ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

BBCラジオドラマ感想総括:サントラのこと

2005年08月10日 | 指輪物語&トールキン
ラジオドラマの感想で、一番書き易いのが音楽のことだと思います。何しろ語学力がほとんど必要ないですからな(笑)
本編を聞き始めたのは買ってからかなり経ってからですが、サントラだけは待ちきれなくて先に聴いていました。聞き込むほどではなかったのですが。
サントラだけ聴いてまず思ったのは、やっぱり映画とは予算が違うなあと(汗)大編成のオーケストラに民族楽器をふんだんに贅沢に使った映画のサントラに比べて、弦楽合奏中心で特殊な楽器は一切使っていないラジオドラマのサントラには、お金のかかり方が違うよなあ、やっぱりハリウッド資本の映画は違うなあ、と思ってしまいました。
と言っても、編成の小さいラジオドラマのサントラの音楽が劣っているということは全くありませんでした。フルオーケストラでなく弦楽合奏にしたのも、音楽の質を落とさない的確な判断だと思いますし、(角笛のところでホルンが出てきたりもしていますが)何よりも感心したのは、裂け谷やロリアンの、エルフの幽玄な世界の音楽を、ピアノやシロフォンなどの普通の楽器で実に巧みに表現していたところでした。
ですが、本編を聴いて、やっぱり予算の差を感じてしまいました。まあ、そもそも場面に合わせて音楽をつける映画と、あらかじめ音楽ができていて、それを場面に合うように使うドラマでは差があって当然なのですが。
でも何よりも予算の差を感じたのは、音楽が流れる時間がとても少ないんですよね。ラジオドラマだからなのかもしれませんが。いい曲がたくさんあるのに、時々思い出したようにしか使われていなかったのが残念でした。
まあ、テレビドラマみたいに、ここぞというところで同じ曲が何度も流れたりして「もういいって!」と思ってしまうようなのよりはいいのかもしれませんが。
でも、ドラマのサントラとしてはかなり贅沢に作られた音楽だとは思いました。原作の詩に曲をつけたものがたくさんあったのも特殊だと思いますし。
特に感動したのが、アラゴルンのテーマとセオデンのテーマ(ローハンのテーマやエドラスのテーマも兼ねていたと思います)でしたね。
どちらもとても優しいメロディなのですが、アラゴルンのテーマは、ブリー村でアラゴルンの正体?がわかった時から流れ始め、要所要所で流れていたのですが、最後の方、白の木を見つける場面、そしてフロドたちとの別れの場面で流れていたのが見事に場面にぴったりで、特に別れの場面は泣いてしまいました。
セオデンのテーマも、セオデンの葬儀の場面で、原作に出ていたセオデンのことを歌った詩についたメロディだったことがわかって感動でした。いやサントラでもうわかっていたのかもしれませんが、すっかり忘れてまして・・・
でもローハンの角笛までこのメロディだったのはちょっと笑ってしまったのですが(汗)
ペレンノール野でも、セオデンの戦いの合間合間に、詩人が物語を語るようにナレーション代わりにセオデンの出陣の歌?が使われていたのが良かったですね。同じ曲でデネソールのことも歌っていたのがまた良かったです。セオデンとデネソールの対比を感じさせてくれて。
この他、エント女の詩もいい曲なんですよね。本編中では木の鬚が呟くように歌うだけで、それもまたいい感じでしたが、サントラCDに収録されているフルバージョンがまた感動的で良かったです。
エントの行進の歌も良かったですね。
The Road Goes Ever onの歌が、どこか神秘的な曲になっていたのはびっくりでした。なんだか素朴な明るい歌のイメージがあったので・・・
でもフロドの旅立ちを象徴する素晴らしい曲だと思います。
惜しむらくは、灰色港に向かう途中でガラドリエルたちに会うところ、歌でやって欲しかったんだけどなあ・・・
灰色港の別れを象徴する「ピルボの別れの歌」も、詩の内容から見るともっと希望を孕んだ明るい曲でも良かったと思うのですが、灰色港の悲しい別れを表すのにはあれで良かったのかな・・・
テーマ曲は、単独で聴くととても良い曲なのですが、アラゴルン、レゴラス、ギムリが追いかける場面で走っているような変奏になっていたり、フロドとサムの重苦しい徒歩の旅を表すような変奏になっていたところは、あまりカッコイイとは言えませんでしたね(汗)テーマの最初の部分はわりと単純であまりカッコ良くないので、その部分が使われているから余計なのかな・・・
このあたりは、ついついハワード・ショアの「旅の仲間のテーマ」と比べてしまいました。あのテーマも万能ではありませんでしたが、アラゴルンたちが走っている場面の変奏はカッコよかったよなあと。(フロドたちが歩く場面には使われませんでしたけど(汗))
でも、どことなく重苦しさと悲しみを孕んでいる感じはやっぱり映画よりも原作のイメージに近いかもしれませんね。
実は最初の方に聴いたボロミアの死の場面の音楽とかあまり覚えてないんですよね(汗)サントラもこれからまた聴きこんでみたいと思います。
でもLotRシンフォニー聴いたらしばらくは映画のサントラマイブームになっちゃうかな・・・(汗)

