発熱しながらも無事にLotRシンフォニーも聴き終わり、朝起きたら熱下がってるといいな・・・と思ったのですがなんだかまだ調子悪い(汗)あんなに好きだったドイツパンも、シンケン(ハム)もチーズも食べられず・・・(パプリカを刻んだのが周りについてるチーズ好きだったのに・・・)なんとかフルーツとヨーグルトだけは食べました。
もう一日ニュルンベルクに滞在して休むか・・・とも思ったのですが、列車で座って移動するだけだし、頑張ってミュンヘンまで行っちゃえ! というわけでミュンヘンまで移動しました。
観光案内所で紹介してもらったホテルは、UバーンのOdeon Platzの近く、シュヴァービング地区のとっかかりにあるこじんまりしたホテルでした。中庭や窓からオシャレなシュヴァービングの家が見えてちょっと素敵だなーと思いました。近所のお店のおじさんはものすごいミュンヘン訛りでした(汗)
1時間ほど部屋で横になったあと、少し良くなってきたかな・・・? ということで、トーマス・マンめぐりを開始することを決意。
オックスフォードでトールキンの家をめぐった時も「何回引っ越したんだ・・・」と思いましたが、ミュンヘンのトーマス・マンの旧居はそれを上回る、なんと13軒! しかもその後亡命してスイスやアメリカにも住んでるんだもんなあ・・・
トーマス・マンのミュンヘンの住所は日本語での資料がほとんどなく困っていましたが、某質問掲示板で聞いたところ、ドイツ語に堪能な方がドイツ語のサイトを探してくださり、なんとかめぐることができました~
オックスフォードと違って、ほとんどの家が当時の建物ではなかったようですが・・・
まずはホテルから一番近いTheresien Str.82番地の家へ。このテレジエン通りが長くて、かなり端っこまで歩きました(汗)ピナコークとか通りましたね。全然入る暇なかったけど(汗)
この家には1898年4月から5月まで、なんと1ヶ月しか住んでません(笑)
そのまま、2ブロック北のシェリング通りに出て、ルートヴィヒ教会に向かいます。ここはトーマス・マンの短編「神の剣」で主人公ヒエロムニスが入った教会ですね。ちょうど作中でもシェリング通りから教会に向かっています。
トップの写真がルートヴィヒ教会ですが、石造りの珍しい教会ですね。ミュンヘンの教会は、ビザンティン風の丸屋根の塔の教会が多いのですが、とんがり屋根なのも珍しい感じ?
ヒエロムニスが清めに使った?水盤と教会内部。お祈りしている女性が一人と、明らかに休憩に来ていた東洋系の女性が一人だけの、静かな内部でした。
続いてRamberg Str.2番地の家。この通り、地図だと名前出ていません(汗)事前にマッピングサイトで調べておいたのをガイドブックの地図に「このへん」と印をつけておきました(汗)
この家にはリューベックから移ってきた1894年から1897年まで3年間住んでいたようです。ここで「ブッデンブローク家の人々」を書き始めたようです。
ここも地図だと名前が出ていないKonrad Str.11番地の家。1902年11月から1904年1月まで、1年ちょっと住んでいます。ここに住んでいるとき「ブッデンブローク家の人々」が出版された・・・のかな?
