今日の朝日新聞の朝刊に面白い記事が載ってました。
よく昔話で「・・・じゃった」とか「・・・じゃのう」とかいう話し方があるけれど、あれってどこの方言なのか、という話です。
東北在住の読者が、周りのお年寄りでこんな話し方をする人はいないけれど、これってどこの方言?と疑問に思って投稿したのだそうです。
なんでこれに反応したのかというと・・・ほら、ガンダルフの話し方ですよね、これって。
実は、以前にガンダルフ口調で文章を書いてみようとした時に、変な感じがしたんですよね。こんな話し方する人いないよなあと・・・(汗)
というわけで興味深々で読んでみました。
「・・・じゃった」という言い方は、今では東九州や山口などの地域の年配の方が使っているのだそうです。
もともとは「・・・だった」という断定の言葉が、東日本では「だった」、西日本では「じゃった」になり、西日本でも京都を中心に近畿地方が「やった」に変化し、最終的に東九州近辺だけ残っているのだそうです。
それでは、昔話の「じゃった」は西日本の言葉かというと、そうでもないのだそうで。
どうやら、昔話らしい非現実感を出すための、いわば「昔話におけるエスペラント語」、人造語というか共通語というか・・・というようなものではないか、という結論でした。なんとなくそれらしい言葉遣い、ということで昔話に使われるようになったわけで、実際にはそんな喋り方をしている人がいたわけではないのですね。
で、ガンダルフの話ですが。
ということは、ガンダルフの喋り方(まあ瀬田訳のですが・・・でも山本史朗氏の「ホビット」も同じような喋り方してるのではないですかね?)なんですが、これはどこから来たものなのでしょう。
日本で最初に訳されたファンタジー作品が「指輪物語」になるのかどうかはわかりませんが、他のファンタジー作品に影響されてはいないということは確かだと思います。
考えてみたら、先に「ホビット」が訳されているわけですよね。「ホビット」は完全に児童文学の範疇で訳されていますから、おとぎばなしの魔法使いのおじいさん、という雰囲気で訳されたのでしょうね。
そしてそのまま「指輪」でもその言葉遣いが使われた、と。
で、気になるのが、ガンダルフだけにとどまらず、ファンタジーに出て来る老人って「・・・じゃ」といい話し方をしますよね。
ってあんまりないかな、そういう話し方・・・とりあえず思いつくのはハリポタのダンブルドアくらいですが・・・
これって「指輪」の瀬田訳の影響? と思わなくもないけれど、単純に昔話のおじいさん風の話し方をさせているだけなんでしょうね、多分。
そして、読んでいる方も違和感なくそれを受け入れているという。
昔話の「・・・じゃ」という話し方は、現実の話ではない、という感じを表しているそうなので、ファンタジーの世界でも自然とそんな話し方を求めている?のかもしれませんね。ファンタジーでも、よりリアルなものではこういう話し方ではないかもしれませんし。そうですね、どこか仙人っぽいイメージの人がこういう話し方かも。
いや~、ガンダルフって昔話風の話し方だったんだなあ、とちょっと目からウロコでした。
余談ですが、瀬田訳のサムの話し方も、実際にどこの方言というよりは、創作方言?っぽいですよね。それらしい話し方なだけで、実際にはこんな話し方ないよな、という。(サム口調もなかなか難しいです・・・)
いや、訳し方って面白いなあと思いました。
よく昔話で「・・・じゃった」とか「・・・じゃのう」とかいう話し方があるけれど、あれってどこの方言なのか、という話です。
東北在住の読者が、周りのお年寄りでこんな話し方をする人はいないけれど、これってどこの方言?と疑問に思って投稿したのだそうです。
なんでこれに反応したのかというと・・・ほら、ガンダルフの話し方ですよね、これって。
実は、以前にガンダルフ口調で文章を書いてみようとした時に、変な感じがしたんですよね。こんな話し方する人いないよなあと・・・(汗)
というわけで興味深々で読んでみました。
「・・・じゃった」という言い方は、今では東九州や山口などの地域の年配の方が使っているのだそうです。
もともとは「・・・だった」という断定の言葉が、東日本では「だった」、西日本では「じゃった」になり、西日本でも京都を中心に近畿地方が「やった」に変化し、最終的に東九州近辺だけ残っているのだそうです。
それでは、昔話の「じゃった」は西日本の言葉かというと、そうでもないのだそうで。
どうやら、昔話らしい非現実感を出すための、いわば「昔話におけるエスペラント語」、人造語というか共通語というか・・・というようなものではないか、という結論でした。なんとなくそれらしい言葉遣い、ということで昔話に使われるようになったわけで、実際にはそんな喋り方をしている人がいたわけではないのですね。
で、ガンダルフの話ですが。
ということは、ガンダルフの喋り方(まあ瀬田訳のですが・・・でも山本史朗氏の「ホビット」も同じような喋り方してるのではないですかね?)なんですが、これはどこから来たものなのでしょう。
日本で最初に訳されたファンタジー作品が「指輪物語」になるのかどうかはわかりませんが、他のファンタジー作品に影響されてはいないということは確かだと思います。
考えてみたら、先に「ホビット」が訳されているわけですよね。「ホビット」は完全に児童文学の範疇で訳されていますから、おとぎばなしの魔法使いのおじいさん、という雰囲気で訳されたのでしょうね。
そしてそのまま「指輪」でもその言葉遣いが使われた、と。
で、気になるのが、ガンダルフだけにとどまらず、ファンタジーに出て来る老人って「・・・じゃ」といい話し方をしますよね。
ってあんまりないかな、そういう話し方・・・とりあえず思いつくのはハリポタのダンブルドアくらいですが・・・
これって「指輪」の瀬田訳の影響? と思わなくもないけれど、単純に昔話のおじいさん風の話し方をさせているだけなんでしょうね、多分。
そして、読んでいる方も違和感なくそれを受け入れているという。
昔話の「・・・じゃ」という話し方は、現実の話ではない、という感じを表しているそうなので、ファンタジーの世界でも自然とそんな話し方を求めている?のかもしれませんね。ファンタジーでも、よりリアルなものではこういう話し方ではないかもしれませんし。そうですね、どこか仙人っぽいイメージの人がこういう話し方かも。
いや~、ガンダルフって昔話風の話し方だったんだなあ、とちょっと目からウロコでした。
余談ですが、瀬田訳のサムの話し方も、実際にどこの方言というよりは、創作方言?っぽいですよね。それらしい話し方なだけで、実際にはこんな話し方ないよな、という。(サム口調もなかなか難しいです・・・)
いや、訳し方って面白いなあと思いました。
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