というわけで、なんとかドイツ行く前にラジオドラマの感想まとめられて良かった良かった(笑)また帰国して落ち着いたら再挑戦する予定ですが。
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BBCラジオドラマ感想総括:脚本のこと

2005年08月08日 | 指輪物語&トールキン
一日開いてしまいましたが、ラジオドラマ感想の総括、脚本のことなどを書いてみます。
ラジオドラマは、実はPJ映画のSEE版とたいして時間違わないんですよね。というわけで、カットされている部分も実は似たようなものだったな、と思いました。トム・ボンパディルはもちろん、ガン=ブリ=ガンやベレゴンド、ベアギルも出てこないし。(ベレゴンドは出て来てたんですっけ?(汗))まあ、ホビット庄の掃蕩はありましたけど。
ただ、PJ映画のようにあっと驚く改変はありませんでしたね、もちろん(笑)ちょっと違和感というところはありましたが、許せないなんてことはないですし。
ストーリーをなるべく時系列に並べているあたりはPJ映画とも共通していて、やはり映像やドラマにするとこういう作りにするのが自然なのかな、と思いました。そもそも原作の、フロド・サムルートとその他ルートを二つの分ける書き方ってすごく特殊だと思いますし。
ラジオドラマでは、「終わらざりし物語」や追補編に出てくるエピソードも忠実に時系列順で取り入れていたのが印象的でした。ナズグルがアイゼンガルドにやってきて、ホビット庄のことを知るシーンとか。FotRではガンダルフがミナス・ティリスに行った時にもうデネソールに会っていたり、アイゼンガルドから逃げた後、飛蔭をもらうためにセオデンに会っていたりしていたのが面白かったですね。このあたりはブライアン・シブレイのこだわりを感じるというか(笑)
キャラクターを膨らませるようなオリジナルな台詞の挿入も、PJ映画と共通する部分だったかもしれません。やはり、単に原作に忠実なだけでなく、原作に思いいれしつつのオリジナルがあった方が楽しいですよね。
特に指輪棄却後をゆっくりやってくれたのが嬉しかったですね。他は結構駆け足のところもあったのに。PJ映画はむしろ途中を膨らませていたと思いますが。(余計なオリジナルもありましたけどね・・・(汗))
ただ、やはり原作には及ばないなあ、という場面も多々ありました。PJ映画みたいに腹を立てることはないけれど、「あれ?」というような・・・
木の鬚とメリピピのエピソードは、PJ映画みたいなエントの改変ぶりはなかったけれど、木の鬚がメリピピに心を動かされるあたりはあまり描かれていなくて残念でした。
エオウィンが魔王を倒すあたりも、映画よりはいいんですが、メリーが恐怖を振り払うあたりがやはり描き足りなかったなあと。ペレンノール野に向かう途中、何で来てしまったんだろうと自問する場面もなかったと思うし。魔王を倒す時の「メリー助けて!」「エオウィン、今だ!」みたいなやりとりもちょっとな~(汗)セオデンとの絡みも足りなかったし。私がメリーファンだから不満なだけ?(汗)
メリーに比べて、ピピンは原作よりも健気でかわいいイメージだったんですが(笑)ラジオドラマのピピン好きですねえ。
そして、一番疑問があるのはホビット庄の掃蕩でした。フロドが水戸黄門のように、戦わないけれど存在感たっぷりな感じで(汗)。まあ、映画ほど許せない改変ではなかったんですけど、単なるホビットたちの凱旋の物語のように思えたのが残念でした。
感動して泣けたところもいくつかあったのですが、時間かけて聞きすぎて忘れてしまってるかも(汗)ボロミアの死とか感動した記憶があるのですが(汗)またじっくり聞き直したいです。

あと、音楽が色々と印象的だったのですが、時間切れでこれまた後ほど・・・
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世にも不幸なできごと9 肉食カーニバル(ネタバレ)

