ時にも思ったんですが、なんだかようやく話についていけるようになったような・・・(汗)
未だにノルドールの家系図とかあやふやですが(特に固有名詞が出てきた時、誰がフェアノールの息子で誰がフィナルフィンの息子で・・・というのがよくわからず(汗)フィンゴルフィンの子供は少ないんでさすがに覚えましたが)、おおまかな話の筋を覚えてきているので、読みながらも色々と理解しながら読めるようになった気がします。
たとえば、全く歴史を知らない国の歴史をいきなり読んでもなかなか覚えられないように・・・・。ある程度勉強してながれがわかってから読むと、ああなるほど、と理解できるようになるものですよね。って私だけか?(汗)
今のこの状態で「中つ国の歴史地図」を観たら、前よりも理解できるようになっているかな?
ホント、中つ国の歴史についての教科書が欲しいですよ(笑)フェアノールの息子たちの名前の暗記の語呂合わせとか誰か編み出して欲しい(笑)
とまあそんな感じで読んでいて、改めて思ったのは、熱心なカトリック教徒だったトールキンが、神と現世とのかかわりについてどのように考えていたのか、というのがよく現れているなあということでした。
神話・伝説に興味を持ちながらもキリスト教の神を信じている、というのをどのように矛盾させずにいたのか、というのがとても興味深いと思うんですよね。
唯一神イルーヴァタールの下に神話で言う神々、実は天使のような存在のヴァラールがいて・・・という設定は、初めて読んだ時には「上手いこと考えたな~」と思ったものです。
今回は一歩踏み込んで?なぜ神が現世に干渉して来なくなったのか、という歴史をトールキンなりに形作ったものなんだなあ、と思いました。
罪を犯したが故に見放され?、神々が離れて行ってしまった過程が、現世では神が具体的に救済してくれるわけではない、ということを説明しているようで、なるほどなあと思うのです。
不遇の少年時代を過ごし、母とは辛い別れをし、後には第一次世界大戦で戦場の無情さも経験しているトールキン。場合によっては「こんなに信仰しているのになぜ神は救ってくれないのか」と思うことはなかったのかな・・・と無宗教な私などは思ってしまうのですが、本当に信心深い人にとってはそういうものではないんだなあ、と改めて思いました。
少し前に、「グイン・サーガ」の124巻で、ローマ時代のキリスト教をモデルにしたと思われるミロク教徒の巡礼が草原の盗賊に惨殺され、それを目の当たりにしたミロク教徒のヨナの信仰の心が揺らぐ、という場面があったのですが、それを読んだ時、トールキンのことを思いながら、所詮無宗教の人が書いたものだな・・・と思ったものです。
ちょうどこの前に「トールキンによる指輪物語の図像世界」を読んで、トールキンが中つ国の神話を考えるにあたって、頭の中に浮かんだイメージをもとにしていた部分が多々あるのだということを知ったところですが、そういう直感的なイメージ+もともとの神話・伝説への造詣、に加えて、トールキンのクリスチャンとしての思想も、中つ国の神話物語のもとになったんだなあ、ということをしみじみ感じました。
で、この本に出てくる伝説的エピソードでは、今まで感じたように、ベレンとルシアンの物語よりも、トゥオルとトゥーリンの物語に惹かれますね。トゥオルとトゥーリンのことについては、今読んでいる「終わらざりし物語」を読んでから感想書きたいと思いますが。
あと、やっぱり白い姫君アレゼルが好きだなー。彼女の奔放さがゴンドリンの滅亡を招いたとは言え・・・
そして、エルロンドの生い立ちがもっと詳しく書いてあったらなあと思ってしまいます。幼少のうちに両親が文字通りお星様になってしまい(汗)連れ去られた先ではフェアノールの息子クルフィンに育てられ、敵ながら愛情が生まれ、双子の弟エルロスは有限の命を選択して永遠に別れ、付き従ったギル=ガラドも戦いに斃れ・・・妻は先に西へ旅立ち、最後には娘と永遠に別れることになり、とかなり数奇な運命を辿っているのに、エルロンドに対する記述があまりないのが残念です。
でも、トールキンも序文に載った手紙で、「エルロンドは全ての物語に出てきます。『ホビット』にさえも」と書いており、エルロンドの存在の数奇さは意識していたんですね。敢えて全てを観てきた傍観者?として、物語の中心には出さなかったのかな、とも思います。
奥方についても思うところはありますが、これも「終わらざりし-」を読んでからにします。
最後の力の指輪の話のあたりは、「ホビット」や「指輪」の話をこういう違う視点で要約すると全然雰囲気違って面白いな、と思いますねー。実際、「指輪」の序章で「ホビット」の話の要約を読んでいて、あとで本編を読んだら、かなり雰囲気が違ってびっくりしたものです。
トールキンの物語は、話の筋も面白いのですが、それに肉付けしたトールキンの描写が面白いんだなあ・・・ということも改めて思いました。これは「終わらざりし物語」を読んだ時にも思ったんですが。同じ話が、要約だけでなく、物語風に詳しく語られていると雰囲気も違うし、話にもずっと入り込みやすくなります。
風景描写や、登場人物たちの描写、軽妙な会話や悲しい会話など、トールキンのストーリーテラーとしての才能はやはり高いなあ、なんてことも思いました。
トールキンにもっと時間があったら、全ての物語を感動的な作品に仕上げてくれたのかな、なんて思っても甲斐のないことを考えてしまいます。せめて「ゴンドリンの陥落」は仕上げてくれていたら良かったのになあ・・・