ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

ミュンヘンのトーマス・マンめぐりその3

2006年08月28日 | 旅行
さて、ここでプレートを見つけられなかった家はひとまず飛ばすことにして、シュヴァービング地区からイーザル川を渡った地域へ移ります。
実は観光案内所でもらった地図が、Uバーンや市電、バスの路線も一緒に地図上に入っている優れもので、おかげで体力のないところを上手くバスや市電を利用できて大助かりでした。
UバーンのGieselastr.駅からやや南下したところからバスの54番か154番に乗って移動しました。体力があれば、ついでにイギリス公園を散策しつつ歩いて行っても良さそうでしたが。
イギリス公園を通り抜け、イーザル川を渡ったところでバスを下ります。バス停の名前は忘れてしまいましたが(汗)
ここからMauerkircher Str.13番地の家に向かいます。

この家には1910年から1914年まで4年間住んでいます。この家で「ヴェニスに死す」が書かれたのですね。なんだか納得。主人公のアッシェンバハが住んでいたというPrinzregenten Str.から比較的近いので・・・
また、この家に住んでいる1912年にカーチャ夫人がダヴォスのサナトリウムで療養したのですね。翌年1913年にはいよいよ「魔の山」の執筆を始めたのだそうです。

そしてそのままMauerkircher Str.を進んでいくと、Poschig Str.に突き当たります。この通りの川沿いに近いはずれの1番地に、トーマス・マンが1914年から1933年の国外脱出まで住んだ家があります。ここで「魔の山」が完成され、「ヨセフとその兄弟たち」も書き始められていたのですね。

塀が高い&木が邪魔でよく見えない~、と思ったら横に回ったほうがよく見えました(笑)トップの写真が横から撮ったものです。
この家、多分トーマス・マンのミュンヘンの旧居の中では唯一原型をとどめているものだと思われます。昨年改修したそうで、今は真っ白に塗られていますが、当時は茶色の壁の家だったようです。でも形は原型をほぼ留めていると思うのですが・・・
この家はマン一家が住むために新築したものだそうで、本当は生涯ここで暮らすつもりだったのでしょうが・・・
しかし大きい家です(汗)まだ「魔の山」も書いてなかったのに、そんなに売れてたのか・・・
改修されたということは個人所有なのでしょうか。うーんどんなお金持ちなんでしょう、なんて思ったりして。

トーマス・マンの旧居であることを示すプレートです。ようやくプレートに出会えてほっとする私・・・(笑)

この家のすぐそば、イーザル川沿いの小道には「Thomas Mann Allee」という名前がついていました! これは戦後ついたものでしょうね・・・
体力があれば、きっとトーマス・マン一家も散策したにちがいないこの小道を歩いても良かったのですが、断念して宿へ戻りました。

体調悪いのに半日でよくここまで回ったもんです(汗)8時半くらいまでは明るいから、頑張って動けたというのはありますね。
歩いているうちになんだか体調も良くなってきたような気がしたし。

トーマス・マンめぐり、リベンジ分も含めてもうちょっとだけ続きます。

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