2005年08月06日 | 読書
最新刊9巻を読みました。例によって1日で読めてしまいましたが。
今回は結構真正面からわかりやすく差別について書いていたように思います。
自分が差別される存在なのかどうかということ以前に、「お前は劣っている、ダメなやつだ」と言われ続けるとそんな気になってしまうという、結構基本的なことを書いてましたね。
説教臭い話は書きたくないと言っている作者ですが、これは子供にもわかりやすく説明してるんでは・・・と思ってしまいました。まあいいことだと思うんですけど。
そして、差別を受ける側のこともシビアに?書いていたのは、このシリーズらしいかもしれません。差別され続け、自ら「自分はダメだ」と思い込んでしまうことの怖さ。そして、自分が差別される側でなくなるなら他人を犠牲にしてもいいと思ってしまうこととか。
ちょうど「アイランド」を見たばかりだったので、なんだか被るものがありましたね~。自分たちが生き延びるためにどんどん人を犠牲にしてしまうクローンたちと。
今回はマダム・ルルの存在が面白いと思いました。「他人が求めるものを与える」と言って、オラフ伯爵だろうが何だろうが協力してしまうところが。それでいて罪の意識もあるというのですから・・・
ボードレールきょうだいに協力すると約束しながら、果たして本当にオラフ伯爵に彼らの正体のことを言わないでいてくれるのか・・・というのが翌朝になってみないとわからない、という展開は面白かったかなあと思いました。
結局、マダム・ルル(オリヴィエ)はどうするつもりだったのか。荷造りをしていて、エンジンを直すのに必要な部品を持って来ていたということは、一緒に逃げるつもりだったのか。
エンジンを直せるのはヴァイオレットだけだから、一緒に逃げるつもりだったと思われるのですが、それならなぜオラフ伯爵に彼らの正体を教えてしまったのか。
まあ、実はオラフは最初から3きょうだいの変装に気付いていた可能性もあると思うんですが。普通わかるよなあ・・・(汗)
おそらく、オリヴィエは最後まで気持ちをはっきりさせられなかったのではないかと思います。3きょうだいと一緒に逃げたいけれど、逃げられるかわからない。それで、どちらにも転べるように、オラフ伯爵にも協力して、部品は一旦はヴァイオレットに渡し、ダメとわかったら取り戻して棄ててしまったのではないかと。
そんな風に考えていて、結局は死んでしまったのですから、哀れというか、不思議なキャラクターだったなあと思いました。
その他のことは、ツッコミどころだらけでしたが(笑)3きょうだいの変装、普通はすぐばれるだろ、とか。なんでオラフ伯爵がモテるのか、とか(笑)
ヴァイオレットのリボンは、前回偽の鍵束にして図書館の人(名前忘れた)に渡してしまったと思うので、オラフのズボンの中に入っていたのは謎なんですが???
最後は、まあ気になる終わり方でしたが、半年くらいは待てるなあと思いました(笑)
あ、ダークブルーの光に包まれた日没後のサーカスの様子は、映像にしたら綺麗だろうなあと今回も思いました。
さて、これで邦訳が出ている分は、1巻を残すのみとなりました。実は既に読み始めているので、これも今日中には読んでしまうと思います。
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BBCラジオドラマ感想総括:キャストのこと

2005年08月06日 | 指輪物語&トールキン
中断しつつもなんとか聞き終わったラジオドラマ、1回目の感想です。
あまりにもだらだら聞きすぎたので、既に忘れているところも多いと思うんですが(汗)
まずはキャストについて。びっくりしたことに、PJ映画のキャストと声がそっくりなキャストが多かったんですよね。
ガンダルフが一番似てましたね。本当にそっくりで。喋り方とか発音のせいなのかもしれませんが、それにしてもそっくりでしたね。なんだかガンダルフの声が聞こえるとホッとしましたね。
サムもかなり似てました。喋り方が一緒なのかなあ。歌はメチャクチャ上手いですが(笑)ショーン・アスティンに似た声で、原作に近い、朴訥で優しいサムを演っているのを聴くとちょっと胸キュン(死語?(汗))でした。
ビルボも似ててびっくりでした。声はさほどでもないですが、喋り方がそのままで。まあイアン・ホルムはあのビルボを直に聞いてたわけですが。
デネソールもかなり似てましたね。この人も声というよりは喋り方が似てました。何よりも役作りが似てたんですね。ジョン・ノブルはラジオドラマを参考にしたのか? と思ったくらいです(笑)
メリーとピピンも結構似てましたね。メリーの声がちょっと低めなのまで一緒で。
まさかラジオドラマに似てるという基準でキャストを選んだとは思えませんが。
ラジオドラマを参考にしてるってことはあるでしょうかねえ? イアン・ホルムは直に聞いているけれど。
ガラドリエルは、意見は分かれるかもしれませんが、私はケイト・ブランシェットに結構近い感じだと思いました。怖い面を前面に出しているというか・・・
似てない人では、ファラミアがカッコよかったですねえ。すごくクールな声で。でもエオウィンを口説く時だけ妙に甘い声だったのが笑えたんですが(笑)
エオウィンも低めのクールな声で良かったですね。でもやっぱりデルンヘルムの時も男には聞こえませんでしたが(笑)
アラゴルンは結構歳のいった感じの声かなと思ったんですが、優しくて良かったですね~。長い年月さすらってきた感じも出てました。かなり好きです、ラジオドラマのアラゴルン(笑)
エオメルも檄を飛ばすところとか結構カッコよくて、カール・アーバンとも似てるかなあと思いました。普通に喋るとそんなでもないんですが(汗)
セオデンはメチャクチャ渋くて良い声で、サルマンは結構高い声で、知的な感じはありますが、クリストファー・リーに聞き慣れると違和感あるかな・・・
ギムリは、まあドワーフって皆こういうイメージだよね、という感じでしょうか(笑)
あと、結構喋り方が熱すぎてイメージと違うキャストが何名か(汗)筆頭はレゴラスですね~。まあ、その分ホビットたちにも親しげな感じで、「仲間」という感じはしましたが。
エルロンドも熱すぎと思いました、私は(汗)
そして、木の鬚が、結構早口でせっかちな感じで違和感でした(汗)「ホーン・フム」という声は良かったんですけど。
そして最後になったフロドとゴラムですが、ゴラムは良かったですねえ。バクシアニメでもゴラムの声やってるそうで、今度見直してみなきゃと思ってるんですが。
そしてイアン・ホルムのフロドですが、威厳のある旦那っぽい感じは抜群でした。そのフロドがだんだん弱っていく様には説得力がありましたね。時々フロドに泣かされましたから。
特に、最近聴いたからというのもあると思うのですが、「The ring is mine.」には感動しましたね。イライジャまだまだ! と思ってしまいました(笑)
でも、しっかりしすぎていて、ホビットの弱いところがあまり感じられなかったかな、という部分も・・・。いやこれは脚本の問題なのかもしれませんが。