追記:年表で確認したら「ブッデンブローク家」が出版されたのは1900年なので、全然違いますね(汗)
さらに追記:ここに住んでいる時に「トニオ・クレーゲル」「トリスタン」を含む短編集が出版されたそうです。
この次にフランツ・ヨーゼフ通り25番地の家に行ったのですが(ちなみにエリザベート通りとつながっています(笑))、ここにはトーマス・マンの旧居だということを示すプレートがあるはずなのに、ない・・・
後で番地が変更になっていることがわかり、翌日リベンジしましたので写真はまた後で。
コンラート通りの後に移って1905年まで約一年住んでいたAinmiller Str.31番地の家です。
追記:ここに住んでいる時に婚約してます。
Herzog Str.3番地の家・・・のはずなのですが、ホテルになってます(汗)ここには1897年から1898年まで1年間住んでいました。先のドイツ語サイトによると母親のユーリアと一緒に住んでいたようです。
まあトーマス・マンの旧居跡のホテルに泊まるのもいいかもね、なんて思っていたのですが、帰国してからネットで確認したら、違う家の写真が・・・もしかしてここも番地が変更になっていたのでしょうか・・・
トーマス・マンめぐり、まだまだ続きますよ~(笑)
もう一日ニュルンベルクに滞在して休むか・・・とも思ったのですが、列車で座って移動するだけだし、頑張ってミュンヘンまで行っちゃえ! というわけでミュンヘンまで移動しました。
観光案内所で紹介してもらったホテルは、UバーンのOdeon Platzの近く、シュヴァービング地区のとっかかりにあるこじんまりしたホテルでした。中庭や窓からオシャレなシュヴァービングの家が見えてちょっと素敵だなーと思いました。近所のお店のおじさんはものすごいミュンヘン訛りでした(汗)
1時間ほど部屋で横になったあと、少し良くなってきたかな・・・? ということで、トーマス・マンめぐりを開始することを決意。
オックスフォードでトールキンの家をめぐった時も「何回引っ越したんだ・・・」と思いましたが、ミュンヘンのトーマス・マンの旧居はそれを上回る、なんと13軒! しかもその後亡命してスイスやアメリカにも住んでるんだもんなあ・・・
トーマス・マンのミュンヘンの住所は日本語での資料がほとんどなく困っていましたが、某質問掲示板で聞いたところ、ドイツ語に堪能な方がドイツ語のサイトを探してくださり、なんとかめぐることができました~
オックスフォードと違って、ほとんどの家が当時の建物ではなかったようですが・・・
まずはホテルから一番近いTheresien Str.82番地の家へ。このテレジエン通りが長くて、かなり端っこまで歩きました(汗)ピナコークとか通りましたね。全然入る暇なかったけど(汗)
この家には1898年4月から5月まで、なんと1ヶ月しか住んでません(笑)
そのまま、2ブロック北のシェリング通りに出て、ルートヴィヒ教会に向かいます。ここはトーマス・マンの短編「神の剣」で主人公ヒエロムニスが入った教会ですね。ちょうど作中でもシェリング通りから教会に向かっています。
トップの写真がルートヴィヒ教会ですが、石造りの珍しい教会ですね。ミュンヘンの教会は、ビザンティン風の丸屋根の塔の教会が多いのですが、とんがり屋根なのも珍しい感じ?
ヒエロムニスが清めに使った?水盤と教会内部。お祈りしている女性が一人と、明らかに休憩に来ていた東洋系の女性が一人だけの、静かな内部でした。
続いてRamberg Str.2番地の家。この通り、地図だと名前出ていません(汗)事前にマッピングサイトで調べておいたのをガイドブックの地図に「このへん」と印をつけておきました(汗)
この家にはリューベックから移ってきた1894年から1897年まで3年間住んでいたようです。ここで「ブッデンブローク家の人々」を書き始めたようです。
ここも地図だと名前が出ていないKonrad Str.11番地の家。1902年11月から1904年1月まで、1年ちょっと住んでいます。ここに住んでいるとき「ブッデンブローク家の人々」が出版された・・・のかな?
追記:年表で確認したら「ブッデンブローク家」が出版されたのは1900年なので、全然違いますね(汗)
さらに追記:ここに住んでいる時に「トニオ・クレーゲル」「トリスタン」を含む短編集が出版されたそうです。
この次にフランツ・ヨーゼフ通り25番地の家に行ったのですが(ちなみにエリザベート通りとつながっています(笑))、ここにはトーマス・マンの旧居だということを示すプレートがあるはずなのに、ない・・・
後で番地が変更になっていることがわかり、翌日リベンジしましたので写真はまた後で。
コンラート通りの後に移って1905年まで約一年住んでいたAinmiller Str.31番地の家です。
追記:ここに住んでいる時に婚約してます。
Herzog Str.3番地の家・・・のはずなのですが、ホテルになってます(汗)ここには1897年から1898年まで1年間住んでいました。先のドイツ語サイトによると母親のユーリアと一緒に住んでいたようです。
まあトーマス・マンの旧居跡のホテルに泊まるのもいいかもね、なんて思っていたのですが、帰国してからネットで確認したら、違う家の写真が・・・もしかしてここも番地が変更になっていたのでしょうか・・・
トーマス・マンめぐり、まだまだ続きますよ~(笑)
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