なんだかキャストの話だけで十分長くなってしまったので、その他のことはまた改めて書きます(汗)
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アムステルダムスキポール空港

2005年08月05日 | 旅行
今回アムステルダムで乗り継ぎが4時間あるのですが、先日KLMでギリシャに行った職場の人が、乗り継ぎ時間に外に出て運河を見てきたと聞いて、あ、外に出るのもありかなあ、と思ってちょっと調べてみました。
そうしたら、スキポール空港って、外に出る間もなく、色々遊べる空港なんですね~。カジノとか美術館まであるそうで。
ネットもできて、日本語の書き込みは無理らしいですが、日本語見られたりもするらしいです。これなら時間つぶしは十分だなあ。オランダ語のDVDも買いたいし。
ただ、ネット見られると言っても、出発日ではそんなに情報のタイムラグもないのであんまり意味ないけど・・・(汗)帰りはそんなに時間ないんですよね。
いやしかし、アエロフロートでイギリス行った時には、モスクワで4時間くらい乗り継ぎ時間あったんですが、シェレメチボ空港の時間つぶしは辛いものがありましたね・・・(汗)最初はお土産とか見ていて、マトリョーシカとか喜んで見てたけど、あっという間に全部の店観られてしまったし、他に時間つぶすとこはないし。あまつさえ、うかうかしていると座るところすらなくなってしまうという・・・(笑)なんだか隔世の感すらあります(笑)

しかし、気がついてみれば、旅行に行ってもいないのに、旅行行く前の話ばかりになっているこの旅行カテゴリー(汗)
まあ、旅行の楽しさの3分の一は旅行に行く前にあると言いますし。準備期間が長ければ長いほど楽しいとも言えます。
でもさすがに「まだあと1週間もあるのか・・・」という気分になって来ましたが(汗)
まあ、まだ準備できてないので、明日出発とかでも困るんですが(笑)
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BBCラジオドラマ25

2005年08月05日 | 指輪物語&トールキン
ラジオドラマ、ようやく最後まで聞き終わりました!
まずはホビット庄の掃蕩の終了直後。新しい道の名前の話をおやじさんやサム、メリピピらが話していることになっているのが面白いなあと思いました。「シャーキー末路」はやっぱりピピンの発案?になってましたね(笑)
ここでも楽しそうに会話するフロドにやや違和感はあるのですが。
そして、サムがガラドリエルの贈り物のことを思い出して種を撒きます。ロリアンの雰囲気の不思議な音楽(と言ってもやはりピアノと木琴、鉄琴だけのシンプルな音です)が優しく流れるのがいいですね。
エラノールの名前をフロドがつける場面もあり、やがてついにフロドの旅立ちの日に。
フロドは出かけるにあたってサムだけでなくロージーも呼んで、サムを借りるけど、と断っています。なんだかその律儀さが嬉しいような(笑)原作ではフロドとロージーの接触ってほとんどなかったので、こういう場面があるのも嬉しかったです。
そして赤表紙本をサムに渡すフロド。ちょっと記憶があいまいなのですが(汗)そんなに辛そうだったり淋しそうな口調ではなかったように思います。
そして袋小路屋敷を後にしたフロドがビルボを思って「角を曲がれば待ってるだろうか」の詩を口ずさむと、遠くからガラドリエルとエルロンドが「A ELBERETH GILTHONIEL」の詩で答えます。
ここ、希望としては歌でやって欲しかったんですが・・・(汗)しかも出来ればガラドリエルだけの方が・・・(汗)
ビルボはナレーションでは眠っていると言ってますが、喋るとやっぱり元気な感じです。
そして、「ビルボの別れの歌」が、歌バージョンの音楽をバックに、ビルボによって朗読されます。全部じゃなかったけど。
この歌、デモバージョンではビルボ自身が歌っているのもあるんですが、ボツになったようです。たどたどしく歌うのもまた良かったんですけどね。
そしてガンダルフ登場。イアン・マッケランにそっくりなガンダルフの声を聴くと、なんだかホッとするような懐かしいような、不思議な気持ちになります。やっぱりガンダルフ好きだなあ・・・
そしてメリーとピピンも到着。
別れに際して、ビルボがサムに「袋小路屋敷を頼むよ」なんて言っているのが新鮮でした。やっぱりビルボしっかりしてるよなあ。
メリーとピピンにもお別れを言って、「それ以上大きくならないように」なんて言う余裕もあり。
エルロンドはメリー、ピピン、サムに一人一人お別れを言います。優しいなあエルロンド。ガラドリエルは「ナマリエ」一言のみ(笑)
フロドもメリーとピピンにさよならを言いますが、一言名前を言うだけです。原作では地の文のみで簡単に語られる別れですが、ラジオドラマでもそのあたりは引き継いでいるようです。
対するメリーとピピンの言葉も簡単です。メリーの「Take care, cousin」がなんだかぐっと来てしまいました。
そしてサムの番ですが、サムがここで「このままホビット庄で幸せに暮らしなさると思ってました」と言い、それに対してフロドが「だが私のためではなかったのだ」のあの台詞を言います。
なぜ今ごろその会話を、とも思いますが、フロドとサムの別れの場面の盛り上がりとしてはいいかもしれません。
そして、ガンダルフがしめの言葉を。「わしは言わぬ、泣くなとはな。全ての涙が悪しきものではないからじゃ」ガンダルフの言葉でお別れというのもまた泣かせます。
でも「ここ大海のほとりで我らの縁も終わりとなった」の言葉がなかったのは淋しいような。ガンダルフとホビットたちの別れがないのは淋しいですね。まあ原作も似たようなものではありますが・・・
そして、船が西へ行く様を語るナレーションのバックに、少年が歌う「ビルボの別れの歌」が流れます。
この歌、サントラで聴いた時には、この詩の内容にしては悲しすぎるような気がしていたのですが(ドナルド・スワンの希望を孕んだ暖かい歌が好きなので余計に)、フロドを乗せた船が去って行く、この場面にはとても会っているなあ、と思いました。やっぱり灰色港は悲しいですよね・・・
袋小路屋敷にもどってエラノールとロージーに迎えられたサムの脳裏に、フロドの言葉が聞こえます。これは映画も同じ演出ですね。思い出す台詞は多少違いますが。
ただ共通するのは、フロドの「幸せになっておくれ」という言葉がクローズアップされていることでしょうか。ラジオドラマではちゃんとサムの番も来ると言っていたんですけど。
最後のサムの「Well, I'm back.」は、悲しみを湛えていて良かったです。
やっぱり映画の幸せそうなラストには違和感があるなあと改めて思いました・・・
しかし、その直後に流れるテーマ曲はあまりこの場面の余韻に似合っているとは思えませんでしたが。

というわけで、時間がかかったわりにはかなり適当に聞いてしまったのですが(汗)一応最後まで聞き終わりました!
ラジオドラマ全般の感想はまた改めて書きたいと思います。
またドイツから帰ってきたら、最初から、今度はもっとちゃんと聞きなおそうと思ってます。指輪ミュージカルヒアリングの練習も兼ねて。
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アイランド(ネタバレ)

2005年08月04日 | 映画
昨日見て来ました。「お前そんなにショーン・ビーン好きか?」と自問しつつ・・・(笑)
デジタル上映でした。以前EP2を見た時以来です。EP2の時は特にデジタルだからどうとは感じなかったのですが、今回ははっきり違いを感じました。映像がくっきり鮮やか! 目が痛いくらいでした。
特に、青い海に浮かぶアイランドの映像が綺麗だったなあ。
ただ、結構グロい場面もあるので、「こんなもんくっきり鮮やかに見せられてもなあ」と思いましたが・・・(汗)
ところが、リンカーンとジョーダンがアリゾナの駅で逃げ始めたあたりからいきなりブラックアウト。最初は演出かと思ったのですが、いつまでも画面が黒いままで音声だけが流れます。なんだかショーン・ビーンの声も聞こえてくるけど・・・(汗)
しばらくしてようやく上映が止まり、さらにしばらくして、フィルム上映で再開するとの案内が。ただし、映像が切れた場所からちょうど上映できるかどうかわからなくて、場面が飛んでしまう可能性もあるとか。
見るのをやめり人は返金しますので・・・ということでしたが、また最初から見るのもたるいし、もう一度映画館来るのだって面倒だしなあ・・・という気合のなさでそのまま見ることに(汗)
上映再開したら、しっかり場面飛んでました(汗)いきなりショーン・ビーンがラテン語がどうとか話していて、すぐにL.A.に到着したリンカーンとジョーダンの姿に。
しまった、と思ったんですが、面倒なのでそのまま最後までみてしまいました。そうしたら終了後無料招待券をくれたので、かえってラッキーだったかな。

で、内容なんですが。
既に見た人たちの感想で、「マイケル・ベイなので期待していなかったけれど、思ったよりもちゃんとしてた」という人が多かったのですが、まさにそんな感じだったんだろうなあと思いました。というのは、マイケル・ベイ作品見るの初めてだったので・・・
ということは、やっぱり悪いのはブラッカイマーってことか・・・?(汗)
パンフレットは買ってないんですが、たまたま新聞にマイケル・ベイのインタビューが載っていたのを読んだところ、もともとスピルバーグが脚本を見つけて興味を持って、マイケル・ペイに「君が監督をやるなら権利を買っておくよ」と声をかけたのだとか。なるほど確かにスピルバーグが好きそうな話かな、と思いました。
アクションも派手だったけれど、「生きる」ということを考えさせる内容でもあったと思います。生き残りたいリンカーンたちは、自分たちが生きるために沢山の人を犠牲にします。助けてくれたマックや、何の関係もない、罪もない人たちを。
そのことに、最後には思い至るのかな、と思いましたが、全然そうはなりませんでしたね(汗)
まあ、それはそれでいいような気がします。生きるってそういうことなのかもしれないから。
しかしそれにしても、ハッピーエンドはいただけなかったですね。まあ、ハリウッドのアクションがウリの映画としてはハッピーエンドでないとダメなのかもしれませんが。
だいたい、あれでハッピーエンドになるとは思えないし。有名人や大金持ちのクローンばかりなんでしょ。外に出たクローンたちの映像はそれなりに感動的でしたが、その後のことを思うと暗澹たる気持ちになりました。
せめて、最後の「船の上の二人」がなければ良かったんだけど・・・
警備会社のリーダー(名前覚えられなかった(汗))が、憂いを湛えた瞳のまま冷酷に戦うのがカッコイイなあと思ってましたが、最後に寝返っちゃうのはなあ。残念でした。普通すぎて。
でも最後まで憂いを湛えた瞳がカッコ良かったです。
スカーレット・ヨハンソンは、文芸作品?のイメージがありますが、こうして見ると、すごい美人な上にスタイルも抜群なのにびっくりでした。
浮世離れした感じが、外に出てきたばかりの雰囲気にぴったりでした。
ユアン・マクレガーもあどけない表情がぴったりでしたね。
ショーン・ビーンは、自分は手を下さない知性派の悪役でしたが、「カッコイイおじさんだなあ」と思いました(笑)
最後にアクションをやったのはちょっと嬉しかったけれど、大ボスが死んでハッピーエンド、というのはつまらなかったです、やっぱり。
でも、こんなことに文句つけるようなら、ハリウッド映画なんか見るな、という感じでしょうか・・・(笑)
カーチェイスのアクションはすごいと思いました。特に、トレイラーからローラー?が落っこちて車がつぶれるところとか、すごい映像だなあと思いました。
でも、運転手「あ、積荷が落ちて大変なことに!」とか気がつかないのか・・・?というのが気になりましたが・・・(笑)

まあ、そんなに悪くなかったけれど、すごく良かったというほどではなかったなと。「ナショナルトレジャー」とかよりははるかにマシだったと思いますが・・・(笑)
しかしショーン・ビーンはこのところ出れば悪役といえども出番はかなりしっかりあって、見に行く甲斐があるなあと思いました。
だからつい見に行ってしまうのかな・・・(笑)
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トールキンは「文学」なのか

2005年08月04日 | 指輪物語&トールキン
今、ドイツ旅行に向けてノーベル賞作家トーマス・マンを読んでいるんですが、久々にちゃんとした(?)「文学」を読んでいて、改めてトールキンの作品の特殊性を考えてしまいました。
初めて「指輪物語」を読んだ時、心惹かれるものがありながらも、あまり上手い作品ではないなあ、と思ったことを思い出しました。
しばらくトールキンばかり読んでいて忘れかけていた部分もあるのですが(笑)久々に読んだノーベル賞作家の作品は、やっぱり「上手い」と思わせるものがありました。
トーマス・マンは割合に、物語を高みから見下ろして客観的に書くようなところもあって、トールキンの書き方と似ていなくもないように思います。
それでも、トーマス・マンの弱冠25歳の時の作品を読んで、物語の中に切り取られた時代の流れ、登場人物たち一人一人の人間性が見事に描かれていることに、改めて感心してしまいました。
こういう作品を読みつけていると、確かにトールキンの描く人物像は偏っているなあ、と思うでしょうね。あまりにも敬虔なカトリックの思想から生まれた人物たちは、善悪がはっきりしすぎていて、白の勢力の人々は、あまりにも高潔、清廉潔白すぎるように感じます。子供のように純粋なホビットも含めて。
善悪がはっきりしていない人物としてゴクリが挙げられますが、このゴクリが行き来する「善と悪」自体がかなり単純な善悪だとも言えます。
人種差別的な面がないとも言えないというのは、ファンですら認めている部分だと思います。
だから、「指輪物語」が発表された当時に出た批判について読んだ時も、ムッとしながら読みながらも、わかるなあ、とは思っていました。
確かに、トールキンの作品はノーベル文学賞の候補になることはないでしょう(汗)そもそも、そういった「文学作品」と同じ土俵で語られるべきものではないんだと思います。
私は「指輪物語」を読んで、次第に引き込まれていきながら、「でも文学ではないな」と思う、否定的?な気持ちとのジレンマを感じていました。で、結果として、「好きだけどあまり上手い作品ではない」という評価を下したのでした。
最近ようやく読んだ「指輪物語を読む-我らが祖父トールキン」の中のいくつかのエッセイのよって、そのジレンマが解決されたような気がしました。
これは「或る伝記」にも書いてあったことなのですが、トールキンはそもそも「文学」を書こうなんてしてなかったのですよね。シェイクスピアすら嫌いなくらい、近代文学というものに背を向けていたのですから。
文学という枠に捉われず、自らの信念にしたがって独自の大作を作り上げた、それが「指輪物語」なんだなあと。本当に、既存の作品に影響されずに自分独自の作品を書くというのは大変なことだと思います!
でも、本当は「妖精物語について」をちゃんと読まないと、トールキンの作品を費評価することはできないと思うんですよね(汗)早く読まないと・・・
それでも、トーマス・マンを読んでいて、トールキンの思想の保守的なところが、作品の品位にもなっているけれど、幅を狭めているなあとも思いましたが・・・
自然への思いや、キリスト教的ではあるけれど、力あるものが優れているものではないということ、そういった独特の考え方が物語に奥深さを与えていることを考えると余計に・・・
でも、多くの人が、トールキンの敬虔なカトリックの思想を根本として生まれた物語に感動し、トールキンの作った世界に引き込まれているということは紛れもない事実ですし、私も間違いなくその一人です。キリスト教徒であるかどうかにはかかわりなく。
「我らが祖父トールキン」にも、今でも「指輪物語」から感動をおぼえるという人もいれば、若い頃は夢中だったけれどそのうちに卒業した、という人もいます。
感じ方は人それぞれ。それは、「指輪物語」に限らず、全ての文学作品について言えることでしょうが。
それでも、多くの人がトールキンの作った世界に惹かれ、多くの人に影響を与えたことは紛れもない事実だと思います。
そして、これからも長い間「指輪物語」は読み続けられると思います。ノーベル賞作家たちの作品に負けないくらいに・・・
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ドイツ寒いんじゃ・・・

2005年08月02日 | 旅行
今更ながらに思いたって、ハンブルクの天気と気温を調べてみました。
晴れの日で最高気温25度、最低11度、曇ったりすると最高は20度切ったりしてました。・・・寒いじゃん(汗)
どうも夏は暑いところに行く傾向があって、今回もサンダル履きで行くつもりだったんですが、寒いかなあサンダルじゃ・・・でも旅行に履いてける靴、今ないよ(汗)
一昨年イギリスに行った時は、猛暑で、それでも大分収まってはいたらしいのですが、そんなに涼しくもなかったんですよね。
それでも、オックスフォードではサンダルでは寒かったような。忘れてました。うーん、学習能力ないなあ・・・(汗)
服も長袖増やさないといけないなあ。
やっぱりこんなだから、早めに荷造りしないといけないんだよなあ・・・
出発前日に荷造りして、しかも忘れ物しない人を尊敬してしまうのでした・・・
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「ブッデンブローク家の人々」と「トニオ・クレーゲル」

2005年08月02日 | 読書
ドイツ行きを前に、久々にリューベックが舞台になった「ブッデンブローク家の人々」を読み返しています。
いやー、久々に読みますが、やっぱり面白いですね。もう半分くらい来てます。
最初の何章にも渡る夕食会の話がややたるいのですが(でも後から読むとここは重要なんですけど)、トーニが前面に出てくるあたりか面白くなりますね。
同時に、裕福な一族がこれといった大きな原因のためでなく、次第に没落していく様が実に見事に自然に描かれているよなあ、と感心してしまいます。
久々に読んで、最初の方の、愛していたわけではなかった老妻の死をきっかけにボケてしまうヨハン老人の描写とかすごいなあと思ったりして。
望月市恵氏のあとがきで、この作品が広く受け入れられたのは、市民時代の終焉を描いているからだ、と書いてありますが、なるほどなあと思います。「市民時代」というのがどういうものか理解しているわけではありませんが、確かにこの一族の没落を描いた作品は、一族を描くのと同時に、一つの時代の終焉を見事に描いてもいるよなあ、と。そのあたりがひきつけられる点なのかもしれません。
これ、25歳で書いてるんですよね、トーマス・マンは。才能に年齢は関係ないんだなあと思い知らされますね(笑)
「優れた文学であると同時に大衆的でもある」というのは、私が好きなもう一人のノーベル賞作家ガルシア=マルケスを評して言われていた言葉ですが、この言葉はトーマス・マンにも当てはまると思います。
一つの時代の終焉を見事に描きつつ、一方で物語として魅力的で面白いものを書いているんですから。特に、トーニの魅力的なキャラクターが素晴らしいです。いくつになって読んでも、トーニのことはかわいいと思えると思います。
もうひとつ、あとがきでなるほどなあと思うのが、「トーマス・マンは叙事作家だ」という言葉でした。
作者が神の視点から作中の人物たちを見下ろすように、やや突き放して客観的に描いている、それがトーマス・マンの作風の特徴のひとつだと思います。
おそらく、私が初めてトーマス・マンを読んで「これだ!」と思った感じ、それが彼の叙事的な、客観的な視点で書く作風だったんだと思います。
その後好きになったガルシア=マルケスもトールキンも、そういう作風は共通しているかな、と思います。
ただ、トーマス・マンの視点は、ガルシア=マルケスに比べるとずっと優しくて、ある時は感情的になります。その暖かさがまた好きだったりするのですが。
例えば、トーニの最初の結婚生活の破綻を語る前に、「そしてトーニは? かわいそうなトーニ!」なんて地の文で次の章に繋がったりして。

で、「ブッデンブローク-」を読んでいて、「そう言えば『トニオ・クレーゲル』もリューベックが舞台なはずだよなあ」と思い出し、ばらばらとめくってみました。
今まであまり考えてみなかったのですが、読んでみると通りの名前や広場の名前など、紛れもなくリューベックでした。
不思議なことに、「トニオ・クレーゲル」に出てくる街が、「ブッデンブローク家-」と同じ街だとは今まであまり思わなかったんですが。なんだかかなり違うイメージを思い描いていたようです。
今回読んで気がついたのは、大人になったトニオが訪れるかつての家が、トーマス・マンが住んでいたベッカー街の邸宅(「ブッデンブローク家-」ではフィッシャー街となっていますが)ではなく、「ブッデンブローク-」でもお馴染みのメング通りの家らしい、ということでした。
私はこの作品、特に好きではなかったんですが、今回読んでいて、その理由がわかったような気がしました。
客観的で叙事的な作風が多いトーマス・マンの作品の中で、この半自伝的な作品は、どうも私小説的な個人的な色合いが強くて、そこがあまり好きじゃないのかなと。
考えてみると「ヴェニスに死す」もややそういう感じがありますね。物語として面白いので「トニオ-」よりは好きですが、なんとなく違和感を感じていたのは多分そのせいなんでしょう。

「ブッデンブローク-」はもともとはトーマス・マンと同世代のハンノが主人公として企画されていたそうで、商人の一族が瓦解して芸術家が生まれる過程を描こうとしていたらしいです。
それが、一族の物語に重点が置かれるようになり、ハンノも、芸術家にはならず、その萌芽を見せつつも夭折し、一族の滅亡が描かれます。
「トニオ・クレーゲル」は、そんな「ブッデンブローク-」で描かれなかったもう一つの結末なのかな、と今回初めて思いました。
「トニオ-」とはまた違う作風の「ブッデンブローク-」で、ハンノが成長して芸術家になっていたとしたら、どんな風になっていたのかな、なんてことをちょっと考えたりしました。
コメント
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